怠け者、生獣、ナマケモノ、負けな者、魔モノ泣け。今日は天気がよかったので、また裏庭の枯れ枝束ねに精を出し、そして青空の下に椅子を出してハイネの『アッタ・トロル』を読み始めた。
先日この本について触れたが、記憶違いで、読みたいと思っていた本と違った。たぶん『冬物語』だと思うが、それも違うかもしれない。ということは、30年ほど前にハイネの本を何冊か手に取っていたことになる。その理由はやはり風刺と詩ということからの関心だ。92年にフランクフルトに行った時、街の中心部の広場に面した本屋でハイネの何冊かまとまった選集を見つけ、よほど買おうと思いつつ、荷物になると思って断念した。その頃からハイネに関心がありながら、その後そうではなくなったのは自分でも理由がわからないが、先日の早朝、夢現の中で「アッタ・トロル」の言葉が浮かんだことも思い当たる節がない。早速本を買ったが、読み始めるとサーカスに売られた黒熊の話がとても面白い。自分のことを怠け者と感じる時は、すらすら読める本を手に取ればよい。少しは何かをした気になれる。ネット時代になってWIKIPEDIAという便利な百科事典が充実して来ているが、昨夜ハイネを調べると、病床にあった最晩年、エリーゼ・クリニッツという若い女性がしばしば訪れたことを知った。その女性の素性が日本のウィペディアではわからない。ドイツ語のそれには「最後の恋人」とあって、詳細な紹介があるが、それを邦訳する人がいない。死ぬまで女性にモテたハイネで、さすが才能のある男前は違う。またこれは去年気づいたが、有名なイギリスのミュージシャンのウィキペデアでも、日本では英語版のすべてを訳していないことがままある。話を戻して、先ほどネットでコロナ不況から体を売る若い女性が増えていることを読んだ。男前でなく、才能がなくても、金さえあればパパ活をする若い女性がたくさんいるのでセックスには困らないが、そういう男女は「生獣」で「負けな者」に思え、読んでいて心が寒くなる。社会が病んだ闇を抱えるのはいつのことでもだが、そうであるからと言って、病んだ闇が正当化されることはない。また話は変わる。昨日たまたまアメリカの女性シンガーソングライターのある曲を知った。歌詞がわかりやすく、真実味があり、早速そのCDを入手しようとしているが、レア盤でまた高価だ。さて、今日の写真は最初が4月24日、2枚目が今月15日で、ホテルは完成したが新コロのためにオープンは先送りだ。またいつになれば外国人観光客が戻るかわからない。「風風の湯」は今月末までが休みであったのに、昨日ホームページを見ると延長となっている。開けても客が少なく、赤字なら営業しないほうがいいからだ。もっとも、新コロが完全に終息しておらず、もしもを考えてのことで、実際各地で新たな感染者が出ている。動きたいが、怠け者になって家にいるほうがいい。
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