乙訓寺に何度か牡丹を写生に何度か行ったのは30年近く前のことだ。その後自宅で植えたくなったのはその思い出があったからだが、便利になるともう写生したい気があまり起こらない。
時間と金をかけてわざわざ赴くと、元を取ろうとして精神が張り詰める。それでも自宅で咲くのは贅沢な気分で、乙訓寺では感じなかった余裕の気持ちからアイデアが湧く。牡丹で有名な寺は多いはで、また紫陽花や桔梗など、花で有名な寺があるが、カンナの名所はないだろう。洋花で暑苦しくて寺にあまり似合わない。カンナは半年近く花が楽しめるので人寄せにいいと思うが、長期間咲いていると却って面白くないと人は思いがちだ。ところがカンナは今では比較的珍しい植物ではないか。場所をかなり取るので、あまり好まれないのだろう。小さな建売住宅では庭であるべき場所はガレージとなっている。また庭があってもカンナはていねいに扱われず、邪魔にならない程度に毎年勝手に咲いているというのが実情だろう。宿根草で、根付けば放置しても毎年開花する。ひまわりほど背は高くならないが、深緑色の大きな葉がニョキリと何枚もある中、形がよくわからない鮮やかなオレン色の肉感的な花が目立って咲く。その様子を見かけると南国の髪の長い美女を想像する。場所をかなり取るのでわが家にほしいとは全く思わないが、たまに見かけると「あ、カンナ」と内心つぶやくほどには気になっている。この花の原体験は小学生にあるが、以前書いた気がする。今日の写真は6月19日のもので、今日同じ場所で撮影しようかと思ったが、同じように咲いているのでやめた。別の場所で見つかるといいが、雨天続きの蟄居状態では、またスーパーへの同じ道では新発見のカンナの咲く場所は見つからず、「あかんな」状態だ。あかんのは新コロ感染者急増中のニュースが毎日報じられることで、「風風の湯」でもその話題が挨拶代わりだ。「コロナの感染者が急増中ですな、あきまへんな」「怖いですね」「いつどこで感染するやら、わたしは持病がありまっさかいにな」「70代以上になれば誰でも体のどこかはおかしいですよ」「ははは、そうでんな」「若い人は体力があるから感染しても快復は早いからいいですけど、そうでもない人がいるようですしね」「感染した人の辛い意見をもっとTVで紹介したらええと思うんやけど」「感染者数の急増だけでは不安が大きくなるばかりですしね」「どの店も売り上げ激減で、わたしも小さな民宿をひとつ手放そうと思ってますよ」「嵐山も店の扉がみんな閉まって『開かんな』状態ですけど、この風呂は客が少なくなっても営業してくれているので、常連は喜んでますけどね」「ははは、そうでんな」「誰かがあかんなと思っている状態でも誰かがええなと思うことはありますしね」「そうでんな、それが世の中が回っていることでんな」『コロナは回って来てほしくないですけど」「ははは、そうでんな」
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