尖った頭のてっぺんがひとつの流行になって定着しているが、筆者は外出時には帽子を被ることが多いので、そのようにヘア・スタイルにこだわることはない。
今日は散髪に行って来たが、髪を染めると5歳は若く見えると言われた。全くその気がないのは、顔が皺だらけなのに髪だけ真っ黒では不自然と思うからだ。70に近い男が髪を染めて5歳若く見えて喜ぶというのも格好悪い。年齢相応の魅力があるはずで、人に不快感を与えない程度の身だしなみでいいではないか。髪を切ってもらっている間、眠りに落ちそうになり、いつもとは違う60年代前半のアメリカのポップスではないBGMが意識に深く入り込んで来た。なかなかいい曲で、懐かしさがあったが、90年代ではないだろうか。21世紀になって黒人音楽はダンスを伴なうラップ調が中心になって来ていると思うが、そうなる以前のファンク調で、また楽器音はテクノ調でもない。日本の歌手では安室や浜崎の歌が音の広がりの点で似ているかもしれないが、サビだらけの甘ったるい曲ではない。店の人に訊いてもきっと歌手や曲名はわからないはずだが、自分で調べることもまず不可能だろう。筆者は筆者の息子世代に流行っていた曲はさっぱり知識がなく、また得てして古い人間は新しいものを否定したがるが、筆者は半ば眠りながら聴いたその曲に大いに感心し、新しい世代が歓迎する新しい音楽がある現実を今さらに思った。つまり、流行歌はいつの時代も求められ、どの時代の曲が最もいいかという意見は意味をなさず、どの時代のヒット曲もみな同じような甘酸っぱさがあると思った。その本質が変わらないならば新しい流行歌を積極的に聴くことにさして意味はない。筆者は洋楽好きとして育ったが、歌謡曲や民謡が好きな同世代を見下げることは間違いで、どの音楽にもそれなりのファンがあって存在価値があると思う。だが、流行は変わる。今の若者は90年代のアメリカの黒人女性が大ヒットさせた曲をもうほとんど聴かず、21世紀に入ってのヒップホップは、格好よさが求められる激しい踊りを伴ない、最先端の時代を体現する若者がやるものとみなされている。精神の若さは実年齢とは無関係と言われるが、それでも限度があり、老人は座視するのみだ。今日は2か月ぶりにアレックスからメールが来たが、写真はない。新コロ禍でアレックスの映画公開が中止になり、一方で彼はネットで公開する権利を所有せず、DVDの販売もいつになるかわからない。だが、支援者への本とサウンドトラック盤は完成し、発送間近なようだ。なお、3日前にプログレ仙人の松本さんからメールがあり、8月にまた大ザッパ会を開きたいとあった。新コロ感染者が東京で連日50人前後出ていて、8月にどうなっているかわからないが、最近松本さんは人数限定のライヴを主催したそうで、かなり尖っている。
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