殺し殺されるのが戦場で、捕虜であっても安全とは限らない。ところが人間はある状況に慣れてしまうものだ。そうなればそのぬるま湯状態からあえて出ようという気を起こしにくい。
今日は1か月前にDVDで見た2007年のヴェルナー・ヘルツォークの映画について書く。ヘルツォークにすれば娯楽色が豊かで、昔のアメリカ映画によくあった脱出物で、まあこんなものかという感想を持つが、ヘルツォークらしい特徴はいくつかある。本作の脚本をヘルツォークが書いたのは、ヴェトナム戦争についていろいろ調べていて、ひとりの実在の幸運な中尉ディーター・デングラーのことを知ったからであろう。デングラーが自叙伝を書いたのかどうか知らないが、本作はデングラーが戦場のラオスからどのように脱出したかをドキュメンタリー風に描く。ヴェトナム戦争のアメリカによる北爆が激化する以前の1965年、アメリカはトンキン湾に空母を浮かべ、ラオスを密かに攻撃していた。映画の冒頭に実際のその記録カラー映像が1,2分映し出される。実際の半分ほどの速度のスロー映像で、人影はないものの、密林近くの田畑や家屋が次々にオレンジ色と黒の爆発に晒され、爆弾や家屋の破片がゆっくりと周囲に飛び散る。それは見ようによっては美しいかもしれしないが、地上の住民にとっては大災難で、何とも酷いことだ。この冒頭の映像はヘルツォークによる攻撃される側への思いであろう。戦争反対ということだが、本作はそのことを描かない。一兵士が任務を遂行し、いかに元の部隊に戻るか。そのことに焦点を合わせる。簡単に言えばサヴァイヴァルで、それには先を読む力と勇気が欠かせない。これは実際の戦場でなくても、いつの時代の実生活でも誰しも同じような場に何度か遭遇する。その時の判断によって人生が大きく変わる。後でよかったと思えるには、賭けてそれに勝つ必要がある。もっとも、負けたとは思いたくない人は多く、彼らは自分の岐路における選択は間違っていなかったと思って自分を慰めるだろう。そういう人は本作を見ても心が動かないだろう。映画作りは資金を集めるのが大変で、作品を完成させても大きな評判を得るかどうかわからない。一方、監督は自分らしさを表現したいし、それはヘルツォークのような個性の強い監督の場合、彼の他の作品との関連から、なるほどと思わせるいくつかの要素が誰の目にも明らかになる。その意味で言えば本作は『10ミニッツ・オールダー』の
「失われた1万年」と同じく、ジャングルが舞台で、ディーターや先に捕虜になっていた5名は虫や蛇を食べて飢えを凌ぎ、本作の大半はそういう原始的とも言える生活の描写に費やされる。それは日本兵が戦後長らく島で生き延びた例があるのでさほど驚かないが、蛆虫をたくさん食べたり、長さ10センチ以上の蛭が皮膚下に入ったりする場面、それに次第に痩せて行くディーターら捕虜の姿は凄まじい。
そのことはヴェトナム戦争中の特殊なことであって、たいていの人は自分には関係がないと思っているが、70年代半ばに見た『アンデスの聖餐』という映画は、実際にあった飛行機事故のドキュメンタリーで、誰もが事故によって食べ物がない極限状態に置かれ得ることが作品化された。その飛行機はアンデス山脈の雪中に墜落し、乗っていたサッカー・チームは飢えで死んだスチュワーデスの死体を食べる。いつまで経っても救助が来ないので、2,3人が下山し、ようやく1か月ぶりか、救助される。デングラーらは墜落して無事であった場合にどう生き延びるかの講習を空母での映画によって受け、それが役立った。ただし、それは必要最小限の知恵で、実際に敵ばかりがいるジャングルでどのように食べ物を確保し、味方に連絡をつけ得るかはほとんど運だ。特に後者は何度もアメリカ軍のジェット機やヘリコプターをデングラーらは目撃するか、気づかれずに飛び去るか、敵と勘違いされて銃撃される。一方では現地人に銃撃ないし刃物で攻撃され、デングラーが生き延びたのは幸運が重なったことによる。だが、その幸運をもたらしたのは勇気と判断力あってのことで、他の5人の捕虜はみな死ぬか、あるいはその運命にあるように描かれる。デングラーは反抗的な捕虜で、現地人が見る中、水牛に引きずり回されるなどの拷問を受けるが、やがて他の捕虜と一緒にされる。先に捕虜になっていた者は、食べ物が満足ではないものの、命は保証されているので脱出するつもりはない。だがデングラーは早くも脱出計画を練る。まず一本の釘を手に入れ、それで手錠の合鍵を作る。それには機械工作好きの才能が役立った。普段から材料で何かを作ることを趣味にしている人は生存競争に強いだろう。他の捕虜は次第にデングラーの考えに賛同し、やがて監視員の銃を奪って脱出しようとするが、土壇場になって尻込みするものがいる。それは、じっとしていればいずれ釈放されるという考えだ。だが、現地人の言葉がある程度わかる捕虜は、村の食糧が枯渇して来たので捕虜に食べさせる分がなく、明日は捕虜全員を殺してしまおうという相談を耳にする。それでデングラーの脱出予定はその夜に繰り上げになり、読みどおりに事が運び、捕虜は二手に分かれて逃げる。デングラーの相棒がどこへどう逃げるのか訊くと、デングラーは川を渡ればヴェトナムだが、南下してタイに行こうという。それは途方もない考えで、相棒は呆然とする。デングラーは立ち止まっていると殺されるし、どうせ死ぬなら少しでも遠くに逃げ、戦争とは関係のない国に行けばよいとの思いだ。自分の将来をどうしたいか、これはとても大切な思いで、現状に甘んじれば運は悪いほうに向かう。自分の将来は自分が描くしかなく、それをしない者は現状止まりだ。多くの人はサラリーマンで、安定した仕事を望むが、今や大企業でもつぶれるかもしれない。
ここで筆者の話。筆者は卒業して設計会社に勤務したが、そのままでは将来の姿が見える気がした。実際それは正しく、それなりに経済的には保証された暮らしが出来たが、仕事は楽しくない。そこで自分の才能に賭けることにし、京都に出て友禅師に就いた。弟子生活を10年続けると独立させてもらえるとの口約束で、筆者はひとまずは技術を学ぶために必死になったが、きっかり2年で師のもとを去った。もう学ぶことがないと思ったからだ。かなり思い切った判断であったが、師に10年就いたとして、その後の人生はほとんど見えていた。それは師の生活ぶりからわかった。それにあまりの薄給で、家内と暮らすのは10年を経て独立以降だ。また10年後は世の中がどう変わっているかわからない。師に学んでいた頃、師の家から近いところに、出来たばかりの染色工房があって、張り紙募集を見つけた。多くの若者が出入りしているようで、ある日面接に行くとすぐにでも働けるとのことで、住んでいたアパートはそのままで、その工房で働くようになった。数か月して工房の主宰者が親会社の染織卸問屋やもうひとりの株主と仲違いし、工房を誰が運営するかという話になって、筆者にその役が回って来た。また主宰者は染色の技術も知識も皆無で、ただ絵が好きという人物であったが、筆者が切り盛りするようになって友禅工房にした。筆者は昼間そこで働き、夜はアパートで自作を作り、数年して全国規模の染織公募展で賞金100万円つきのグランプリをもらった。30歳の1か月前のことで、もう家内と暮らしていたが、家内は今でもその受賞の電報が人生最大の喜びと話す。20代の筆者は必死であった。設計会社を辞めた時、友禅師から去った時、この二度の方向転換は大きな賭けであった。そこで筆者はつぶれていた可能性が大きいが、自分で言うのも何だが、抜群に粘り強く、友禅は自分に向いていた。そして薄給の中から高価な本を買い、友禅師にありがちな視野の狭さを克服しようとしていたし、それは今も変わらない。すべてが現状を超えたかったからだ。どういう未来を描いていたかと言えば、自分の仕事場を持ち、自分の好きな仕事だけすることで、そのとおりになって今に至っている。自分は自分が助けなければ、誰も何もしてくれない。自分の人生は自分が切り拓く。それは待っていては駄目で、岐路を敏感に感じ取り、進むべき方向に果敢に向かうべきだ。そういう時に相談相手や援助者は出て来る。自分をいずれどういう状態に置きたいか。この夢がなければ人生は味気ない。不遇や不自由、あるいは不足を感じるのであれば、それは自分がその状態を招いている。現状のまま数年経てば何が変わるか。何事も30歳までにほぼ決まるし、決めるべきだ。それを過ぎれば方向転換はほとんど無理で、現状あるいはそれより悪化した状態で老年を迎える。女性は別で、結婚で人生が好転する場合がある。
家内が家出して筆者と暮らし始めたことも大きな賭けで、筆者とともに無謀なことをしたことになる。それはさておき、本作はカンボジアで撮影されたが、変わった形の山など自然がとても美しい。東南アジアには60年代半ばと何も変わっていない場所がまだたくさんあるだろう。デングラーの強運は自分で切り拓こうとする態度が一貫してあったからだ。それにタイまで歩いて行こうと考えたところにヘルツォークは自分の姿を重ねたのだろう。昔読んだヘルツォークの本に『氷上旅日記』がある。これはとても印象深く、当時筆者は家内にも読ませた。尊敬する映画評論家の高齢の女性がパリで病状が悪化し、ヘルツォークは願かけのつもりでミュンヘンからパリまで歩いて行く。その道筋は今ではグーグルのストリート・ヴューである程度辿れると思うが、若かったヘルツォークがその旅の途上で書き留めた日記がほとんどそのまま本になった。いくつも印象深い場面が思い出されるが、彼のその後の映画の素材をその旅でいくつも得たことがわかる。またパリに着くと評論家の女性は無事であったが、彼女もヘルツォークのような才能に見舞いに徒歩で来られて感動したであろう。そのような無茶をするヘルツォークが筆者は好きだ。そう言えばザッパも無茶をしたが、仕事で途方もないことをしようとしない限り、面白い作品は生まれない。その意味で、兵士デングラーは無茶をし、その挙句に幸運に恵まれた。現状維持でじっとしている連中なみな消え去ったが、当然のことだ。ただし、デングラーのような無茶をする者が破滅する割合はとても大きく、じっとしている者はそのまま安泰で朽ち果てる。さて、本作におけるヘルツォークの概念継続として、同じ年に撮られたハーモニー・コリン監督の
『ミスター・ロンリー』がある。同作では最後に神父と尼僧が乗った飛行機が墜落して全員死ぬが、本作では同じようにジェットが墜落するのにデングラーは生き延びる。映画の最後でその後のデングラーが描かれ、また字幕でさらにその後も紹介されるが、やはり幸運続きの人生であった。その映画みたいな話にヘルツォークが惚れ込んだのは、事実が小説よりも奇であるからだ。また、飛行機が墜落すれば普通は死ぬが、危機一髪のところでデングラーが死ななかったところから本作が始まり、『ミスター・ロンリー』と併せ考えると、人間はいつ死んでもおかしくなく、生きている限りは自由を目指せということだ。それに本作ではデングラーら捕虜の食生活は家畜以下と言ってよく、その過酷さを現実で受け入れられるのであれば、強運を呼び込めるとのメッセージと考えるのもよい。ヘルツォークがミュンヘンからパリまで歩いたのは、金がなかったからではない。効率を第一に考える者はつまらない。無駄と思われる遠回りがかけがえのない経験やアイデアをもたらす。そのように余裕で物事を考えることは創造者には求められる。
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