拘束された状態の沈丁花で、山芋の蔓が繁茂し放題だが、ムカゴの収穫後、秋が深まると葉は落ち、蔓は枯れ、カサカサになったそれを筆者はまとめて処分する。すると、沈丁花はごく小さな花蕾もつけていて、来春になれば開花して強い香りを発散させる。

棲み分けているのだ。沈丁花は山芋の蔓に拘束されて何もいいことがないが、筆者がいいのでいい。10数年前、天神さんの市で500円で買った山芋を食べずに放置しておいたところ、長い蔓が生え出したので、そのまま裏庭に植えた。地下には多くの砂利があって、山芋がどのような形で大きくなっているのかと思う。山芋の葉のみを食べる、恰好いい形をした
緑色のスズメガの幼虫が、1,2日で葉を全部食べたこともあったが、それよりも楽しいのは毎年多くのムカゴをつけることだ。スーパーで見るとはがきの半分大のパック入りが800円ほどしていて、わが家に毎年出来る分量であればたぶん5000円以上になるだろう。500円で毎年それほどの量が収穫出来るのであれば、貯金よりも得で、山芋に感謝しよう。だが家内は毎年ムカゴ御飯を食べることに飽きていて、筆者が数回に分けて収穫するムカゴをあまり喜ばない。先月だったか、ムカゴを煮たものが夕飯の酒の肴に出て来た。ムカゴ御飯は飽きたので、去年冷凍保存したと言う。それで先日はもう今年のムカゴを摘み取った。話を戻して、沈丁花のすぐそばに山芋を植えたので、山芋は蔓を這わせるには沈丁花しかない、沈丁花は迷惑だが、開花は邪魔されず、また沈丁花は弱ることなく、毎年大きくなっているので、夏から秋にかけて山芋の蔓に全体を覆われることはさほど光合成の邪魔になっていないようだ。山芋にすれば環境がいいようだが、それを
ヘクソカズラが狙って今年は山芋の葉に蔓を絡ませた。こうなると沈丁花はさらに迷惑だが、安心していた山芋は自分そっくりの葉を持つ、しかもムカゴのような人間に有益な実をつけず、それどころか強烈に屁や糞の臭気を発散するヘクソカズラに歯ぎしりしているだろう。植物の世界も人間界と同じく、絶えず生存競争が行なわれている。ヘクソは筆者も大迷惑で、根こそぎにしたいが、山芋と区別がつかない蔓だ。今年のムカゴの量が少ないのはヘクソが繁茂したからで、これをどうにかしなければならない。苦々しいが、どうしてヘクソと山芋を区別し、年内の間に前者をどう駆除出来るだろうか。山芋に絡むヘクソは「飛び出しボーヤ」のようなものだ。ある日突然生え、気づけば花が咲いていた。嵯峨のスーパーへの途上、長慶天皇の御陵がある。その垣根に1か月ほど前にヘクソが絡まって花が咲いていたのに、最近すっかりなくなっていた。管理者が除去したのか、近所の人が取り除いたのか、なくなったそれが今度はわが家の裏庭で咲いた。種子を鳥が運んで来たのか、風に乗って根づいたのか、嫌われ者の雑草らしく、抜け目なく、また逞しい。

苦々しいのは最近特にニュースが多いアメリカの黒人が警官に殺されることだ。
「苦々し ニガーは生きる 待たんかい」と俳句風に今ひねり出したが、アメリカはいつまで同じような黒人差別をやっているのかと思う。たぶん永遠になくならず、それゆえ永遠に差別撤廃の標語を唱え続けねばならない。そう考えると、差別する側になって恰好悪さを晒したくない。黒人がニガーと呼ばれるのはいい気がしないと言われるが、ザッパは黒人メンバーに「ニガーの商売」という意味の題名の曲を歌わせたし、自分の顔を黒く塗ってアルバム・ジャケットにその写真を載せ、ニガーを売りにした。一方、先日TVで神戸人形の復元製作者とその作品を紹介する番組を見た。戦前神戸にやって来た外人のお土産用に主に作られた人形で、どれも顔が真っ黒で、黒人をイメージさせる。また60年ほど前、オリエンタル・カレーを販売する車が大阪市内にあって、ルーの素を買うと、黒い顔に赤くて大きな口の黒人をデザインした大きな風船がもらえた。同じ昭和30年代、「だっこちゃん」というビニール製の黒人の赤ちゃんを模した人形が日本中で爆破的にヒットした。そうした日本の黒人人形は黒人奴隷をどこかで思わせ、今や黒人に差別と受け取られかねない。とはいえ、人種差別は黒人だけを対象にするものではなく、アジア人、ユダヤ人など、ほとんど人種ごとにあって、人種の特徴を紋切に表現することも永遠になくならないだろう。どんなことにも世代を超えて継がれる種子があり、残念ながら差別の種子もなくならない。残念な人間が皆無にならず、残念でない人間の残念さもなくならないからだ。さて、今日は筆者が所有する駐車場のフェンスに繁茂するニガウリの写真で、これは毎年畑を所有する人が植えている。フェンスは畑の所有者と筆者のものであるはずだが、当然ニガウリはすべて畑の人が持って行く。写真を撮った今月8日、フェンスのこちら側の下に黄色になった小さな実がひとつ落ちていた。食べられないことはないが、柔らかくて食感は悪い。ニガウリは青い、つまり未熟なものを食べる。熟すと表面がぶよぶよになり、縦に裂けて中の真っ赤な種子が覗く。その様子を若冲は描いているが、当時は今のように盛んに食べなかったはずだ。種子の表面はぬるぬるして光沢があるが、甘いので鳥が食べる。そして内部の核としての種子は消化されずに糞と一緒に出る。種子が見えるものがないかと探すと、3枚目の写真のように葉に覆われた状態で見つかり、赤い実も覗き、女性器を連想した。また男がそのように思うことをきっと女性は苦々しく感じるだろうことも頭をよぎった。とはいえ、女性が卵子を持ち、性器から子どもが出て来るのは事実だ。それゆえ肌が黒く、唇が分厚い黒人をキャラクター化することも、何でも単純な意匠にする人間の本能と言えよう。それが駄目なら漫画における人物の誇張表現も糾弾される。

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