遊びと趣味は重なっている部分もあるが、後者はある程度の長期間、ある対象に関心を持ち続ける行為で、何かを集め、それらを分析することを含む場合が多い。
それでロジェ・カイヨワは子どもの遊びを集めて分類し、独自の考えを導き、また最晩年は世界各地の珍しい石を収集したが、そこから「遊び」を分類分析したことと同様に、賛否はあるにしても面白い考えをまとめたかと言えば、石の肌の文様や色、また石内部の隠された美などに瞠目する一方、人間の行為の限界を思っただけで、永遠性と言えば聞こえがいいが、絶望に囚われ、そこから抜け出せなくなっていたように感じる。そのことが、ガスカールが言う、カイヨワの命を縮めた「深い飲酒」になった気がする。そのため、カイヨワは遊びを高度な趣味に高め、また自らのその趣味によって袋小路に入ったと言ってよいが、誰しも還暦を過ぎると進路が狭まり、輝かしい大きな変化はないだろう。ガスカールによると晩年のカイヨワは珍しい石を扱う商人から大量に買っていたそうだが、それら収集された石はその後どうなったのだろう。カイヨワが関心を持ったのは宝石、貴石の類ではなかったが、立体で重いこともあって、保存にある程度の広い場所を要したはずだ。カイヨワがそうした石の鑑賞を絵画のそれより上に置いたことは、石の魔力に吸い寄せられ、人間にもはや関心を失ったからだろうが、そこには年齢の影響もあったと思う。人間嫌いになったというのではないにしても、石の不思議さに魅入られると、人間の卑小さ、煩わしさに我慢出来なくなるように想像する。また石の分類はおそらく動植物のそれのようには出来ないはずで、カイヨワはそのいわば遺伝的系統から隔絶していること、あるいは表面的にはそうとしか見えないことに謎を思い、それを解きたかったのかもしれない。つまり石の世界のリンネになりたかったのではないか。筆者は石にはあまり関心はない。もっぱら植物だが、リンネのようにどんな植物にも関心を注いでそれがどの植物と近いかということにさほど興味もない。昨日梅津に行った帰り、桂川沿いの小さな公園の端に、10年ほど前の大久保直丸先生の個展で活けられていた花の中にあった薄黄緑色の袋状の実を見つけた。その植物の名前を先生も筆者もわからず、筆者は帰宅後にすぐに調べてアフリカ原産のガガイモ科と知り、そのことを翌年の個展で先生に伝えた。先ほどネットで調べるとフウセントウワタ(風船唐綿)という名前であることがわかったが、日本に入って来たのは1940年頃で、花よりも種子の入った風船状の実を鑑賞する。陽射しを好むので種子を持ち帰ってもわが家では育てられないと思いつつ、ひとつ持ち帰った。2枚目の写真はその花だ。ヘクソカズラの葉は山芋のそれと見分けがつかないが、ガガイモ科はイモ科であるだけに、ヘクソカズラそっくりな葉を持つ種がある。
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