人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●鶏冠鶏頭を育てる、その3
やかに育って来ている鶏頭で、今日はシジミチョウが鉢植えの鶏頭の小さな花に留まっていた。そばを通っても逃げず、この花を逃せばかなり遠くまで飛ばなければならないと思っているかのようだ。



●鶏冠鶏頭を育てる、その3_d0053294_22001351.jpgその鶏頭の花はとても小さく、鮮やかな色を除いて華やかさはないが、シジミチョウにすれば自分の体躯の数倍の大きさで、人間で言えば小さな部屋ほど大の花だ。以前に書いたことがあるが、わが家の白牡丹は開花すると必ずコガネムシやクマバチが飛来し、前者は黄色い花粉まみれになって花芯のそばにうずくまっている。コガネムシのその眠りは何と贅沢な空間と時間であろう。コガネムシやシジミチョウは人間が味わえない愉悦を花にまとわりつくことで楽しんでいるはずだが、花は虫がやって来てくれて受粉するから、やはり虫が居ついてくれるのは最大の願いだ。花と虫は幸福を感じるために生きていると思うが、幸福であることを幸福とは思っていないに違いない。人間だけが物事をややこしく考え、いかに生きれば幸福かなどと取り越し苦労をし、貴重な時間を失い続ける。誰しも好きなように生きればそれでよい。ただし、この「好きなように」が本当に好きであるかがどうかだ。それで人間はそのことを自問して迷いが生じるが、決定が間違っていたと思えば元に戻ってやり直せばいいのに、戻るに戻られず、あるいは戻る先がなく、新たな決定によってさらに泥沼に入り込んでしまう場合がある。昨日は高村智恵子の紙絵について書いたが、生誕百年記念の展覧会図録に、生前の智恵子が、『青鞜』がらみで有名であったので、雑誌のアンケートがあって、それへの答えがいくつか紹介されていた。関東大震災直後、憲兵の甘粕大尉は大杉栄と伊藤野枝を殺すが、そのことについて智恵子は、「……他人の生命に手をかけるなんて、何という醜悪な考えでしょう。暴力こそ臆病の変形です」と意見した。伊藤は本能の赴くまま生きて、夫の辻潤がいるのに大杉栄に走った。どちらも歴史に残るほどの男なので、伊藤の行為は下衆な不倫とは一線を画する何かがあったと思いたいが、伊藤と辻の間に生まれた長男「まこと」はいい迷惑で、彼が女性運動を評価していなかったことが書物からわかる。男女平等、同権だと騒いでも、男は女によっては逸物が勃たない場合がある。この意見には、男が女を選ぶのであって、つまらない女には目もくれないという思いがある。つまらない女とは、辻まことにとっては伊藤のように多情な場合であろう。そこで彼は『蟲類図譜』の「愛」の虫でこう書く。「愛虫は関係をつけにくる。欠乏がこの虫の本質だから、それをうめようとして近所のものに触手を延ばす。こんなにも相手のことをだいじがり、こんなにも自分のことしか夢中にならない虫もめずらしい。すり寄られたからって、すこしも憐れんでやる必要はないわけだ。」
●鶏冠鶏頭を育てる、その3_d0053294_22004106.jpg 男前でギターを得意とし、絵も上手で文章も書いた辻まことは女性にモテたはずだが、近寄って来る女に厳しかったことが想像される。ザッパが女にセックスをさせてほしそうな顔をする男をアホと言ったのは、女の言いなりになっているからだ。一方、女から絶対に男に惚れては駄目で、女の幸福は男に言い寄られてこそという考えが根強くある。これは男から見て実に正しい。女から先に男に愛情を伝え、セックスに持ち込むと、必ずと言ってよいほど男はいずれ逃げる。その女が他の男にも同じことをしたと思うからで、責任は取らない。努力せずして手に入るものほどつまらないものはなく、女の身持ちのよさは男にとってはとても高価な宝石に見える。辻まことはそういう価値観を持っていたと思うが、辻の奥さんの人となりは筆者の知る限り、伝わっていない。それはともかく、男が女に愛情を告白する時、そこには懇願のみがあるかと言えば、筆者は憐憫もかなり含まれていると考える。したがって、愛を告白された女性は素直に受けるべきと思うが、憐れみを捧げてくれる男はそうざらにはいないと思うからだ。また男はその憐れみを決して女には見せず、感じさせず、もし男がその愛を拒否されれば、「ああ、素直でなく、鈍感な女だな」という思いから、愛はすっかり憐憫に変わっていずれ忘却する。そうなったところで、相手の女はすぐに別の、しかもお似合いの男を見つける。辻まことがそのように女への愛情を捉えていたとしても、『青鞜』の代表者であった実母が他の男に逃げ、挙句国家権力で惨殺されるという事件を経験すると、女性不信になって当然であろう。それでも辻が結婚して女の子をひとりもうけたのは、本当に好きになった女性がいたからだ。昨日書き忘れたことがある。光太郎の有名な智恵子の裸体立像は同じものが2体鋳造されて十和田湖畔にある。学生時代、それを見て来た友だちがいたが、筆者は10分の一程度に縮小されたブロンズを御堂筋沿いで見るばかりだ。光太郎は智恵子の体の隅々まで知り尽くしていた。目と指で全身を記憶していたので、裸体像を造ることはたやすかった。夫婦であるので愛欲は当然で、光太郎と智恵子は心身ともに相性がよかったのだろう。光太郎の代表作が十和田湖畔の智恵子像であるのは、夫婦愛の最も美しい証しとしての結晶だ。お父さんっ子であった辻まことは父の虚無思想をどう思っていたか。『蟲類図譜』の「虚無」の後半にこうある。「……虚無の虫がいるといえば、虚無の虫の存在を否定することになる。いないといえば、それはいないことだ。死後について考えるのが無意味なように、生前について考えることも無意味だ。それは皆違反です。」シジミチョウが鶏頭の花穂から離れないのは、幸福を幸福とも考えておらず、ただ好きなように気の向くまま生きているからで、それほどに生に懸命なのだ。今日の最初の写真は2日、2,3枚目は20日の撮影。
●鶏冠鶏頭を育てる、その3_d0053294_22011675.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

by uuuzen | 2020-07-27 23:59 | ●新・嵐山だより
●『生誕100年記念 智恵子紙繪展』 >> << ●福田美術館

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?