倒錯という言葉はセックス絡みで使われることが多いが、本来は「さかさま」の意味だ。ユイスマンの小説『さかしま』の題名も同じ意味で、もっとわかりやすい言葉で言えば「ろくでもない」だ。
ビートルズのジョージ・ハリソンの「While My Gently Gutar Weeps」の歌詞に「divert」と「pervert」で韻を踏むヴァースがある。前者は「転換する」、後者は「(道を)逸れる」で、ジョージは同じ意味で使っているはずだが、後者は性的倒錯の意味で使われることが多いので、「変態行為をする」という意味に捉える人がある。それは「ろくでもない」考えというものだ。「倒錯」を「あまのじゃく」と言えばわかりやすいが、両者は完全に一致しておらず、やはり「倒錯」の意味はわかりにくい。「あまのじゃく」で思い出したが、最近「あまびえ」という言葉をよく見かける。日本古来の妖怪の一種で、最初その言葉を見た時、「あまえび」と思った。よく見るとそうではない。次に「甘冷え」かと思って、腹をよく冷やして下痢をする筆者は、早速家内に茶色の毛糸の腹巻を取り出させて腹に巻いた。夜はとても涼しく、ここ数日は一日中その腹巻をしている。それにしても、「アマビエ」のその人魚鳥のようなデザインとイラストはあまりよくなく、筆者には「divert」で「pervert」に見え、新コロ禍終息に御利益があるとは思えないが、梅雨時でもあり、そう深刻にならずに、新コロを笑い飛ばせという程度の意味で捉えればよい。「アマビエ」は「アマエビ」とは「エビ」が「さかさま」で、エビを逆さにした絵で代用すればいいと思うが、エビは吉祥画題だ。それを逆さにすると不吉になって、やはり全く新しい人魚鳥である必要があった。話題を逸らす。7日の回覧板に今日の写真の「警察だより」があった。そこに「6月9日はロックの日!」とあった。ロック好きの筆者は瞠目したが、直後に「Rock」ではなく、「Lock」であることを知って、ろくでもない勘違いをしがちなことを自覚した。それはともかく、最近つくづく思うが、シューマンやショパンのあるピアノ曲は全くのロックそのもので、その活力に時にロックを聴く以上に疲れる。ロックのすべてが格好いいはずがなく、大部分はろくでも連中がやる泡のような音楽だが、一旦好きになれば何事に対しても人は盲目になり、小さな自己に自分をLockし、他者の言うことが耳に入らない。そういう「さかしま」状態もそれはそれで生き方の多様性のひとつとされるが、それは放置と同義、つまりは自己責任とされる。「日々我のロックな日々」もいいが、たまにはそれが「ひび割れの我」ではないかと振り返り、割れた自分の像を結び合わせることをするのがよい。こう書きながら、キャプテン・ビーフハートの『ミラー・マン』のジャケットを思い出しているが、彼は倒錯の美を意識していたか。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→