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●『10ミニッツ・オールダー GREEN』の「星に魅せられて」
は「捨て子」を意味する会意文字だが、今日取り上げる短編は端的に言えばそれを主題にする。「棄」は、棄権や棄民という言葉を最初に思い浮かべる人が多いと思うが、先ほど開票があった都知事選挙は新コロに感染する怖さと雨天でもあって、投票率は低かったであろう。



●『10ミニッツ・オールダー GREEN』の「星に魅せられて」_d0053294_01244148.jpg現職が再選間違いなしとされているが、今の政治家は民衆は票をくれればそれでよい存在で、民衆のために人生を捧げようと思っている者は皆無だ。それどころか棄民を平気でやる。新コロは現代の姥捨て山を現出させると当初言われたが、東京での感染者が3桁になり、今後それが4桁になると高齢者の死亡者が出て来るはずで、感染するかしないかは自己責任で、死ぬのが恐ければ家に籠っておけという世論がさらに増すだろう。現在の感染者は若者が半分以上を占め、また自覚症状がなかったり、早く回復したりするので感染を大袈裟に思っていないだろう。一方、高齢者は感染して4,5日で死ぬことが多く、いつ死んでもいいように覚悟しておいたほうがいい。それはさておき、今夜は満月で、先ほど午後7時頃、嵯峨のスーパーからの帰り、渡月橋の上から月が出る方向の空を見ると濃淡の雲がたち込めていて、満月が撮影出来るかどうか心配になった。昨夜は雨で、今夜は雲の隙間からわずかに満月が顔を覗かせた時に撮影出来るだろうと高をくくり、30分ごとに外に出たが、雲の向こうがぼんやりと月明かりがあるという状態すら見えず、10時過ぎについに雨が降り出した。天気予報では明日から4日は雨が続くとあって、今月は満月の写真を諦めた。これはブログを初めて以来のことと思う。それが理由でもないが、今夜は7日に投稿しようと考えていた『10ミニッツ・オールダー』から星や宇宙に関する短編を選ぶ。また、一昨日の「話題のFaceAppを試す」は、今日の短編の布石としての投稿で、それほどに今日取り上げる映画は筆者にいろいろ考えさせた。最初に書いたように、本作の主題は「棄」つまり「捨て子」としてよいが、そこには止むに止まれない親の立場がある。あまり詳しくは書かないが、筆者は4歳の頃に父親がいなくなり、それに納得出来ずに母に父のことを毎日訊ねた。父は止むに止まれない事情によって母にもとに来られなくなった。小さな筆者はそれを理解しようとしながらも、父のいない孤独をひとり遊びで紛らわせた。その特殊な生い立ちはその後の筆者に大きな影響を与えたが、小学校に入って以降、父を恋しいと思ったことはない。諦めたのだ。この世にはどうにもならないことがある。実は筆者が小学5年生の時に父は数日だが、わが家にやって来た。それが最後の出会いではなく、筆者が家内と一緒に暮らすようになってから、一度だけ父に会いに行った。父は大いに喜んだが、その数年前に脳梗塞を煩い、片足が不自由で、また言葉を発せられなかった。
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 筆者が小5の時にやって来た父は、筆者と並んでひとつの布団に寝たが、父はハーモニカで唱歌を奏でながら、ぼろぼろと筆者の前で大粒の涙を流していた。筆者はどう接していいかわからないまま、見て見ぬ振りをし、一度も「お父さん」とは声をかけずに父の横に寝転がって宿題を済まし、そして寝入った。急に現われた父に母は大いに困惑し、当夜妹ふたりを連れて近所の知り合いの家で泊まった。中学生になって父に手紙を書くようになり、母の極貧生活を見続けていた筆者は父をなじったことがある。父は返事の一通に、「お前も大人になるとわかる」と書いて来た。大人になって父が理解出来たかと言えば、そうとも言える割合は1割ほどで、やはり許せない。簡単に言えば筆者、母、妹ふたりは父から見棄てられ、そこにいかに止むに止まれない事情があったとしても、父の行為はあまりに無責任であった。そのことを学生時代の親友に打ち明けると、彼は筆者の魂がこの世に生まれて来たいと思ったので生まれて来たのだと言った。それをなかなか認められなかったが、数年後に同意した。人生を肯定的に捉えられないことは最大の不幸だ。筆者は自分の人生を肯定的に考えようとし、今に至っている。それは大きな判断をする時は冷静になって絶対に間違えるなという思いを抱いていることが前提で、その意味では父が筆者を母に産ませたことは間違いであったが、ともかくこの世に生まれて来た筆者は何かを大いに愛すること、またそれがなければ生きている意味がないことを悟った。その愛の中に父への思いが少しは混じっているかと言えば、数歳で父が消えたため、筆者は父から何ひとつ教わらず、愛の対象になり得る何かがない。尊敬出来る何かがあればまだしも、それもない。ただ、母は父が頭脳明晰で柔和、それに話上手で知り合いが多く、頼って来た人のためには誂えのスーツを質に入れてでも金を用立てたことが何度もあったこと、また母のことを「桂子さん」と、必ず「さん」づけで呼ぶ紳士であったと言い、大きくなって行く筆者に、事あるごとに父にとてもよく似て来ていると言い、一度も父のことを「ひどい男」と形容したことはない。それがとても不思議で、ついにその理由を知ることなく、母はもうすっかり過去のことは忘れてしまった。以上、めったにないことだが、半ば勢いに任せて父のことを書いた。幼ない筆者が父に甘えている写真も何枚かあるが、「父はなくても子は育つ」は本当で、そのように思わないと筆者は自分のこれまでの人生を肯定出来なかった。そして筆者の子どもは息子ひとりで、息子が筆者のことをどう思っているかはほとんど考えないが、筆者が不在のほうがのびのびと育ったのではないかと思う。今日の最初の写真は87年7月10日、祇園祭り宵山に綾傘鉾の前でのもので、筆者35歳、息子の一星は4歳だ。息子のその年齢で父がいなくなったが、筆者は息子の手を握っている。
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 前置きが長くなったが、それは予定のうちだ。本題に入る。本作の監督はイギリスのマイケル・ラドフォードで、筆者は彼の94年の作品『イル・ポスティーノ』のみを見ている。本作はSFで、現実には今のところ起こり得ない物語だが、息子と父の物語として永遠に通じる。また息子と父に限らず、他人同士でもあり得る話で、「黙って慕い続ける」という人間に具わったひとつの愛だ。筆者が感動したのは息子と父の物語の面と、その「長年慕い続ける」行為で、本作では「I love you」という言葉を息子が父と別れる時に発するが、その言葉の美しさに落涙した。これほど美しい言葉はほかにない。日本語では「愛しています」だが、それではニュアンスがどうも違う。それで日本語ではどう表現すればいいのかわからないが、相手のことを長年慕い続け、そのことを最後の別れの時に言葉に出して伝える場合、どう言えばいいのだろう。さて、映画は地球に向かって帰還中のロケット内部の様子から始まる。二名の男が乗っていて、地球では2146年になっている。ふたりは80光年の距離を飛行し続けて来たのだが、光速で飛行すると時間の流れは地球よりはるかに遅く、ふたりは10分しか老いていない。ただし、地球にいた人間では違う。ふたりは地球に戻ってどうするかを話し合い、ひとりは「女を探す」と言うと、相棒つまり主人公の35歳のトーマスは「絶滅しているかも」と返す。トーマスは家に行ってみると言うが、相手からやめておけと忠告される。80光年の旅に相当する地球の時間の流れを思ってのことだ。地球に着くと、出迎えたのは笑顔が狂気じみたアンドロイドの女性で、彼女はテクニカル・アシスタントと自己紹介する。トーマスが裸でシャワーを浴びていると、彼女はトーマスの下半身を首をかしげて見ていて、性に関心はありそうだ。トーマスは見慣れないピラミッド型の高層ビルを見て彼女にいつ経ったのかと訊くと、45年前とのこと。つまり、トーマスが宇宙を飛んでいた間に地球は少なくても45年経っている。夜に歩いて自宅に向かおうとすると、彼女は歩く人はいないので、地下鉄で行くように言う。最寄りの駅に着くとエレヴェーターがなく、若いカトリックの尼僧をつかまえてその場所を訊くと、たばこをくれと言われ、1本与えると、故障中との返事。仕方なく古ぼけたタイル貼り壁面の階段を上って地上に出るが、2146年でもそういう荒れた地下鉄があることは充分に想像出来る。宇宙旅行が出来る時代になっても、百年程度では地球の景観はどこも見違えるほど素晴らしいものにはならず、却ってあちこちスラム化しているだろう。それは百年前と現在を比べればよい。大量消費時代は百年前に始まったが、その後は何百年経っても衣食住はほとんど変化がないはずだ。あるとすれば「女らしさ」の絶滅で、そのことは前述の尼僧によっても描かれている。
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 地球に着く間際、トーマスは息子マーティンの夢を見る。小学2、3年生か。マーティな朗らかに走り回っている。そういうマーティンを地球に置いての旅であった。家の近くに来ると若い女性から名前を呼ばれる。そして自宅に入る。部屋の奥のソファにかなり高齢のスーツ姿の男が座っている。マーティンだ。彼は父が帰って来るのを待っていたのだ。トーマスの10分間の宇宙旅行は、地球ではおそらく70年に相当していた。声をかけた女性はマーティンの孫だろう。マーティンには70年の人生があって、ずっと父のことが誇らしく、自分が生きている間に帰って来てほしかったのだ。トーマスは老人になった息子に詫びる。そしてすぐに基地に戻ろうとするトーマスに向かって、息子は「パパ、愛している」と声を絞り出す。部屋には5,6歳のマーティンが宇宙服を着たトーマスと並んで撮った写真が飾ってある。トーマスは宇宙で拾って来た小石をそっとマーティンの机に置く。トーマスは宇宙旅行を続ける使命があって、また別の惑星に向かう。そして最後の場面では、トーマスはその惑星の地表に、5,6歳のマーティンの顔写真をそっと置く。マーティンはそのようにして永遠に宇宙に留まるが、それは星好きで、父を誇らし気に思っていたマーティンへのせめてもの罪滅ぼしだ。トーマスはマーティンを棄てたも同然だ。だが、宇宙にヒトは出て行くし、行かねばならないだろう。その時、その運命にしたがう者が必ず出て来る。彼が宇宙を一生飛び続ける間に、地球では数千年が過ぎ去るが、家族を持っている場合、その家族という概念が成り立つか。家族はともに老いて行くものだが、宇宙時代にはそれがあたりまえでなくなる。ここで思い出すのは浦島太郎だ。彼は竜宮城で楽しい時間を過ごし、現実に戻ると見知らぬ人ばかりで、また一瞬で老ける。トーマスの宇宙旅行は浦島太郎の竜宮城行きのようだ。時間の流れが場所によって違うことはあり得ないかと言えば、嫌な場所にいると時間を長く感じる。好きなことばかりしていると老けることは遅いのではないか。これは精神的に老いを感じなければ、肉体にもその影響を及ぼすという考えで、ある程度は正しい気がする。その一方、人間は早く老ける人と長寿でも健康で若々しい人がある。それはともかく、一生の間、ほとんど父が不在であったマーティンは、それでも父を愛し続けた。棄てられたも同然であったとしても、それは止むに止まれないことであった。国の使命を担った誇らしい父で、夜空を見上げると、そのどこかの彼方に父が乗るロケットが飛んでいる。マーティンは父のように宇宙飛行士にはならなかったが、結婚して孫がいて、それなりに幸福であったのは間違いがない。またトーマスはそう思えるからこそ、次の旅へと出発出来る。本作で改めて思うことは、子どもの成長にとって父は不在でもいいということだ。父への愛があればなおさら。
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by uuuzen | 2020-07-05 23:59 | ●その他の映画など
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