遭遇することが珍しい新型コロナウィルスであればいいが、25日に緊急事態宣言がすべて解除されて以降、第二次、三次の感染拡大がどうなるか心配だ。それは先のことだが、今日筆者は腹痛を伴なうひどい下痢に見舞われた。体力が落ちているのは運動不足のせいか。
![●嵐山に出来る大型ホテル、その9_d0053294_22343826.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202005/23/94/d0053294_22343826.jpg)
ところで、気になっていた政府からマスクが一昨日届いたが、記念に取っておく。自粛生活のために多方面に深刻な影響が出ていて、人々はイラついている。SNSには匿名性を利用して言いたい放題のコメントが増えているのか、先ほどのネット・ニュースで22歳の女子プロレスラーがそれが原因かどうか、どうやら自殺したことを知った。ネットで自分のことを調べる「エゴ・サーチ」を筆者はここ20年ほどはほとんどやらない。読めば立腹するであろうし、精神衛生上、読まないに限る。このブログのコメント欄も閉鎖しているが、もともとコメントはごく稀であったので、閉鎖しても心境に変化はない。筆者にどうしても連絡したい人は筆者のホームページにメール・アドレスが書いてある。ただし、それを探すには少しは注意深く見る必要がある。鶴見俊輔は初対面の人と会う時、必ずその人に著作があれば目を通すと書いていた。それが相手のことを知る最良の手立てであり、会った時に深い話が出来る。その伝で言えば、筆者に会いたい人に著作を読んでほしいが、それは無理なので、せめてこのブログの数十の投稿は読んでほしい。もっとも、筆者に興味を持って会いたい人はいないだろう。SNSに筆者の悪口を書く人も今はたぶんいないと思っているが、エゴ・サーチをしていないので実際のところはわからない。どのような意見に対しても必ず反対する人がいる。SNSにひどいことを書かれることは、ネットを使っている限りはある程度仕方のないことだろう。何を書かれても気にしなくて済むようにエゴ・サーチはしないに限るが、たとえばツイッターでは簡単にコメントを書き込めるので、否定的な意見に否応なく触れてしまう環境にある。つまり、SNSは自分の宣伝に利用出来る代わりに、大きなストレスを抱えるマイナス面もある。それを有名税と思えばいいようなものだが、本名も年齢も顔もわからない相手が執拗に否定的なコメントを書き込むと、気の弱い人は確実に精神を病む。またそのように追い込むことが相手の目的であるから、もう匿名では書き込めない仕組みが採用されていい。それはともかく、22歳で死ななければならなかった先の女性が、ネットの書き込みに気を病んだとすれば、彼女も書き込んだ者も、現実とネットの境界が曖昧になっていたと言える。一度でも直接会って話をしたことのある間柄であれば、現実をネットでかなり代用出来るが、そこには誤解は入り込みやすい。あるいは直接言いにくいことを文字で伝えられる利点もあるって一長一短だが、筆者は直接会いたい古い人間だ。
![●嵐山に出来る大型ホテル、その9_d0053294_22345390.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202005/23/94/d0053294_22345390.jpg)
さて、今日の写真は3月28日、福田美術館を初めて訪れた時に撮影した。ホテルはもう建物は内装も含めて完成しているようで、この頃は前庭の石組みや植樹が行なわれていた。いつも渡月橋の上から遠目に撮影していたのが、この日は初めて間近で工事中の様子を見た。わずか3枚でもおおよその雰囲気は伝わると思う。話をネットに戻すと、先日ロシアで確か7、8歳の男子がTVゲームで負けた腹いせに弟をメッタ刺しにして殺した事件があった。そしてNHKの番組では不登校の小学生男子が将来ネット・ゲームのプロになることを目標に1日17時間ほどゲームをしていて、両足がエコノミー・クラス症候群になっていると言っていた。母親がいないのか、祖母が食事を作って出しても男子は画面に釘づけで、完全に中毒になっている。そういう学力も教養も体力もない子が目と指先の感覚を日夜研ぎ澄まし、やがてeスポーツのプロとなって大金を稼ぐことはあり得るが、筆者にはもう別種の人類があちこちで出現している気がする。人によって幸福感を得る対象は違ってあたりまえで、その男子がeスポーツ界で有名人になると、それはそれで大いにメディアに持ち上げられるが、TVゲーム相手に前人未踏の成績を獲ったところで、それはゲームに遊ばされているだけのことで、創造性は片鱗もない。それをスポーツと呼ぶのであれば、スポーツには創造性は不要ということだ。筆者がスポーツに無関心なのはその点だ。スポーツに創造性があるとすれば、その競技を発明したことであり、eスポーツならばそのゲームを作った連中がそれに当たる。とはいえ、どのような創造でも価値があるとして、それを認めるのは創った本人やその周囲のごくわずかな人たちというのが現実で、野球やサッカーなどのように、短い時間に大観衆を楽しませる芸術はごく稀だ。そのため、スポーツ好きが100人いれば芸術好きは2、3人もいないだろう。それをいいことに、日本の政治家は芸術に金を使うことは愚かと考え、大阪元市長のようにスポーツに毎年国費で3兆円を出せばよいとTVで発言する。一方これも先日、TVでルーヴル美術館の裏方を紹介する番組を見た。絵画や彫刻の保存にプロ根性を持った大勢の人がいること、また大金が投じられていることがわかり、つくづく日本との差を感じた。新コロによって外国人観光客の訪日は今後どうなるかわからないが、筆者が昔から思っているのは、名所や名物の味を堪能した旅行者にまた日本に来てもらうには、日本が美術を大切にする国であることをもっと宣伝すべきだ。日本が評価しない日本美術品を外国人が買い漁って行くことは100年以上前から日本の伝統になっている。そんな愚かな、美のわからない国に、外国人は何度もやって来ない。フランスに世界中から人が訪れるのは、ひとつにはルーヴルがあるからだ。嵐山にも福田美術館が出来たが、10年後にどうなっているか。
![●嵐山に出来る大型ホテル、その9_d0053294_22352030.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202005/23/94/d0053294_22352030.jpg)
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