瞑した後に本当の評価が定まるが、死後も多くの人に作品が知られることは稀だ。とはいえ、何かのきっかけで作品は知られ、そこから新たに評価されることはある。筆者はまさか原書の『トリルビー』を入手し、それを読むことになるとは全く考えなかったが、エルザ・トリオレの小説を読んで『トリルビー』に関心を抱いた。

そこには別の伏線があるが、それは月末に書くことにする。
「その1」では本書の小口の写真も載せた。本書は現代の書物のように三方がきれいに断ち切られておらず、天のみ金泥を塗る必要上、きれいに平らになっている。おそらく原書はフランス装で、本を買った人は自分でペーパーナイフで各ページを切り開きながら読み進んだ。筆者が入手した本は数か所、その切り損じがある。通常のフランス装はハード・カヴァーではなく、簡素な表紙で、読んだ後に好みの製本をするのが習わしだが、今はそうして製本に金をかける人は少ないだろう。ともかく、本書は450ページほどあって、エルザ・トリオレの『ルナ=パーク』に書かれるように、書斎でじっくりと読むにふさわしい重厚感がある。デュ・モーリアは読書家であったはずで、一方で風刺画家として『パンチ』誌に挿絵を描いていたから、自分の小説に自分で描いた挿絵をふんだんに使いたかったのだろう。それは脚本家ないし映画監督の才能に近く、エルザが『ルナ=パーク』の主人公を映画監督としたことは、やはりデュ・モーリアと本書の影響が大きいと思える。本書の第8章に、病弱になったトリルビーを楽しませるために、かつて自分の息子のリトル・ビリーとトリルビーの結婚を拒否した母のバゴット夫人がさまざまな本を読んで聞かせる場面がある。そこでバゴット夫人はまずディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』を朗読し、トリルビーは大いに楽しむが、次に夫人が持参した本は『パンチ』誌の風刺画家で、ディケンズの小説に挿絵を描いたジョン・リーチの画集で、トリルビーは病気ではないかのように朗らかになる。前者は長編小説で、サマセット・モームが世界一の小説と激賞していた。そのことを筆者は10代半ばで知りながら、そして長年気になりながら、まだ読んでいないが、全部朗読すると1か月はかかるはずで、トリルビーに読んで聞かせたのは一部であろう。後者はトリルビーが手に取ったはずの初版が比較的安価で入手出来るので、いずれ実物を紹介するかもしれない。それはともかく、デュ・モーリアはトリルビーとバゴット夫人の会話にさりげなく自分の好みの本を挙げている。そしてディケンズへの心酔がうかがえるが、最初に書いた本『ピーター・イベットソン』の主人公が貧しくて苦労続きの人生であることもディケンズの小説の影響と見てよく、そのことはトリルビーにも及んでいるが、トリルビーは貧しいままではなく、ヨーロッパ中に名声を博し、ロシアの王族などから豪華な宝石を贈られた。

トリルビーはリトル・ビリーと婚約出来ていたならば、スヴェンガリと一緒に逃げることはなかったが、リトル・ビリーはイギリスの田舎町の中流の上の階級で、両親がいないトリルビーとの結婚は許されるはずがない。彫刻家や画家のモデルをしているとなればなおさらだ。ところがトリルビーは姿を消して数年後に稀に見る美声の歌手として世間を賑わし、バゴット夫人もその噂を知り、イタリアまでコンサートを見に出かけたが、すでに終わっていてトリルビーの晴れ姿を見ることが出来なかった。デュ・モーリアはバゴット夫人とトリルビーの立場が逆転し、有名度で言えばリトル・ビリーはトリルビーの足元に及ばないことを暗にいじわるっぽく書く。つまり、息子の結婚相手としてトリルビーは大賛成になったというところだが、時すでに遅く、トリルビーは誰の目にも明らかに衰弱する一方であった。ここでまたビートルズを思い起こすと、ビートルズはリヴァプールの不良で、中流の上以上の階級の女性と結婚することは不可能であったと言ってよいが、世界的名声と巨万の富、またポール・マッカートニーのように「サー」の称号を得ると、上流階級の人でも血縁になりたがるだろう。世界的名声を博すと名家となる。デュ・モーリアはトリルビーにその役割を与えた。もちろん小説であって、トリルビーは実在しないが、美声の持ち主は貧富に関係がない。映画ではスヴェンガリがたまたまトリルビーの歌声を耳にして、歌手になれる素質があると思い、やがて彼女の口を開けさせ、口蓋を覗き込み、「君の口の天井はパンテオンの天蓋のようだ。そこにはフランスのすべての栄光がある」と言う。この予言が正しかったことが後に証明される。スヴェンガリが「パンテオン」という言葉を使うことは、並みの音楽家ではないことを思わせる。彼がトリルビーにシューベルトの『ロザムンデ』からメロディをピアノで演奏して聴かせる場面があって、シューベルトの名前を知らないトリルビーに対して、スヴェンガリは「自分の仲間」と言う。この自負は、同じ時期にリトル・ビリーのことを「ろくな絵を描かない若造のどこがいいのか」と揶揄するところにも表われているが、芸術のわからないトリルビーはスヴェンガリよりも端正な美男子のリトル・ビリーがいいに決まっている。ただし、彼女は身のほどを知っていて、彼との結婚が拒絶されたことに素直にしたがう。ここは痛々しいが、現実ではもっとひどいはずだ。ところが、エルザ・トリオレは『幻の薔薇』ではトリルビー並みの、またきわめて貧しい育ちの若い美女マルティーヌを、薔薇の栽培家で数世代続く家柄の長男と結婚させる。世間は広いので、稀に見る美貌を持つ娘ならば、出自は問わないという名家があるのだろう。ところが、マルティーヌは結局離婚を強要される。もっともそれはマルティーヌが夫の生き方に賛同しなかったためだ。

さて、思いつくまま書いているので、物語の推移に沿っては書かないことを断っておく。本書は映画では省かれたトリルビーの出自について詳しい。彼女の名前は「トリルビー・オーファレル」で、名字に「O‘」がつくのでアイルランド系であることがわかる。父は医者で教会の職にも就いていたが、若い頃から飲酒癖が悪く、故郷にいられなくなってパリに出る。そこで英語を個人的に教えて細々と暮らしている時に、バーメイド(女バーテンダー)と親しくなる。彼女は飛び切りの美人で、デュ・モーリアはその仕事中の彼女の様子を挿絵にしているが、それで筆者が思い出したのは画家のマネが最晩年の1882年に描いた名作「フォリ・ベルジェールの酒場」だ。ちなみにマネはデュ・モーリアより2歳上で、デュ・モーリアは当時のフランス画壇については詳しかったであろう。本書におけるトリルビーの顔は、ラファエロ前派のロセッティが描く女性にどこか似た雰囲気があるが、映画『悪魔スヴェンガリ』では佐々木希似の女性が抜擢された。「フォリ・ベルジェールの酒場」の横長の画面中央に描かれる体格のよいメイド姿の若い美女に、筆者は10代の終わり頃に惚れた。当時集英社から出版された世界名画集の大型本の『マネ』の巻の外箱にその彼女がトリミングされて大きく印刷されていて、その箱ほしさに後にその本を買ったほどだ。この絵はロンドのコート―ルド美術研究所にあって、日本で展覧された時に目の当たりにしたが、今年もやって来る予定がコロナのために展覧会は中止になった。フォリ・ベルジェールの酒場はトリルビーの母が働いていた酒場よりかなり大きく、また高級であったようだが、酒を提供する店の若い女となれば時として売春がつきものであった。トリルビーの母は稼ぎの悪い夫を10年から15年支え続け、二番目の子の弟が妊娠した時に夫は死んでしまう。それでトリルビーは働く必要が生じ、イタリック体で表示される「blanchisseuse de fin」になる。これは「最後の洗濯女」の意味で、「アイロン掛け」のことだ。
映画『鉄道員』では荒っぽい父のやり方に反対して家を出る娘が「アイロン掛け工場」で働く場面がある。さして学歴のない貧しい女性が就く仕事では代表的なもののひとつだろう。ところがトリルビーはその仕事を始めて2,3年後、母が信用した友人に騙されて借金を背負い、モデルとしても働くことになる。そしてモデルになったことで、リトル・ビリーを含む3人のイギリス人画家とスヴェンガリと知り合う。3人のイギリス人画家は「三銃士」になぞらえられ、デュ・モーリアはデュマの小説も好んでいたことがわかる。筆者は先日スーパー前の古本市で、デュマの長編小説を買った。彼は今世紀に入ってパンテオンに改めて葬られた。瞑して150年ほど経って、フランスを代表する神のごとき小説家との評価が定まった。

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