裕福な気持ちにさせてくれるのが夏のスイカで、子どもの頃、母が丸ごと1個をよく買って来た。そのことを思い出すと今さらに母に育ててもらったことを感謝する。

貧乏だったので家にはその頃扇風機もなかったが、現在のような猛暑もなかった。また筆者は夏生まれであるので、夏の暑さはあまり苦にならない。スイカは当時は半分に切ったものが売られていたかもしれないが、ラップがない時代で、またひとり暮らしの人は少なく、切ったスイカは人気がなかったと思う。それが今は野球のソフトボールほどの小さなものもあり、丸ごとよりも8分の1に切ったもののほうが圧倒的に多く売られている。先日自転車で向日市まで行く途上、上桂のスーパーで1個980円の石川県産のスイカを見かけた。帰りでは売られていた3個はたぶんなくなっている。買う際にレジに1時間ほど置いてもらえないかと訊くと断られた。それで買って自転車の前籠に入れて炎天下を往復20キロ近く走った。苦労したこともあって、その夜に食べた冷えたスイカは甘味は少ないが、おいしかった。昨日また同じスーパーで同じ価格で売られていることを知り、今度は家内と自転車を連ねて走った。ところが売り切れだ。近くの大型スーパーに行くと同じ石川県産が1280円で売られていた。家内ともども買い物で自転車の籠はいっぱいになったので、そのスイカを買わなかったが、今日はどうしても食べたくなり、筆者ひとりで買いに走った。ほとんど売れていないようで、同じほどの個数が残っていた。少し大きなものは1580円で、持ち比べると300円差の値打ちがないように感じた。レジに並ぶと、たいていの客は4000円ほどの買い物で、筆者はスイカだけ抱え、「これだけ!」と言うと、レジの女性は鸚鵡返しに「これだけ?」と言った。その大型スーパーで買う前に別のスーパー3軒に立ち寄ると、どこもスイカは高い。1000円程度ならいいかと思うが、税込みで2000円近いと買うのを躊躇する。葡萄も桃もとても高価だ。イチジクも1個100円ほどするので、もう見向きする気持ちもない。嵯峨のスーパーで最近1個だけ四角いスイカが売られていて、9999円の値札がついている。なかなか売れず、たぶん今日もそのままあるだろう。丸く育とうとするスイカを板で縛って四角く強制するその手間が、スイカ本来の価格を数倍にする。その歪なスイカは人間が歪なことに関心を寄せることの端的な例で、美とは何かを一方で考えさせもするが、丸くて大きいことに安心を感ずるのは本能だ。太陽も月も地球も丸くて大きいではないか。地球が丸いことを認めないキリスト教の一派があるが、人によって思う真実が違うと思っている人がいる。本来は丸く大きく心が育つはずなのに、自分で心の四方を板で囲って四角くなろうとする人がいる。格好悪いことに気づかない格好悪い人がいる。

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