嵩高いザッパのアルバムを両手に持って出かけた。プログレ総統の松本さんがザッパ・ファンを集めて
「大ザッパ会」なるものを開いたのは去年2月末だ。

今年の同じ時期にその第2回目の集まりを開きたいとメールがあって後、新型コロナが蔓延し、5月に延期になり、さらに延期になって昨夜行なわれた。ただし、相変らずのウィルスへの懸念で、客は10名が限界で、しかもマスク着用に入店の際は衣服の消毒が行なわれた。GO TOキャンペーンにもかかわらず、京都は観光客がまばらとのことで、人が小さな空間に長時間集まることは忌避される。そういう事情下でもライヴ好きの松本さんは工夫してライヴの企画をしていて、今回の「大ザッパ会」もそのひとつだ。この1年半の間にザッパの新譜は5種発売され、いずれも数枚組でしかも嵩張るグッズつきのものがある。それらを全部自賛して午後7時から9時少し前まで、途中15分の休憩を挟んで45分ずつ筆者が話すことになったが、結果的には10時までとなった。予約客は8名で、ソウシャル・ディスタンスを確保するため、2名は中2階に上がった。みな顔馴染みで、最も遠方は垂水の畠中さんで、彼は近いうちに大阪でライヴを見るとのことで、ライヴハウスは少しずつ動き始めている。またライヴの有料配信はやはり味気ないとのことで、ライヴは生で見るに限る。あたりまえの話だが、新型コロナでそれがことごとく否定されていて、とにかく感染拡大を注意深く避けるしかない。8名程度の客ではあまり意味がないような気もするが、松本さんによればライヴでも12名ほどで、またあるライヴでは客ひとりが6万円だったか、とても高額を支払うことになっているとのことで、客が少ないのに会場費や諸経費は同じだけかかるので、そのようになってしまうそうだ。大いに贔屓にしているミュージシャンを生で見たい人は6万円でも惜しくはなく、そのような熱烈なファンを抱える人がいることは想像がつく。コロナで困っているとわかっているだけになおさらで、ライヴハウスで活動しているミュージシャンは誰でもそういう熱心なファンをわずかでも持っているはずで、それが心の支えにもなっているので音楽活動が続けられるのだろう。ライヴハウスで演奏する収益で生活が成り立つミュージシャンの割合は知らないが、持ち出しになる場合もあることが想像される。そうなれば趣味だが、それでもそこには夢がある。それがいかに儚いものであっても本人の生き甲斐になっているからには演奏活動を続けるが、新型コロナはそこにひとつの大きな試練を与えている。筆者はミュージシャンでなく、またファンもいないので、「大ザッパ会」はザッパ情報の提供と筆者個人の思いを語るだけのことだ。またブログで新譜の感想を書いているので、人前で話す意義は乏しいが、顔馴染みの久々の交流の場として機能するし、意見交換から相互理解は進む。

筆者はフェイス・シールドの装着が予定されていたが、話しにくいかという店長の考えで、透明ビニールで囲われた中で話すことになった。話の間は玄関のドアを閉めていたので、マイクなしで充分であったが、音楽をかけている間は筆者の声は聞こえず、どの程度曲を流すかを思案しながら、2,3割が曲、7、8割が筆者の話ということになった。どういう順序でアルバムを紹介し、何をどう話すかは何も考えず、結果的に持参したアルバムのふたつは紹介出来なかった。最も話したいことを優先し、またそれはおおよそ時代順となって、話の流れとしてはよかったと思う。客がザッパについてどれほど知識が深いかどうか筆者にはわからず、またわかっていたとしても話したいことを話した。講演はそういうものだ。最後に質問の時間が設けられ、そこからまた筆者は話を広げた。それは誰よりも高齢の筆者の若い頃の、ザッパに直接関係のない経験談で、客の誰も知らない話のはずで、興味深いことであったとは思う。そういう予期しない話がこうした集まりの際に出ることがひとつの面白みではないだろうか。それは筆者が与えるばかりではなく、受け取ることも多く、音楽ファンが集まると未知の音楽への取っかかりが得られる。もちろんそれは知らないことを受け入れたいと思っていることが条件で、学ぶ意欲のない人はザッパの音楽に関心を持たない。その意味で昨夜の客はプログレを中心に多くの音楽を聴いていて、お互いに刺激し合える。そこにザッパの音楽を持ち出すと、あまりにマニアックな話に終始しがちだが、筆者がザッパの音楽や生き方に対する共感は、曲の細部にひどくこだわった綿密な思いと、その細部の仕上げを途方もなく大がかりに組み立てて行くその構築力を通じて、人生を逆算していたことだ。人生に限りがあるので、やりたいことの優先順位をつけると、捨てねばならない事柄が見えて来る。好きな仕事をいかに高度なものに仕上げるか。ザッパにはそれしかなかった。高度な作品。これがどのような表現者にも夢であるべきだが、プロを自認して金をもらう仕事にもかかわらず、いい加減な仕事で他人に迷惑をかけて平気な人が時にいる。そうした軽薄な生き方でも完全で高度な仕事は成就されると思っている人は多いだろうが、そういう人はザッパの音楽を皮相的にしか理解出来ない。とはいえ、そういった話は昨夜は全くしていない。10名限定と聞いていたので、一昨日お土産を用意し、昨日の昼は裏庭に出てそのパッケージの白い面に水彩絵具で鶏頭の花を描いた。それが今日の最初の写真だ。2枚目のザッパ・フランケンシュタインの仮面はアルバム『ハロウィーン 73』の箱の大部分を占めるグッズのひとつだ。これらには独特の臭さがあり、それは実物でなければ体感出来ない。ネットだけでは限界がある。生身の出会い以上のものはない。会いたい気持ちがあってのことだが。

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