丹念かつ合理的に作られているとしきりに感心する。花や鳥はそのままで自然の造形の妙を感じさせるが、動物が作る巣も自然の造形と言いたくなる。先ほど気になっていたメジロの巣を取り外した。
離れた南天の茎を接続しつつそれらを取り込む形で編み込んだもので、この小さな椀型の巣を作るのに番いでどれほどの日数を要したかと思う。子孫を残す、子育てをするというエネルギーと本能は生き物の根幹で、番いの協力の美しさを伝える。巣の内部は棕櫚の幹の表面に出来る毛を利用し、外側は苔や細い枝、それにビニール紐の断片も使っているが、こってりした糊状の白いものもある。これはメジロの唾液のようなものか、それとも糞だろうか。巣の中に卵の破片が皆無であることが気になって昨日ネットで調べた。鶏のように孵化した時に羽毛があり、自分で餌を探し回る雛と違って、鳩やメジロは巣の中で親から餌を与えられる必要がある。狭い巣の中に卵のかけらがあると邪魔になるので、親が外に運び出すという。そして雛の糞も外に運び出して巣の中は常にきれいに保つため、筆者が覗いた巣の中に何も残っていないことが、親鳥が卵を産まなかったこととは言い切れない。家内は南天の根元に白い糞などを見かけて掃除したことがあるので、巣での生活があったことは確実だ。去年の同じ時期、家内は伸び放題の南天の木を剪定し、その際小鳥の巣を地面に落下させた。巣からこぼれた3,4個の卵が割れて、黄味が見えていた。それはメジロの巣であったはずで、家内は巣の存在に気づかずに彼らの子育てを阻害してしまった。それでもメジロは懲りずに同じ場所の同じ木で産卵することにした。今年も家内はその高さ3メートルに伸びた南天を見上げながら、巣を見つけたが、もちろん南天の木は剪定せずにそのままにした。徒長し過ぎていたので少しの風でよく揺れていたが、巣は地面から高さ180センチのところにあり、筆者の背丈では脚立に乗らねば内部が見えず、そっとしておくことにした。またネットによれば、メジロは毎年巣を新たに作るとのことで、今年の用済みとなった巣は南天の枝の剪定の際に確保した。虫はついていないようで、ゴミとして処分するには忍びない。今日の2枚の写真を撮った後、南天の茎をもっと短く切り直し、ミニトマトが入っていた円柱型の蓋つきのプラスティックの容器に入れるとちょうど収まった。南天は難を転ずるという吉祥の木だ。それにメジロが巣を作って雛を孵したとすれば二重にめでたい。糠喜びではなく、漬物喜び程度の僥倖はあるかもしれず、そのための記念品となるようにそのまま保管しよう。巣の内部はあまりに小さく、2羽しか育てられないと思うが、人間と同じく少子化を迎えているのだろうか。家内が掃除していた時に周辺をうろついていたメジロは巣立ちしたばかりであったかもしれない。「メジロ発ち ロンリーな巣や 濁りなし」
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