縫うことはやり直しが利く。現在筆者は友禅の糸目作業をしている。これは糸のような細い線を生地上に引くことで、やり直しは利かない。1ミリずれても気に入らない厳密な図案を描いているのに、それを糸目で引く場合、全く同じ線が引けるとは限らない。
自分で描いた下絵の線どおりに糸目が引けないことは癪に障るが、この酷暑だ。冷房なしでの作業で、糸目糊やそれを入れて絞り出す筒紙の状態で思うように糸目が引けない場合が多々ある。手直しする方法があるが、必ず痕跡が残り、却って醜くなる。友禅はそういう一発勝負の連続で、極度の緊張を強いる。その点、文章は気楽だ。誤字脱字があっても後で直せばよい。そうすればより完璧に近づく。さて、先週土曜日の夕方以降、筆者のブログがログイン出来なくなった。何度試しても同じ画面が出て、シジフォスの神話にある山頂に岩を持ち上げる作業を思った。クロームのせいかと思い、IEで試すと同じ状態だ。調べるとエキサイト側の故障でもない。ログイン出来ない状態を検索し、しかるべき処置をしたが、あれこれ試しても駄目で、しまいには画面が表示されなくなった。そのため、当夜の投稿が出来なかったが、翌日つまり昨日には元どおりになっていた。アクセス数がわかるページを開くと、筆者が困っていた22日の数値が空白で、エキサイト側の故障が原因であったようだ。その日は各地でコロナ退散祈願の花火が打ち上げられたが、雷も多く、死者まで出た。雷の影響でエキサイトの大型コンピューターの具合が悪くなったのだろう。やはり電気を使ったものは安心出来ない。こうして書いている文章が一瞬で消えることは充分あり得る。それで物としての本が安心だが、それには大きな費用を要し、誰でも出来ることではない。またそうであるから本を書く人は尊敬されたが、今はそうでもない。本をじっくりと読む人が減り、つまらない内容の甘い本が増えたからだ。ネットに載せる文章も、書き捨て、読み捨てで、わざわざ本にすべき内容は皆無に等しいだろう。たとえば精神病やスピリチュアル系のサイトは、10あれば10とも同じ内容で、使っている言葉やその順序まで同じだ。それで商売出来るのであるから、いかに読み手が使い古された安易な言葉を喜ぶかがわかる。わかったような気持ちにさせることが大事で、本当に目覚めさせてはならないのだ。筆者のブログは糸目の作業と同じく、やり直しが利かない思いを抱いている。その真剣さを伝えたいというのではない。筆者は読者のことを考えていない。どう書いても文句を言いたい人はいる。筆者は地道に作業することが好きなのだ。それをシジフォスの神話にある徒労の連続とは考えない。それを言えば人間は生きていることがそうであるからだ。人間はやり直しが利くとよく言われるが、そうでもない。そんなことを言っている者が結局何も出来ずに死んで行った例をいくつも見て来た。
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