輝かしい青春と言いたいところだが、自殺する若者が少なくない。そう人にとって「死ぬ気になればどんなことでも出来るのに」という言葉は慰めにならない。

苦しさから逃れたい気持ちに捉えられ、その「どんなことでも」という意味がわからない。ビルから飛び降りるか、電車に飛び込むか、自殺のほうが何をするよりも簡単だ。自分が死んでも悲しむ人がいないという絶望もあるだろう。好きな人が強く悩んでいると、自分まで苦しくなる。その好きな人から好かれていなくてもだ。それが恋か愛か、どう呼ぶにせよ、気になり初めてやがて好きになるという感情は若者だけに限らない。むしろそういう気持ちを失えばもういつ死んでもよく、生きている意味はほとんどない。とはいえ、なかなか生身のそういう相手に出会える機会はない。SNSで出会いを積極的に求めたり、結婚相手を探したりする人もあるが、SNSで見ていた写真とあまりに違って落胆する漫画的状況があるので、実際に会って雰囲気を確認するべきだが、そこまで漕ぎつける相手がそもそもSNSにはいないだろう。以前ある独身女性がSNSを利用していると、あからさまにセックスの誘いをして来る男がいると言っていた。その言葉を聞き、筆者はそういう男は論外としても、彼女が暇つぶしも手伝ってSNSで男との出会いをそれなりに求めていることを想像し、また同情もした。かなり知性のある美人で、彼女に似合う男となれば、まずSNSにいるはずがない。また素敵と思える男はみな許婚者だ。彼女のような中年になると人生のやり直しはなかなか困難だが、ごくたまに彼女のことを元気でいてほしいと思い出す。女の幸福は結婚だけに限らず、好きな相手と一緒に仲よく暮らすことでかなり満たされるだろう。あるいはそういう相手がいなければセックスで満たされるだけでもいい。筆者はガソリン・スタンドでアルバイトをしたことがあるが、その時に気に入られた5,6歳年長の社員がある日、耳元でささやいてくれた。店員の30歳くらいの女性が夜になるとまた店にやって来て、当直専門の70代の男性警備員と店の2階の部屋でセックスするとのことで、筆者はその女性と男性の顔を今もよく記憶するが、別段それがいやらしいとも感じなかった。女性も男性もとても人がよさそうで、また実際そうであったが、親子以上の年齢を超えて響き合うものがあったのだろう。女性は婚期を逃すか、失恋し、その爺さんが相談に乗っている間に関係が出来たのだろう。お互い独身であれば非難されることでもなし、店長も噂を聞きながら黙認していたと思う。ついでに言えばその店長は人格者であったが、あまりに人がよ過ぎて店員に舐められ、やがて店は倒産した。ついでに書くと、筆者に耳打ちしてくれた店員は、日本女性のポルノ白黒写真を100枚ほど持っていて、学生の筆者には毒だからと言いながら見せてくれなかった。
今日の曲については以前に書いた気もするが、調べるとやはりまだであった。邦題は「会ったとたんに一目惚れ」で、「彼を知ることは彼を愛すること」という原題を意訳し過ぎと思えるものの、女性が素敵な男性を見て惚れてしまい、いつか彼と一緒に歩きたいと思いつつ、なぜ自分の存在に気づいてくれないのかとの恨み節を交える歌詞内容をうまくまとめている。この歌詞が初期のビートルズに多大な影響を与えたと言ってよいが、ビートルズはどのような歌詞を書くと大ヒットするかを、こうしたラヴ・ソングで研究した。この曲の恋心はそのまま男に置き換えることも可能で、その場合は題名や歌詞の「him」を「her」に変えるが、男が歌うとかなり奥手の恥ずかしがり屋となって、あまりぱっとしない。それでも現実はどんな男でも好きになった女性にすぐに声をかけてデートに誘うことはなく、しばらくは黙って見つめている場合が多いだろう。その一目見て気になり、もっと知りたいと思うことが恋であるという現実をこの曲の邦題は見事に示している。だが、「会ったとたんに一目惚れ」は長いし、また「一目惚れ」は「会ったとたん」であるから、「一目惚れ」でよさそうな気がする。ところがそうなればもっと大人向きの歌謡曲となって、初々しさが減じる。かといって「彼を知ることは愛すること」という直訳はあまりに無粋だ。原題の由来はフィルの自殺した父親の墓碑銘ということを読んだことがあるが、そうであれば「会ったとたんに一目惚れ」と訳すのはふさわしくなく、「人柄を知れば愛するようになる」という意味が正しい。この知るほどに好きになるという意味はなかなか美しく、墓碑銘にふさわしい。現実はその反対もあって、知れば知るほど幻滅したり、あるいは交際を断ち切られない場合は仕方ないと妥協したりすることのほうが多いだろう。男女ともに相手の仕草や言葉使いを見て気分が萎えた経験のある人は多いはずだ。そう考えると本曲の歌詞の汚れのない恋心は青春の輝き独特のものと言ってよく、そのことがアメリカのよかった時代に重なる。ところで筆者が洋楽をラジオで聴き始めた頃にはもうこのフィル・スペクターの曲はめったにオン・エアされることがなかったが、ビートルズが大ブームになっていた60年代半ば、たまに「会ったとたんに一目惚れ」という題名とともにこの曲が鳴ったことをよく覚えている。ただし、同じ女性ヴォーカルでも、フィルが参加したザ・テディ・ベアーズではなかった場合もあったかもしれない。ともかく、筆者は10代前半でこの曲を知っていた。シングル盤が出たのは1958年で、ビートルズが登場する4,5年前だ。そしてビートルズがEMIからデビューする以前、61年だったか、デッカでオーディションを受けた時の録音にジョン・レノンがリード・ヴォーカルを歌うこの曲があった。
そのアルバムを買ったのはビートルズの解散前であったと思うが、後にジョンはフィルがプロデュースするソロ・アルバム『ロックンロール』でもカヴァーし、ジョンがよほどこの曲を好んでいたことがわかる。ビートルズ・ヴァージョンは原曲にほとんど忠実で、筆者はどちらかと言えば絶叫型で歌う後者のほうが好きだが、誰もジョンのように歌おうとせず、また歌えもしない。そのヴォーカルを聴きながらスタジオでフィルはどのような感慨を抱いたであろう。本曲の中間部のメロディは歌詞とこれ以上は不可能なほどに合っていて、誰でも思い当たる恋心の神秘を表現しているが、ジョンのヴァージョンの中間部はあまりに華麗な音と声に彩られ、ほのかな恋心から発狂寸前の恋慕へと変化している。ごくたまに筆者はそのヴァージョンを聴いて極上の気分に浸るが、それは長く続かない。幸福は常に瞬時だ。だが、その輝かしい瞬時がポップスで得られるのは、人間にとって何という幸運だろう。ミュージシャンはそういう一瞬に人生を賭けるが、多くの人に知られ、喜びを与える大ヒット曲はそうは生まれない。話を戻して、ジョンのカヴァーはフィルの作曲家としての才能に敬意してのことで、またそれをいわばかつては雲の上の存在であった有名なフィル独特の編曲で録音したことに思い残すことがもうなかったのではないか。フィルはアルバム『レット・イット・ビー』やジョージ・ハリソンのアルバムのプロデュースもし、ビートルズによってさらに有名になったが、ジョージ没後の映画で赤いシャツを着て半ば呂律が回らない口調でインタヴューに応えていたのが印象的であった。まだ健在で長命であるのは父の短かった命をもらったのだろう。ビートルズ、特にジョンはこの曲の中間部の転調から大きな影響を受けたであろう。また本曲の中間部に匹敵するメロディをビートルズは書けなかったとも思う。手元に鍵盤がないので音を拾わないが、2分半の長さという暗黙の決まりのポップスで、どういうことが可能かの最適の見本が本曲にある。それほどに凝縮度が高く、その後アメリカのポップスは冗漫に流れる一方であったと言ってよいほどだ。日本の70年代以降のミュージシャンは大いにフィルの曲やサウンドを研究し、それを今のミュージシャンが受け継いでいるが、その複雑な音の推移は日本人向きではない気がする。複雑と言えばおおげさで、飽きないと言えばいいか、何度聴いても同じ気分が湧き起こり、聴くたびにひとつの奇蹟のように感じられ、筆者は夢心地の世界に誘われる。ただし、サビが終わった後はさびしさがひとしおで、サビを聴きたいためにもう一度最初から聴いてしまう。そのことをわかっていたのか、ビートルズはサビを2回繰り返す。それはそれでいいのだが、今度はくどくなってサビのありがたさが減じる。
ザ・テディ・ベアーズの原曲からビートルズ、そしてジョンのカヴァー・ヴァージョンまでの間にロックの大きな変化があった。最もいいのはフィルが最初に録音したヴァージョンで、ポップスの醍醐味の最良の見本だが、構造の模倣はつまらず、6,70年代は年ごとに新しい傾向の曲が出現して行った。本曲が50年代末期のアメリカの空気を濃厚に留めていることに流行歌の役割の大きさを思う。流行歌は流行ってなんぼであって、ラジオから流れないようなポップスは本当は意味がない。あるいはそういう曲は作詞や作曲、歌手の個性が刻印されているからにはそれなりに価値があるが、ごく少数の人しか存在を知らないポップスというのは語義矛盾だ。それで芸術性の観点から見直す可能性が残されているが、果たして多くの人に聴いてほしくて作った歌に、時代を予見する、あるいは時代の断面を鋭く切るような作詞者の眼差しがあるかと言えば、まあ無理だろう。それを目指すには、社会に対する鋭い眼差しと、何よりも重要な詩情が必要で、詩人であらねばならない。歌詞を大事にしていると主張するシンガーソングライターをよくいるが、それは当然過ぎることであって、なおそのうえに独自の言葉をどう選んでどう組み合わせて他にはない優れた個性を発揮するかだ。ところが、現実はありふれた言葉を羅列し、聴き手にはほとんど意味不明のことを歌って自己満足に耽る。そこで彼らの言い分は、何かのきっかけでラジオで流されるとヒットするはずという考えだが、そう言えばザッパも同じことを言い、結局ラジオ局からほとんど相手にされないながらも、誰よりも精力的に曲を書いて演奏し、熱心なファンを獲得して行った。ここで重要なことは、やはり誰よりも努力するという覚悟だが、努力でどうにもならない部分が流行歌にはある。曲が素晴らしくても歌い手によってはヒットしない場合がよくあり、流行は元来予想がつかない。そういう何が当たるか誰にもわからないことに挑むことは大きな賭けで、大多数の人は埋もれてしまう。それでも多くの人が活動を続けるのはなぜか。音楽の才能は割合早く開花するもので、30歳ではもう完成している。それでライヴハウスで活動するミュージシャンもだいたい30歳で見切りをつける。長く活動するとヴェテランと認識されはするだろうが、70代になって30代の異性からセックスを所望されるほどの魅力を持ち続けることは可能か。あってもそれは他人から陰でこそこそ言われることであって、格好いいことではない。一目見て気になった相手のことをますます知りたいのは、年齢に関係のない美しいことだが、筆者はもっぱら本やCDでその思いを満たしている。優れた才能による過去の作品は無限にあり、一方では石ばかりが目立つ玉石混交の現在の才能では玉はめったに見かけない。玉になるには玉であるとの自覚がまず必要だが、その時点で負けている人がある。
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