蝶は左右対称だが、稀に雌雄同体が見つかる。昨日はクワガタ虫の雌雄同体が見つかったというニュースがあり、画像からは角が片方しかなく、明らかに左右対称ではなかった。
今日はエルザ・トリオレの本について紹介しようと思いながら、「風風の湯」から帰って飲んだ缶ビールに少し酔ったせいか、最近よく目にする「Black Lives Matter」をどう日本語に訳せばいいかが気になって、そのことについて書く。そう言えば数日前のネット・ニュースで村上春樹がこの標語を「黒人だって生きている!」と訳していた。「だって」を使うのであれば、原文に「also」が必要だが、差別する白人への標語と思えば、「黒人も」というニュアンスを強調して訳すのは間違いではない。先にエルザ・トリオレの本云々と書いたのは、彼女はロシア語で育ち、その後にフランス語を学んだので、死ぬまでふたつの言語で物を考えて小説を書き、翻訳について人一倍意識が強かったからだ。そしてこの原文と翻訳文は蝶の翅のように可能な限り左右対称であらねばならないと思っていたが、それは簡単なことではない。「Black Lives Matter」もそっくり日本語に置き換えることは困難で、まだまともな訳がない。英語はフランス語やドイツ語よりはるかに難しいと言われるが、この標語を見るとそう思う。「Black Lives」は「黒人は生きる」でいいだろう。村上春樹のように「生きている」とすれば、現在進行形のニュアンスが混じる。問題は「Matter」だ。これを村上春樹は省いている。あるいは、「だって」に含めている。であれば、原文は「Black Also Lives」になる。やはり「Matter」を訳したい。ところがこの単語は多くの意味があって、標語がどういう意味で使っているのかわかりにくい。当然それは白人に虐げられていることに抵抗する意味合いで、そのことを翻訳に反映させねばならない。そこで筆者は最初「黒人はしっかり生きる」と訳したが、これは白人警官に逮捕されるようなふらふらした人ばかりではなく、まともに生きている人がほとんどとの思いを込めてのことだ。「Matter」を副詞の「しっかり」と訳すことは本当は間違いだが、「事」や「重要な事」の意味を汲めば、「確固たる」の意味合いはまとっている。それでも「しっかり」は「しっくり」来ない。そこで「黒人はまったり生きる」と冗談に思いついたが、「まったり」の意味は「マター」のそれとは大いにずれている。次に思い浮かんだのが、「マター」と発音が近い「待った」だ。「待った! 黒人は生きる」は、白人に対して自分たちの存在を無視するなと抗議の意味合いを含む。無視は虫で、黒人は虫ではないぞとの思いだ。白人は白人以外を虫けらのように思うところがあるが、待った!またそうイキるな、お互いまったり生きようぜ、全く! 憎悪から憎悪を生む左右対称は醜い。
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