履歴書に嘘を書いても調べられない限り、事実として通用してしまう。学歴の場合は卒業証書が求められる場合があるが、大会社でなければ今はそういうこともないだろう。大学に入って1年で辞めても、卒業したと自称する人はどこにでもいるはずで、本人が堂々としていれば周囲はほとんど信用する。
詐欺師はそういうことをよく知っている。それで嘘は大きなほどよいとも思っている。来月は都知事の選挙があって、現職に関する記事がネットで目立つが、他にろくな候補者がいないというネットへの書き込みが多く、今の首相と同じように、いわば「ほかの人よりまし」という消極的な理由で再選は間違いないとされている。その諦めが混じった意見をばら撒く人たちに多くの人が同調するはずで、「ほかの候補者よりまし」という意見は現職側の人たちが巧妙にばら撒いているのではないかと思うが、政治家の選挙は一般人にはとてもわかりようがない裏事情があるはずで、いくら金にまみれて腐敗していようが、担ぎ上げておいたほうがよい人物をトップに据えることで大儲けする連中が、実質的には国を動かしている。北朝鮮もそうで、金一族が世襲で今後も国の顔として世界中に知られるだろうが、国の体制が激変すれば大いに困る連中の操り人形のようなものだろう。いざとなれば掌を返して金一族に責任をなすりつけ、自分たちは新しい国になっても経済的な不安がない生活を送ろうとする。それはともかく、現在話題になっている広島の議員夫婦の妻のスマホが押収され、彼女が3人の男と肉体関係を持っていたという今日のネット・ニュースに筆者は注目させられた。彼女が政治家になろうとした理由は知らないが、現都知事と同じように、顔と名を世間に広く売ることを生き甲斐と思っている人種であろう。芸能人になればよかったと筆者は思うが、そこまでの美貌も才能もない。それに政治家になったほうが偉そうに出来る。そこでまずは自分を引き立ててくれる年配の権力を持っている男の陰の女となり、しかもそういう愛人関係を他の男とも結んで政界への足がかりを作る。男尊女卑が罷り通っている日本では同様の愛人関係はどこにも無数にあって、男は不細工な顔と体形であっても、とにかく金をたくさん稼けば、言うことを聞く女などいくらでも手に入る。才能だけでのし上がって来たように見える女も、そのほとんどは贔屓にしてくれる男に身を捧げている。そんな男渡りを何とも思わない女は空虚だ。先日ネットで読んだ、今話題中の現都知事の半生について書いた著者へのインタヴュー記事では、首相の奥さんと現都知事は空虚さで一致するとあった。常に世間に目立っていないことには満たされない女の内面とは何とも厄介だ。そんな女は特定の男との恋愛で満足出来ず、かといって異性から真摯に求められることはないが、本人は有名人という自惚れがあって、なお醜悪の権化となっていることに気づかない。
『10ミニッツ・オールダー』では最も政治的な作品として、スパイク・リーによる2000年のアメリカの大統領選挙を扱った「ゴア対ブッシュ」がある。『マルコムX』など、黒人のヒーローを扱った映画で有名な黒人監督であるから、共和党のブッシュを批判する立場から描かれているが、決して2000年の選挙だけではなく、政治家がいかに巧妙に世間をたぶらかしながら権力を手にするかという普遍性がわかる。つまり、アメリカの大統領選挙であるので日本では無意味と思うのではなく、日本でも同じようにメディアその他が現都知事や首相を次回の選挙でも勝利に導くことが想像され、そして絶望感すら抱く。最近アメリカでは黒人が警察官に踏みつけにされて死に、全米で抗議運動が起こっているが、黒人差別の問題は表面上収まったように見えて内側では燻り続けて来た。今後もそうであるはずで、数百年経っても変わらないだろう。話を戻すと、本作は大統領選挙から2年後のゴア対ブッシュの裏話の総括で、ウィペディアではわからないことを伝える。「ゴア対ブッシュ事件」が2000年にあって、本作の邦題はそれを彷彿とさせるが、原題は「We wuz robbed」で、これは本来買っていた勝負なのに審判の不手際で負けたことを意味するところから生まれた言葉だ。つまり、2000年の大統領選挙は、ゴアが買っていたのに、ブッシュ寄りの勢力によって世間が誘導され、結果的には154票差でゴアが負けた。これは本作が描くフロリダ州でのことで、投票人の154名差でゴアが結果的には大統領になれなかったことを意味するが、全米で言えばゴアに投票した人のほうが多かった。そのことは本作には描かれないが、本作を理解するにはアメリカの大統領選挙の仕組みをある程度理解しておかねばならない。アメリカは日本と同じく民衆が直接大統領に投票するのではないが、大統領と副大統領がセットになった票に投じることで、各州に割り当てられている「選挙人」が決まる。今日の2枚目の画像にあるように、候補者はその「選挙人」の合計数を最低270得ると当確となる。地図の青はゴアで民主党、赤はブッシュの共和党で、それぞれ地元では当然のように「選挙人」の数を確保する。各州に割り当てられた「選挙人」は総取りの仕組みで、ひとりでも投票数を多く得れば、その州の「選挙人」全員が確保出来る。これが比例配分であれば、全米でより投票数の多かったゴアが大統領になっていたが、「選挙人」総取りの仕組みのために、地元以外の州では候補者は遊説その他、いかにして票をたくさん得るかの熾烈な戦い、そして詐欺まがいのことをする。各州とも投票用紙の仕様や開票の仕組みが異なるが、本作で取り上げるフロリダ州は全米では「選挙人」が24名と最多で、フロリダ州で勝てば、つまり総取り出来れば全米で勝ったも同じとなる。
「ゴア対ブッシュ事件」は、このフロリダ州での開票を巡ってゴアが意義を唱え、裁判で争ったことを指す。正確な数は忘れたが、6000か7000票の差で、それが全投票数の5分以下であったので、ゴアが再集計を求めたことは当然の権利の行使だが、本作でも描かれるように、負けているのに往生際が悪いという評判も立った。それでもゴアが再集計を求めたのは陣営の人たちが勧めたからだ。結果的に差は154票であることがわかったが、154人差で大統領になれなかったとはあまりにも運が悪く、また実際のところその僅差が正しいかどうかもわからない。投票にはいろいろと問題があった。今日の最初の画像はその用紙で、左欄の一番上がブッシュ、2段目がゴアとなっていて、ゴアに投票したい人はその右端の矢印にしたがって上から3つ目の黒い穴を開けるべきだが、ゴアは2番目に記されているので、中央のパンチ欄は最上段の空白欄のすぐ下、黒丸で言えばその一番てっぺんに穴を開けてしまう人がいたらしい。この中央欄の最上段はデザインがとても悪く、黒丸がないのであるから、上の横棒を省かねばならない。このゴアに投票したい人が知らずにブッシュに入れてしまう紛らわしい様式は、当時のフロリダ州知事が指定した。また知事はゴアに投票する8000人ほどの特定団体の人々が投票出来ないように処置し、投票が終わった後にその間違いを認めたというから、正義や常識が通用しない連中が州知事を初め上層部にいた。全米では黒人は人口の10パーセントだが、フロリダ州では黒人の投票率はその倍に近かったのに、投票場の朝の開場が遅く、結局長蛇の列で投票出来なかった人が続出したそうだ。また、ブッシュがまだ当確ではないのに地元TV局はそのニュースを流し、それに他局も倣い、TVしか見ない人々の気持ちがブッシュに揺れた。3枚目の画像はブッシュとその弟で、弟はフロリダ州の知事だ。ブッシュはメディアの掌握を初め、フロリダの「選挙人」数を得るべく周到な準備をしていたと見るべきだ。結果的にブッシュは271で勝利したが、フロリダを落としていれば当然ゴアが大統領になっていた。その選挙のいかさまぶりをスパイク・リーは本作で指摘する。同様の選挙妨害や詐欺同然のことは毎回の選挙で行なわれているはずで、日本も例外ではないはずだ。絶対にTVでは報じられないことがあることは誰もが知っているが、企業が与党とつながっているからにはそれも当然で、結局は金儲けだ。選挙のために1億数千万円ものお金をもらった広島の議員夫婦はその一部を地元にばら撒き、もらったほうは今頃になってもらったことを白状して世間に恥を晒しているが、本人らは屁とも思っておらず、市長や知事、国会議員は一度なれば絶対に辞めたくない商売だ。それは芸能界と同じで、不倫関係などあたりまえ、金を回すことこそ正義と思っている。「コロナ禍で あいつコロンと 逝かんかな」
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