鰻を10年ほどは食べていない。時々スーパーで中国製の安いものがあるが、ホルマリンを使って飼育しているといったニュースがあって以来、買わない。鰻が口に入らねばうなぎパイでも思わないでもないが、京都や大阪では入手出来ないのではないか。

それにこのパイは鰻の粉末が入っているのだろうか、それとも鰻のような形なのでその名前があるのか、気になりつつも調べていない。別の理由は「源氏パイ」で充分であるからだ。これはうなぎパイを中央で折ったハート型で、それがよい。ハート型をしているものはみな愛らしい。その心理を目当てにして、たとえばハート型のサングラスがあるが、海水浴など遊びに使用するのはよくても普段は無理だ。ハート型はあまりに人の眼に触れず、さりげないところで使われているのがよく、男は衣服や持ち物にハート・マークがあることを躊躇する。女っぽいと思われ、また自分は優しいということを見せつけていると思われかねないからだ。男はさりげなく優しいハートを他者に差し出すのがよい。とはいえ、人間には愛もあれば憎悪も嫉妬もあり、偏見から人を死に追い込むこともある。最近ネットではSNSでのひどい言葉が問題になっていて、匿名性をなくせばいいという意見も出ている。面と向かっては言えないことでも、ネット上で匿名となればどこまでも人間は醜くなれるもので、そういう書き込みをする人がハートの愛らしさを知らないかと言えば、決してそうではない。人は見かけによらず、紳士と思われている人が殺人者や極悪人であることは全然珍しくない。今やほとんどの人がスマホを持ち、その手軽さゆえにSNSでは中傷する言葉が量産される。便所の落書きとはよく言ったもので、書き手はうさ晴らしのためにやる場合がほとんどで、そのことで中傷された相手がどう反応するかまで想像力が働かない。つまり、精神年齢が4歳前後の愚か者であるので、無視するに限るが、有名人であれば先ほどネット・ニュースで読んだが、70万件ものひどい書き込みがあるとのことだ。これでは訴えて相手の実名を世間に晒す必要がある。また訴えなくても、度重なる中傷の書き込みをされた場合は、ごく簡単な手続きで相手の実名がネット上に載る何らかの方法を考えて行くべきだろう。50年後にはそのような世の中になって、現在のSNSが何と野蛮であったかと回顧されていることを願うが、そうならないとすればネットには限界があることを証明したことになるはずで、人間は新たな交流の方法の発明に向かうだろう。結局人間にはハートがあり、それを限りなく与えることが生き甲斐という時代にならなければ、生まれて来た意味がない。与える対象の最優先はもちろん人間だ。そうでなければロンリーの論理を抱えたままの鰻のような長い人生となる。今日の写真は4日に樫原のおいしいパン屋に立ち寄った際に撮ったユーカリ・ポポラスだ。ハート型の葉が楽しい。
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