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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●鶏冠鶏頭を育てる、その6
の友愛」という言葉をピエール・ガスカールは『肖像と回想』で使った。めったに会わないが、お互いの作品を通じて知り合っている状態を指す。作品を通じて今どういう状態にあるのかが遠く離れていてもわかるので、頻繁に会う必要はないと言える。



●鶏冠鶏頭を育てる、その6_d0053294_11122091.jpg
となればとっくの昔に死んだ人であってもよく、筆者にはそういう敬愛する有名な人物は大勢いるが、生きている人でも会えなくてもよいと言える。現存しない有名人と今生きているそうではない人を比べるのは、筆者のように交際範囲がごく狭い場合は無茶で、ごく普通の人との談笑を楽しむしかない。そのことで埋められない思いを絵画や音楽や文学によって補っている。つまり、筆者の「闇の友愛」は現存の人物にはなく、作品を通じて一方的にそう思うだけだ。だが、これは有名人であっても大差ないのではないか。有名人同士の交際は、お互いの作品を知る間柄であっても、それはほとんど表面上のことだ。どのような作者も自分のことで手いっぱいで、同時代の他者のことやその作品を深く知ることにほとんど関心がないだろう。また、作品のためのアイデアはそれなりに形となるまで心に秘めているもので、談笑では明かさない。そのため、有名な作家同士の交際も普通の人のそれとあまり変わらない気がする。「闇の友愛」は元のフランス語のニュアンスがうまく置き換えられているのかどうか気になるが、日本語ではネット社会に巣食う、何か悪いことをしようと企む者たちを連想する人が多いだろう。「闇」という言葉はあまり感じがいいものではなく、「闇の友愛」は単に「友愛」でいいのではないか。「闇の友愛」の対語が「華麗な友愛」だとすれば、「闇の友愛」は「地味な友愛」で、ガスカールはその意味で使ったのだろう。筆者はコロナで出歩かなくなり、ほとんど人と会って話をしないので、もともと地味な人間関係がさらにそうなって読書の時間も取れるようになっている。その読書を通じてたとえばガスカールを知り、敬愛を感じているが、筆者の思いは一方通行だ。だが、生きている者同士、またたまに会う者同士であっても意思が一方通行ということはよくある。話し込んで理解し合えないことは夫婦でもある。友愛、敬愛というものはごくかすかなものかもしれず、『肖像と回想』を読む限りはそのことをガスカールも思っていたことを感じる。また作品を通じてお互いの現在位置がわかる場合でも、作家はみな個性が強く、友愛を感じることは少ないだろう。それでも「闇の友愛」と言ってよい感情はあるもので、筆者にもなくはない。ただし、それも物故者に対してのように一方通行で、また相手が知らないでもよいと思っている。それこそが「闇の友愛」と呼ぶにふさわしいもので、筆者も誰かから同じ思いを抱かれていることはあり得る。その人の期待に添わない実像をあまり晒したくないが、一方通行ではどのように思われているかはわからない。
●鶏冠鶏頭を育てる、その6_d0053294_11124177.jpg そこでたとえばこのブログはコメント欄を閉鎖していて一方通行であるため、筆者が元気に生きているかどうか、写真つき日記に関心を持っているかどうかは、毎日投稿があるかどうかでわかるとして、それはそれだけのことで、生きながらにして死んでいるも同然と読者は受け取るだろう。これは死者の著作を読めばただちにその人の思考の世界が脳裏に展開する、つまり生きて動き始めること同じであって、文書はひとつの種子だ。で、ようやく本題につなぐと、種子を蒔いて育てた鶏冠鶏頭にさっぱり鶏冠状の花が咲かず、遠目には「赤まんま」に見えて仕方がない。とはいえ、殺風景なところにちらちらと赤い花が覗くのは楽しい。近くにある畑と同じようにニガウリでも育てれば、夏に筆者と家内が食べる分くらいは実るはずだが、ニガウリはスーパーで買えても鶏頭の花は売られていない。話を戻して、「赤まんま」つまり犬蓼はタデ科、鶏頭はヒユ科で、このふたつの科がどれほど近いのかと言えば、週刊朝日百科『世界の植物』を繙くと、どちらも被子植物の双子葉類で、筆者が製本屋に合本させた第4巻の巻末近くに位置し、近い科であることがわかる。それはともかく、筆者が植えたものは鶏冠鶏頭ではなく、槍鶏頭ではないか。槍状の花の先端が現状のまま扇状に広がって鶏冠鶏頭になるとは考えにくい。あるいは鶏冠も槍も土壌や日照の関係でどちらにも育つものかもしれない。この点がわからず、さて来年はどうしたものかと悩み始めているが、種子の選定以外に植える場所も改良を考えるべきで、現状でもかなり切り落としたが、今日撮った最初の写真の鶏頭の上にフェンスから突き出て繁茂している椿を思い切ってフェンス際まで剪定し、鶏頭により光が当たるようにしたほうがいいだろう。ガスカールの『種子』に出て来る、10歳のガスカールが桃の苗木を育てる話を読みながら、空き地がいくらでもあって自然豊かな田舎町であるのに、教会のほとんど誰も踏み入れない囲われた土地以外に勝手に使える土地は皆無であったことを知り、身につまされる思いがした。ガスカールは子ども心にそれをよく知っていて、教会はひとつの救いであったが、現在の日本の社寺は花ひとつ勝手に植えさせないだろう。今日の写真は前回から10日後で大きな変化はないが、2枚目のわずかに鶏冠状になっている花は前回の白っぽさから赤く変化した。この花は最も日当たりがよい場所にあって、またそれは茎が倒れて地面に這ったためでもあって、その一種の自殺行為をあえてこの茎が行なったとすれば、それはよほど光を求めてのことで、槍状の花は日照が充分であれば鶏冠に変化するかもしれない。となればやはり椿を大胆に剪定するしかないと堂々巡りで思うが、来年の春の花が終わってから考えよう。「ヒユの科の 鶏冠に比喩す 鶏頭花」、「鶏頭花 陽に傾倒し 赤深し」、「赤深き 鶏頭見る 病みの人」、「病む心 闇の友愛 思うべし」
●鶏冠鶏頭を育てる、その6_d0053294_11131406.jpg

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by uuuzen | 2020-09-14 23:59 | ●新・嵐山だより
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