旭日をここ10数年は見ていない。朝寝坊するからだ。とはいえ、今日は8時過ぎに起きた。いつもより1時間以上早い。睡眠は7時間半から8時間は取るが、寝つきがよく、またどこででも寝ることが出来るので、眠くなれば仕事の最中でもごろりと横になって30分ほど寝る。
今朝パソコンを開くとアメリカの大西さんからザッパ・ニュースのメールが届いていて、その最後に筆者の誕生日が今日か明日かと書いてあった。69年前の今日の朝8時過ぎに筆者は生まれた。星座はVIRGOの乙女座だ。それでその品種の薔薇の鉢植えを数年前に買った。この品種はフランスで40年代終わりに出来た。エルザ・トリオレの
『幻の薔薇』は薔薇の新種開発が重要なテーマになっているが、一昨日はあまりそのことには触れなかった。内容を詳しく書くと、それを読んだ人はわかったつもりになって読む気が起こらないと思うからだ。家内にいずれその本を読ませるつもりで、今日は嵯峨のスーパーに向かいながらその本の内容を少しだけ話したが、家内はもう読んだ気になった。それで言ったことは本筋にあまり関係ないと念押しした。それはともかく、エルザは創造に関心が強く、マルティーヌの夫ダニエルが携わる薔薇の新種作出もそうと思っていた。ところがダニエルの妻のマルティーヌは美容師で、客のマニキュアを塗ったり髪を整えたりし、それはそれなりに美の創出と言えるが、消耗品としてのそれで、より恒久的な美に比べてあまりに短命だ。スーパーに向かいながら家内に話した『幻の薔薇』のこともそれに類する。借金に追われたマルティーヌは一発逆転を狙ってTVのクイズ番組に出る。そして流行りのシャンソンを次々と当てて50万フランを手にする。後に二匹目のどじょうを狙って再挑戦すると、さっぱり答えられず、参加賞の石鹸だけもらって帰る。流行歌は毎年新しい曲が登場し、マルティーヌはその最先端を熟知するには年齢を重ね過ぎていたのだ。そう言えば今日の午後、TVで歌番組があって、元気な中年女性がニュー・ミュージックを歌っていた。筆者は初めて聴いたが、家内によると10数年前のヒット曲で、その1曲以降ヒットがないと言う。1曲でもヒットしたことをたいしたものと見るか、その曲以降ヒットがないことを惨めと見るかは人によりけりだが、筆者はそもそもその曲を知らず、興味も湧かなかった。マルティーヌは完璧な美しさが好きであるのに、夫が栽培する薔薇に無関心であった。そしてダニエルの薔薇農園で枯れた大量の薔薇の花を見て嫌悪の情を催すが、それはマルティーヌが老いを意識したくなかったことの暗示だろう。今日も『幻の薔薇』について少し書いたが、肝心な部分は避けているし、また小説はじっくり読み込むことに面白みがあるから、いくら内容を詳しく説明しても原作の価値は減らない。
今夜は嵯峨のスーパー4軒をいつもより早めに回った。嵐山の花火が午後7時に早まるかもしれないからで、家内を急き立て、渡月橋南詰めに戻って来たのはまだ明るい6時40分であった。真っ暗にならねば花火は上げられないはずで、買い物の荷物を家に置いて出かけ直しても充分間に合う。帰り道でJR嵯峨駅前の左手に満月に近い月を見たが、その時にその月を背景に花火を写そうと思った。それには嵯峨で撮影する必要がある。警備員が20人ほどは出ていたであろうか、人出もかなり多い。カメラを持って筆者はまた渡月橋をわたり、「花のいえ」まで歩いた。23日はその建物の玄関前で花火を見たが、今夜は玄関前から道路を越えた三条通り南側の歩道に陣取った。すでに大勢の人で、みんなスマホを持って用意している。中ノ島公園のテントから女性がアナウンスしていて、昨日と同じく7時10分から始まることがわかったが、歩道際から桂川を見つめていると、背後の学生アルバイトの警備員が、他の仲間に「少し早まる」と言っているのが聞こえた。空を見るとまだほんのり青く、しかも月が昇っている場所を中心に白くて厚い雲が広がっていて、結局花火の最中も月は顔を出さなかった。筆者は月が花火の中心になるように撮影したかったのでわざわざまた「花のいえ」まで出かけたのに、期待が外れた。花火は最初に合図として1発上げられ、その1分後に始まると今日は聞いた。今夜は最終回で、その最後の数発同時上げられる花火をうまく撮影するのが目的であった。そして最後に撮ったのが今日の最初の写真で、上が少し切れたが、これから大きくなる、いわば蕾状が3つほど見えるので、却って縁起がいいと思い直す。昨夜は撮影をかなりしくじったが、今夜はドンという音がなって0.5秒ほどしてシャッターを押すと花が咲いたように比較的うまく写ることを知った。また3色でスマイル・マークを象ったものが3発あったのにそれらを1枚も撮影出来なかったが、動画がYouTubeに投稿されているだろう。それを見れば筆者の写真はほとんど無意味だが、それはそれ、これはこれで、筆者が撮って加工し、早速投稿することに意味があると思うことにする。ともかく、誕生日の今日、40年ぶりに上がった嵐山の花火の最終日で、家内は何となく喜んでいた。とはいえ、筆者は還暦を祝わず、今日も感慨はない。
昨日の最初の写真はいかにもコロナウィルスが破裂するようで、年内とは言わないが、感染の心配が早くなくなればと思う。そうそう、エルザ・トリオレの「ナイロンの時代」の第3作『魂』の原書を今日フランスに発注した。積読になると思うが、家内は昔筆者が家内と暮らし始めてすぐの頃、NHKのラジオ放送でフランス語講座を2年ほど聴き続けていたことを思い出し、「また勉強したら」と言った。時間がいくらあっても足りず、気づけば69歳になっていた。
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