苛酷な取り立てで昔は有名であったサラ金は今はどうなっているのだろう。「闇金」という言葉があるので、金を貸して高い金利を取る商売は健在のはずで、取り立て屋もいるだろう。
半世紀ほど前はサラ金業者は最大の悪人のように世間で言われていた。それがいつの間にかいくつかの大手の会社が出来てTVでコマーシャルを盛んにするようになった。その頃聞いた話では、大手の銀行がサラ金業者に金を貸していて、結局サラ金も銀行も同じ穴のむじなで、むしろ世間の悪評をサラ金会社に一手に引き受けさせた銀行のほうがワルの親玉であった。もっとも、その銀行がサラ金に融資するように仕組んだのは政治家で、日本で最大のワルは政治家ということになる。それはともかく、借りたものは返すというのは常識だが、世の中には常識知らずがいて、借りた金を返さないワルはたくさんいる。筆者のアホな息子はどこかで知り合ったワルに20万円も貸してトンずらされて泣き寝入りだが、どうせパチンコ屋で知り合ったチンピラで、そういう悪所には行くなと言っても貸す耳を持たず、今後も誰かの餌食になって金を巻き上げられるだろう。それはともかく、去年の暮れだったか、「風風の湯」のサウナ室で嵯峨の70代後半の常連と福田美術館の話になって、筆者が知らないことを教えてもらった。福田美術館がアイフルという有名な金融会社の社長が建てたことは工事前から知っていたが、その常連客によると、一代でアイフルを築き、西院出身の在日とのことだ。京都の在日は大阪と違って大金持ちが多いが、福田社長もそのひとりで、また桁外れだ。去年NHKのTVのドキュメンタリー番組で見たが、確かアイフルは東南アジアに進出し、日本でよりも大儲けしている。大金持ちが美術品を買い漁ることは珍しくない。京都の大きな老舗はほとんどどこでも高額の美術品を持っている。そしてコレクションが充実するとそれを公開したくなるが、福田社長が何歳頃から美術に関心を持って集め始めたのかは知らない。また筆者はまだ福田美術館のコレクションの全貌を知らないが、福田社長が誰かの意見なしにひとりで作品を見つけて買ったとすれば、それはなかなか見上げたものだ。ただし、画商の勧めもあって、これを買っておけば将来値下がりすることはあまりないといった、いかにも商売人らしい思惑が混じっているような収集であれば興醒めで、それほどに美術品の収集はその人の本性を示す。つまり、個性が嫌でも出て来るので、慧眼の持ち主から簡単に値踏みされてしまう。とはいえ、そういう人は万にひとりくらいしかおらず、またそういう人だけに収集品を見せるのではないので、美術館を建てるとなればどうしても人気画家の作品が中心となる。それが面白くないが、美術館はないよりあったほうがよく、ましてや嵐山となると、大勢の観光客が来るので、その一部がついでに見ることを当て込める。
福田美術館が出来たのは去年10月だったと思うが、筆者はすぐに見に行かなかった。渡月橋に近い店や住宅では招待券が配られたそうだ。また3回行くと元が取れる年間パスを買った知り合いが何人かいるが、企画展が年に3回あれば、パスを買ったほうが安い。それは記名式ではないようで、2枚買っておけば、お客さんが来た時は一緒に見に行くことが出来る。筆者も買っておいてもいいかと思いつつ、まだそうしていない。去年11月のかかり、新聞で若冲の若い頃の作品が発見され、その紹介を兼ねた展覧会が福田美術館で今春開催されることを知った。その初日に行けばよいと思い、そうしたが、その若冲展に関しては明日書く。話を戻す。京都の在日が建てた美術館としては高麗美術館が有名だ。それはパチンコ店の経営者がコレクションした李朝の美術品や民藝品を展示するもので、筆者は5,6回訪れた。福田美術館は日本画専門のようで、社長が京都出身であればそれは自然なものだ。京都には名だたる画家がとても多くいるが、江戸期、明治から戦前、戦後といったように時代を分けてそれぞれに特色のある画家が大勢いて、それらを系統立てて網羅的に一級品を集めることは、福田社長の財力を以ってしてもほとんど不可能だろうし、またあまり意味はないかもしれない。そこで偏りが出来るが、それが個性であって、その個性に惚れてこの美術館を愛する人が増えることが理想だ。その個性は社長の審美眼に関係するが、それはまた「生きざま」でもあって、収集品を通してその人となりが浮かび上がる。だが、金融業を成功させることに精力を注いで来たはずの人が、一方でこよなく美術品を愛し、暇があれば画商と会い、競売会を覗くということがどこまで可能であったか。もちろん美術品は金で買えるので、金をたくさん持つ者は自在に収集出来ると言ってよく、有名画家の大作が目立つコレクションを形成することはたやすいが、そうなれば成金趣味丸出しとなって、慧眼の持ち主はそっぽを向くだろう。そこで学芸員の出番となるが、どこまで学芸員の出番が今後の収集に反映されるかとなると、館長が学芸員の資格と取った社長の娘とのことで、若さがあるので期待は出来るだろう。新コロ禍によって開館半年ほどで休館に追い込まれ、また嵐山の観光客激減によってこの美術館は閑古鳥が鳴いていると思うが、それはどの美術館でも同じで、今は鳴りを潜めるしかない。今日の写真は3月28日に撮ったが、題名は去年8月20日に投稿した
「嵐山に出来る日本画の美術館、その5」に続く「その6」としてよい。「その5」に載せた写真に、門扉上に這う楓の木があってとても気になった。その桂川沿いに玄関はなく、北に少し入って左手に今日の最初の写真の玄関がある。玄関の真向かいは、同じ社長が建てた大型ホテルで、
「嵐山に出来る大型ホテル、その9」に同じ3月28日に撮った工事中の写真を載せた。
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