鼠を丸飲みする白鷺の映像を先日TVで見た。魚が豊富な水辺がないからだ。生きて行くためには食べられるものを食べねばならない。パンダも仕方なしに竹を食べるように進化した。
現在中東からインドにかけて大量のバッタが発生し、その被害が広がりつつあるが、日本ではイナゴを食べるのであるから、バッタは人間の食糧になるだろう。牛を介して草がバターやチーズに変化することを思えば、草が減ってバッタが増えるのであって、そのバッタを食べられるように工夫すれば、今はバッタをバッタバッタと取り放題で、原材料無料で商売出来る気がするが、そういう発想が出て来ないのが不思議だ。また、大量のバッタが落とす糞やバッタの死骸はいずれ草の繁茂に役立つはずで、悪いことばかりではない気がする。その点新型コロナウィルスはどうかと言えば、人間の経済活動が低下して空がきれいになったから、人間以外の自然界の動物にはいいことばかりだろう。バッタやウィルスから人間を見ると、人間は厄介者かもしれず、結局共存して行かねばならない。その思いが理由ではないが、月曜日に思い立って本ブログのヘッダーのデザインの変更を実行した。面倒なので、スマホでのデザインは以前のままにするが、却ってちょうどよい。というのは、スマホでは筆者の分身のマニマンの立場から、パソコンでは雲古の立場から、それぞれ相手を吟味し合っているという図式になるからで、マニマンと雲古はどちらも主観であり客観の立場だ。パソコン用の新デザインはさらに別のものを作ったが、それを使うのは年末と考えている。そのうち、それらいくつかの画像を元にGIFアニメにしてもいいが、画像が重くなってパソコンが動きにくくなるだろう。ともかく、年末までの半年間は巨大雲古を主役にしたヘッダーを使う。この雲古は筆者が作ったパンで、その画像は
今年の正月明けに投稿した。それ以降パンを作っていないが、今度は雲古型パンのみをたくさん作ってみようと思っている。この雲古は筆者にとって過去となった関心事(?)とそれに対する驚き(!)のことだが、『10ミニッツ・オールダー』には、過去、未来、現在が何かを問う作品もあった。こうして書いている瞬間にも過去は生まれ続け、未来も存在し続ける。過去は現在であり未来であるから、雲古を人間と同一視してもよい。家内は最近筆者から教えられた「マウンティング」という言葉をよく使うが、他者へのマウント行為は、雲古に雲古が乗ることで、本物のクソ行為だ。それはともかく、このブログの読者にとって半年は見慣れたこの鬱金色の雲古型パンを、改めて巨大に見せる行為の意図は、食欲をそそる、つまり積極的にこのブログを読んでいただいて、この雲古パンがもうとっくに筆者の本物の雲古と化したことと同じように、無意識のうちに何らかの栄養のようなものになってもらえればとの思いを……?、実際は少しも念頭に置いていない!
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