成長を見るのが楽しみ。蒔いた種子から双葉が出て、その後の成長がよければ、自分も生きていることが実感出来る。そういう客観性がピエール・ガスカールの本から伝わる。数日前に彼が39歳で書いた小説『種子』を読み終えた。

1955年にガリマール社から出版され、和訳本はその2年後に出た。あえてその初版本を読んだのは、筆者が6歳の時に大人が読んでいた本を現在読めることの成長ぶりを確認出来ると思ったからだ。文字が読み書き出来ることは素晴らしい。それこそが人間が他の動物とは違うことの代表的能力で、文章からはるか昔の人の思いがわかり、また自分の文章を未来に読む人がいる可能性がある。そのことをガスカールが思って『種子』と題したのかもしれない。実際、彼は自分が死んだ23年後の現在、翻訳を通して読む人が異国にいて、こうして感想を綴ることを予想しなかったことはないであろう。筆者のこの無味乾燥ながら六味感想戀態思惑の文章を読んで、本書を読む人が出て来るかもしれない。それは筆者が与り知らないことだが、人間も生きている間に種子を残す存在であることは確かで、本書が『種子』と題されたことに感じ入る。本書は題名からある程度予想出来る内容で、ガスカールについて知っていたことからさほど大きく外れることは書かれないが、39歳での本書の上梓は驚くべき才能で、そういう彼の少年時代の2年ほどを本書から知ることが出来る。また巻末の解説を書く訳者の青柳瑞穂の文章が、本文の訳とともにとてもよく、ウィキペデアの無味乾燥のデータ文章から伝わらない香りがある。こういう巻末の解説やまた訳文の質については、ネット時代になって無視されていると思うが、訳者がいて原著者のことが広く伝わる。原語で読むに越したことはなくても、そういう知識人は稀で、まして他者が読むようにていねいな日本語に置き換えることは特別な才能と多大な時間を必要とする。筆者は今仕事の合間に、英語の原著『TRILBY』を読んでいるが、幸いなことにフランス語で書かれた部分はわずかで、またそれは簡単な会話なので辞書なしでもおおよそわかるため、頭の中で日本語に置き換えることなく楽しみながら読んでいる。そこで思うのは、日本語に訳すことは原書を読む数倍の時間を要し、またその訳文は決して原語で読む感動と同じものを与えないであろうことだ。
青柳氏は「ガスカールの文体こそ、彼の才能の本質をなしている」とし、日本語に置き換えることの困難さを書くが、読者にはありがたみのほうが大きいことは言うまでもなく、小学1年生の時に日本に紹介された本書を読みながら、筆者は自分の成長を回顧した。ただし来年は古希で、成長したい気持ちは山々でも時間切れで人生は終わる。また、エルザ・トリオレが『ことばの森の狩人』で「翻訳者は創造者としては二流」といったような書いたことを思い出して自分の本職に精を出す。青柳氏は解説でこう書く。「ガスカールは、≪ここ十年、文学の地平線に現れた最もすさまじい才能の作家≫だという批評家の讃辞はあったにしても、フランスの文壇で花やかな存在などでは決してない。日本でも前二作が問題になったようには聞いていない。そんな作家のものを今さら苦労して訳すなんて、不思議でなければ、バカげたことだと言われても仕方がないだろう。」 後半は翻訳者の物好きを示すようだが、ガスカールの著作は半分ほどしか訳されおらず、当時の日本に本書に目をつけた人た出版社がいたことに感心する。前半は本書からわかる。本書は自叙伝で、ガスカールが経験しなかったことはわずかでも書かれていないはずだ。あまりに苛酷であった少年期を回想することにそういう空想を交えることは意識して排除したはずで、本書は娯楽を求めて読む小説ではない。小説は暇のある人が気晴らしに読むことは確かだが、本書から感じるのは一粒の種子がどんな困難があっても生き抜いて行こうとする本能で、読み手はそのことから同感ないし勇気を得る。もうひとつ言えば、「持って生まれた才能」だ。ガスカールのような頭のよさと文才は誰も持ち合わせているものではないだけに、「文学の地平線に現れた最もすさまじい才能の作家」であると評価されたが、その「持って生まれた才能」は苛酷な少年期を経験し、その後の努力の連続によって獲得したものだ。人それぞれに身丈に合った努力をすれば、生まれもった何かが開花する。そのように思わない人は読書せず、本書の存在を知っても読まない。本書はガスカールのように文章を綴ること、読むことが好きな人のためのもので、またそういう人はある程度ガスカールと同じように才能を磨く努力をしているので、本書から人生の指針を与えられたと感じる人は少ないだろう。筆者は小学1年生の時に本書を知らず、知っても読めず、今頃読んでいるが、本書に書かれるガスカールの小学5,6年生の頃と自分のその当時を重ねながら、ガスカールのその後の人生と筆者のそれを比較し、筆者なりの人生行路を振り返ってガスカールとの差、国の差、時代の差など、さまざまなことを思いながら本書の密度の高さに唸る。今は次のガスカールの著作を読み始めていて、今後彼の本は可能な限り全部読みたいと思っているが、その理由は少年期に苦労した点で筆者と重なり、資質が近いと感じるからで、ガスカールの言葉を借りれば、「闇の友愛」のようなものを、おこがましいことは承知のうえで筆者は彼との間に思う。それが文字を介してのことで、筆者がこうして毎晩ブログに書く駄文も、それを通じて読者の中には同意してくれる人があると想像する。翻訳者の仕事が二流であればこのブログは三流にも届かないことを自覚しての即興の饒舌に過ぎないが、何らかの種子には変わりがないとの一抹の自負はある。
本書はガスカールの母が死んだ後、父が田舎町に住む叔父夫妻にガスカールを預け、ガスカールのその町での疎開生活を綴る。第一次大戦後のことだ。ガスカールの母はセーヌに入水自殺したが、本書後半はそのことが核になって行く。また入水自殺したであろうことをガスカール少年は思っているが、そのことを叔父叔母は話してくれず、2年後に自分を迎えに来たパリ在住の父に訊ねると「今は知らないほうがいい」とはぐらかされる。本書以降、成長したガスカールは第二次大戦に従軍し、ガスカールの前半の人生は暗い経験の連続であったと言ってよく、そういう暗さ、血の臭いは本書に横溢している。ヨーロッパの国であるので、日本以上に家畜を屠ることは日常的で、本書には贓物や血の塊がひとつの大きなイメージとなっているが、一方で本書の題名の種子の話題も冒頭から出て来て、人間が生きて行くのに植物と動物が欠かせないことを読者は感じる。それは田舎町のことであるからなおのこと当然と言え、日本の当時も似た社会であったろう。現在は野菜も家畜の肉も魚介も同じトレイにパックされてスーパーに並び、清潔かもしれないが、自然に触れる機会が激減し、人間は軟弱になり、また不幸に陥ったと考えることも出来る。本書では、貧しさゆえでもあるが遊びが自然の中にあって、ガスカールは他の少年と活発に町をうろつき、その隅々まで知り尽くし、一方で大人を観察して、自我、個性を確立して行った。つまり、経済的に、あるいは肉親の愛に恵まれなかった分、工夫を凝らし、遊びから創造性を学んだ。それをガスカール少年は意識しなかったであろうが、40歳近くになって30年前の細部まで鮮明に思い出して本書を書き上げたことは、いかに10歳頃の少年期が人生において決定的であるかを示唆しているが、ガスカールと遊んだ少年少女たちがその後無名の人として消えて行ったことに対し、ガスカールが「すさまじい才能」を発揮し得たのは、「栴檀は双葉より芳し」の譬えのように、持って生まれた才能が種子として少年期に宿っていたからだ。そのことが本書に書かれないのは、強い自惚れを伝えることを忌避したためか、あるいは本書では蛇足的な事柄に属すと考えたためか、ともかくガスカールは田舎町の小学校で1番の成績であったとしか書かない。学級、学年で1番というのは、国家単位あるいは世界中では毎年何十万人もいて珍しいことではない。そういう成績のいい者が世の中で目立った存在になって行くかと言えばそうとは限らないが、本書に書かれるように、ガスカール少年の記憶力のよさは周囲の知的な大人の目に留まり、期待がかけられ、ガスカールはそのことに鼓舞されたこともあって、あるいは田舎町の大多数の人の貧しい暮らしを見て、それから脱するには勉学に励むしかないと思ったのだろう。

そのことで開高健を思い出す。開高は小学生の頃に餓鬼大将にいじめられたが、彼らは本を読まず、その後開高が有名になったことを知らない。同じ例はいつの時代もよくある。子ども頃からもう大人になってどういう生き方をするかは決まっている。またガスカールはパリ育ちゆえ、疎開した田舎町の子どもたちからは敬遠されたが、本書にはいじめられたことは書かれない。いじめられるほど軟弱ではなく、賢いと目されていたからだろう。それにガスカールはとても注意深く、しかも貧しかったから、いかにして小遣い銭を自分で得るかに敏感であった。ところが、得た金に執着はなく、叔父叔母に預けて顧みなかった。この性質は大人になっても変わらず、先日感想を書いた『肖像と回想』のアラゴンの思い出にも同様のことが述べられていた。貧しいから金はほしいし必要だが、金儲けが人生の目的では絶対にないという思いだ。本書の冒頭に桃の実を食べた後の種子をゴミ箱から漁る話が出て来る。そうして缶いっぱいに集めた種子を買ってくれる人があるのだ。その種子拾いをガスカールは自分より貧しい同級の少年と毎日行なう。それはゴミ箱をひっくり返しての作業で、臭気と蠅に悩まされる。それにゴミ回収業者より先にゴミの中から桃の種子を見つける必要があり、しかも腐った種子は水に浮いて発芽しないので買ってもらえない。またそのゴミ漁りには別のライヴァルもいて、やがてガスカールは一計を案じる。種子を売った金で桃の苗木を買うことで、苗木を育てて桃の実をたくさん作れば実も種子も売ることが出来ると考える。そしてゴミ漁りで得た金で5本の苗木を買い、植える場所を探して、教会の中庭が人目につかずにいいと思い、教会の堂守りの子どもと今度は仲よくなる。苗木は日当たりが悪く、いくら水やりをしても成長せず、枯れてしまうが、教会に出入りしている間にガスカールは叔父叔母の家にいるよりも教会内部の静謐を愛し、やがて司祭の目に留まって手伝いを頼まれる。桃の種子拾いよりはるかにきれいな仕事で、また小遣い稼ぎもよく、さまざまな人間観察も出来たことが、その後の人生に大いに役立ったと思われる。ガスカールはその教会で葬式や結婚式などの儀式の手伝いや聖歌隊で歌うが、その後のガスカールがキリスト教をどう思ったかは本書から何となくわかる。ガスカールは教会がどういう仕事をして司祭の生活が成り立っているかを知り、キリスト教の多くの知識も得たが、他者の死やまた結婚の裏に多くの大人の事情があることを見抜き、感情移入せずにひたすら役目を果たしてチップをもらうことのみ専念した。情に流されないと言っていいその態度は叔父と叔母にも向けられ、ガスカールは彼らに感謝の念を感じない。それどころかかなり冷淡だ。それは母が自殺し、自分は捨てられたという思いがあったからだろう。
叔父叔母は自分の土地をほとんど持たず、ようやく数キロ離れたところにごく小さな土地を買う。その農作業をガスカールは手伝うが、ある年は豪雨から川が氾濫し、家畜や畑を押し流してしまい、農民の過酷な暮らしを実感する。叔母は豚を解体し、その腸を水洗いする仕事に従事しているが、塩気で手は常に荒れていて、また体は独特の臭気まみれで、生活の苦しさがさまざまに描写される。WIKIPEDIAには伯父とあるが、本書では叔父とあるので、ガスカールの父より年下だろう。30代半ばと想像するが、当時のフランスの田舎の平均的な、無学な農民の暮らしぶりが本書からよくわかる。ガスカールが疎開先で特別に仲よくなった少年は、桃の種子拾いを一緒にした貧しい子と、第一次大戦で眉間に銃弾を受けて死んだ教会の堂守りの子のふたりで、彼らはイニシャルさえも記されない。それはガスカールがその町を出た後、二度と彼らに会わなかったことを示唆する一方、彼らから恩恵と呼べるものを受けなかったからだろう。借りがあったとしてもガスカールはそれを返した。それほどに彼は機転が利き、小遣い稼ぎの有利な方法を考え出した。ただし、そのことが裏目に出て、警察沙汰になり、警官ふたりが叔父叔母を訪れる。そこでガスカールは叔母から頬を打たれ、また半ば文盲の叔母はガスカールの父に手紙を書き、やがて父がやって来る。また警察沙汰は町全体に知られたようで、教会の小遣い稼ぎの仕事を失い、また桃の種子拾いに戻る。警官ふたりは事を大きくせずにガスカールを見逃したのは、彼の母が自殺したことを叔父から聞き出し、憐れで特殊な子と思った温情からだが、それは危険な子なので他の子は近寄らないほうがいいという思いも混じっていた。自然豊かな町であるので、遊びを兼ねた小遣い稼ぎはいろいろあって、鳥に石を投げて殺しもするが、パリ住まいと違って自然と大いに触れ合ったことが後のガスカールの自然への関心を育んだと言ってよく、本書は後年の書物に大いに関係しているだろう。鶏を捕まえてその肛門に勃起した男根を挿入して射精する暇つぶしの遊びを他の少年たちがするのを目撃することが書かれるが、彼らはことごとく、井戸水を飲んだことで赤痢に罹り、呆気なく死んでしまう。ガスカールは町中の井戸の場所とその水の味を知り、まずい水の地域は家並みも暗いことを見抜くが、そうした鋭い観察眼から赤痢にならずに済む。これはいかにして生き抜くかという慎重さの表われで、後年従軍した時の行動につながっている。過酷な中を生き抜くには知恵と行動力がものを言う。それは裏づけのない勇気、無鉄砲とは違う。またその知恵は自らの行動で得たもので、もちろん読書もそこに含まれるが、ガスカールが後年カイヨワ賞をもらうことは本書に種子のような形で書かれているように思える。
クラス一番貧しい桃の種子拾いの少年と一時疎遠になったのは、ガスカールが教会の司祭に気に入られて小遣い仕事に恵まれたからだが、別の大きな理由があった。それは認知症の高齢男性が川に身を投げようとした時、川で洗濯していた女性たちにそのことを大声で知らせて一命を取り留めたのに、後日またその老人が同じことをしようとした時、ふたりは声を出さず、ただ遠くから見ていただけであったからだ。お互いそのバツの悪さから会わないようになった。この身投げの目撃はガスカールの母の自殺とだぶり、本書でさり気なく書かれてはいるが、人の死を目の当たりにした大きな経験で、本書の核と言ってよい。仲よくなった男子は全員無名で登場するのに、ひとりだけ名前が書かれる女子が登場する。その同級生は、ガスカールが司祭の手伝いのひとつの仕事として長い祈祷文を素早く唱えられる噂を聞き、実際はそれは出鱈目で、それを隠すために早口で言うのではと疑ったのだが、彼女の前でガスカールは正確に唱え、彼女は見直す。そして当時のガスカールは女の子の裸を見たことがなかったが、彼女にスカートをまくり上げさせ、パンツを引き下ろさせて陰部を眺め、それが茶色で、あるアルファベット文字のようだと思う。そういう初めての経験ゆえに、ガスカールは特別彼女のみ名前を出したのだろう。だが、田舎町を後にして彼女とも永遠に別れたはずで、父が迎えに来た後、数か月は同じ町に留まったが、以前のガスカールとは違って本を読み、勉学することに精を出し、奨学金を得る難関の資格を取得する。本書はそこで終わる。田舎町での暮らしは2年少々だが、その濃密さがあったので後年のガスカールが形成された。両親が揃い、パリ住まいのままでは別の人間になっていたか、あるいは同じ文学者でも質は大いに違ったのではないか。日本のドラマ『おしん』と同じように本書のガスカール少年は惨めで辛い経験をしたが、『おしん』の主人公と違って金儲けが成功とは思わなかった。そのため、本書は娯楽要素が少ない、つまり読者へのサーヴィスは乏しいが、笑いや甘さを排除した、ひたすら客観的な眼差しに貫かれ、ガスカールが目撃した光景が次々に眼前に広がる。ガスカールには母がいない負い目、さびしさがあり、努力しなければ人生は変わりようがないことを10、11歳で自覚していたのだろう。そこに憐れさや健気さを感じてもガスカールを侮辱していることにはならない。動物植物を含めて生き物はみな憐れで健気なもので、精いっぱい生きて行く。本書から改めて生きる勇気をもらった気がする。今日の最初の写真は左が原書、右が筆者が読んだ講談社からの初版、2枚目の写真は70年代に出た特装本で、竹馬に乗った少年ふたりのイラストが表紙中央に貼られる。3枚目は講談社本の小口だが、元は原書に倣ってのフランス装であったのか、ペーパーナイフで切り損ねた箇所がある。

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