酩月と呼び方があるのかどうか知らないが、朧月は酔って意識が朦朧として見る月のようであるし、月も雲に遮られてどうせくっきりとは人に見えないはずと思って、酒を飲んで酔っているのかもしれない。
今夜は昨夜と違って鮮明な満月が見えると思い、夕方から気にしていたのに、昨夜よりも雲は厚く、9時になっても見えなかった。それで仕事の一段落をつけた深夜0時過ぎに空を仰ぐと朧月が浮かんでいた。それが今日の最初の写真で、右下隅の黒は嵐山から苔寺へと続く山並みだ。今月も満月の写真が撮影出来たので、このまま後の字数はお茶を濁すべくどうでもいいことを書けばいいが、昨夜は今夜満月が見えなくてもいいように、1日早い満月の写真を撮ったのでそれを載せるついでにさらに書く。3枚目は家内と夜の散歩をし、足を延ばしたJR嵯峨嵐山駅前で撮ったもので、撮影角度を決めている間に酩月ぶりがひどくなって、家の近くで見たよりも朧状態はひどくなった。この駅前で満月を撮りたかったのは、先月家内といつものように嵯峨のスーパーを4軒回った帰り道、この駅の舎内をエスカレーターと階段を使って通り抜けた時、眼前左上にくっきりと大きな満月が浮かんでいることを目撃で、しばし立ち止まってそれを感心しながら愛でたためだ。その時はカメラを持っておらず、来月は同じ場所で捕ろうと決めたが、昨夜出かけたのは、今夜は曇天で見えないかもしれないと思ったからだ。結果的それはまあ正しかった。ただし、先月とは違ってひどい朧状態で、筆者が望むようには撮影出来なかった。駅前にこだわった理由はもうひとつある。それは駅から南方に伸びる商店街の1軒に、満月が6個螺旋形に点在しているかのように吊り下げられた照明がガラス越しに丸見えであることだ。これに気づいたのは何年も前だが、先月の満月の夜は、左手の空に大きな月、右手にその照明が明るく、その対比が面白かった。今日の写真では左上に朧月、右端中央にその照明を取り込んだ。2枚目はその照明のクローズアップで、中央縦が少し欠けて見えるのは、球体の照明を取りつけるのに必要な支柱で、これは仕方がない。この照明はよく目立ち、またガラスには店の名前などがないので店主が純粋にこの照明を面白がって他者に見てもらうことを楽しんでいると言ってよい。螺旋状の取りつけは月の満ち欠けを表わしているようにも思え、満月の夜に満月と一緒に見て撮影することはこの照明にとって最もよいのではないか。3枚目の写真ではこの照明より手前、自販機の背後の店が居酒屋かレストランで、新コロ禍ではあるが、昨日は客の姿が目立った。土曜日であるし、また新たな感染者がいないとなれば嵯峨嵐山に人はやって来る。今日の昼下がりの嵐山公園はどのベンチも人が座っていて、人の出は2か月ぶりに増えたように感じた。またマスクをしていない人もぽつぽついて、もう半ば終息ムードだ。
「わし羊歳生まれやねん」「?」「未歳生まれで今年52歳やねん。ほんでな、わし耳が悪うてな、聞こえへんねん」「……」「こんな医者に診てもうてんねん」「ああ、桂やねえ」「うん、耳な、あんまり聞こえへんねん。ほんでな医者に行かなあかんねん」「桂やったらこれから電車に乗って行くんか?」「うん。あのなあ、わし羊やねん。今52歳」「ほんで、今日は何で嵐山に来たん?」「耳が悪うてな、医者に行かなあかんねん」「……」「コロナ終わるのんいつかな」「まだ半年くらいはあかんのんとちゃうか」「一月は無理かな」「誰にもわからへん」「安倍さんに訊いてもあかんかな」「あかん。安倍さんでもわからへん」「コロナ早よ終わらへんかな」「そうやな」「コロナいややな。いつ終わるんかな」「それは誰にもわからへんな」「あのな、わし羊やねん。昭和42年生まれや。52歳やねん」 中ノ島小橋の上に立っていると、笑顔で話しかけられた。その相手の男性は無精髭を生やし、歯もかなり抜けて年齢より老けて見えたが、仕事らしい仕事もしていないようで、おそらく結婚しておらず、生活保護を受けているのではないか。同じ話を繰り返すので、筆者はそっと別れて「風風の湯」の前の桜の林に入り込むと、「風風の湯」の玄関前の石のベンチに腰かけていた50歳ほどの背の高い男性に同じように話しかけ、笑顔で言葉を返してもらっていた。だが、話は続くはずがなく、阪急嵐山駅に向かうまでの間、また別の男性に同じように言葉をかけ、同じように微笑まれていた。筆者はその男性が笑顔で生きられる世の中に政治家が務めなければならないことをしきりに思い、家内にもそのことを話した。人間は賢いかアホでは判断出来ず、人の数だけ知能の段階があり、また知能が高い者ほど生きる権利が大きいとは全く言えない。大事なことは優しさだ。その52歳の男性は優しい目をしていた。それで誰にでもしゃべりかけるのだろうが、相手にしてもらえない人は本能でわかるのだろうか。話しかけられてお茶を濁すように無言で去らず、中には意地の悪い人がいて、罵声の言葉を浴びせかけることもあるだろう。「おい、みんな、このおっさんアホやで」「そう言うお前がアホじゃ!」「何や!爺さん、喧嘩売る気か」「アホなこと言うな。お前こそアホじゃ!」「あの、わしな、羊やねん。昭和42年生まれやねん」「ははは、このおっさん、やっぱアホや。茶々入れるなや」「お前が最初に無茶言うたんや。その人にはちょっかい出すなや」「爺さん、親戚か?」「そやったら悪いんか!」「いや、悪ないけど、よう面倒見たれや」「あのなあ、ちょっとくらい人に優しい気持ち持ったほうがええぞ」「関係あるか!」「(お前みたいなもんがほんまのアホ言うんや。そのうち誰からも相手にされへんど)」「コロナいつ終わるかな。安倍さん知ってるかな」 最後にまた一句「アホな世の 涙で曇る 酩の月」
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