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●渡月橋上流左岸河道整備、その20
がどこかにあるはずが、見当たらない。その三日月型の刃物で雑草を切るつもりが、料理鋏や枝切り鋏をここ数日使っている。今日の午後は雨が降り止み、裏庭向こうの小川に水が流れていないことを確認して脚立を持ち出した。



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それに乗って高さ5メートルは優にある木の一部の枝を切り落とした。ただし、高さ2メートルの脚立に乗り、長さ2メートルの角材の先端に取りつけた鋸が届く範囲までで、まだまだ鬱蒼としている枝を仰ぎながら思案していると、口の中に雨水が入って来た。やがて雨でずぶ濡れになったので作業を止め、その後体温を測るとまた37度になっていた。平熱に戻ったと思っていたのに、相変らず筆者にしては高い。とはいえ世間はついに自粛解除へと動き、京都の嵐山も元の賑わいを見せる日は近いだろう。新コロに感染すれば筆者も家内も真っ先に死亡する条件にいくつか該当しているので気を緩めることは出来ない。筆者の日常は梅田や河原町の繁華街に全く出ないことのほかは2月以前と何ら変わらず、さほど不便を感じないが、図書館での調べものがあり、大阪にも出たい。さて今日は何を書こうか。話題はいくつかあるが、うまくまとまらない気がしている。そうそう、作詞について書こう。筆者は全く詩を読まない。韓国は今でも詩に人気があると30年ほど前に何かで読んだことがあるが、今の日本で詩で飯を食べられるのは数人ではないか。ただし歌謡曲やポップスの作詞者は別で、シンガーソングライターも含めると、詩が廃れたのではなく、大衆化した。ところが、今のところ筆者は日本のシンガーソングライターに素晴らしい詩を見出していない。ジョニ・ミッチェルはレナード・コーエンの影響を受けたようだが、レナードの曲はほとんど退屈であるのに詩は素晴らしい。ジョニはその点を学んだであろう。レナードの詩はわかりやすいが、同じように直截的で含蓄のある詩がなぜ日本のシンガーソングライターには書けないのかと言えば、日本独特の緩さによるだろう。何を言いたいのかわからない未熟な詩は論外として、主張したい事柄が明確にある場合でも、使う言葉とそのつながりが陳腐過ぎて聴き手の心に入って来ない場合が多い。作詞家が自分に酔い過ぎ、また勉強不足であり、自分も含めて社会を冷静に見つめ、吟味し通した言葉を使う覚悟のようなものがないからだ。結局作詞に応じた聴き手を選ぶだけのことで、素晴らしい詩を書けば優れた才能を持つ人に届く。つまり、無名同然のシンガーソングライターがわずかなファンに囲まれて生き甲斐を見出していることは全く正しく、またそれゆえに名曲を書いて成長しようとする気力が必要だが、語るべき思想を持ち、それを歌うための語彙を蓄えるには、先人の作品を読み、時には外国の詩を訳し、また気になる同世代にライヴァルを見つけることだ。だがそこまで骨のある若者がいるだろうか。
●渡月橋上流左岸河道整備、その20_d0053294_22262828.jpg
 昨日はポーのことに少し触れた。小説家のポーが詩も書いたことは意外のようでいて、たとえば日本では富士正晴がそうであった。富士の晩年のどうでもいいことをどうでもいいように書いている文章は、読むと「これくらいのこと、誰でも書ける」と思うことがたびたびあるが、不思議に印象に強く残ったり、相槌を打ちたくなったりする箇所が多い。それは富士と筆者の考えが似ているからではなく、富士が人間の本質を見通しているからだ。その本質を書き留める態度は高校生の頃から詩を書き始めたことによるだろう。それでも筆者には富士の詩は敷居が高く、本は持っていても読んだことがない。一方、富士は詩の師匠である竹内勝太郎が40歳で黒部で事故死した後、竹内の残した資料を譲り受け、それを元に大部の本を書いた。富士の詩を読まないでいるのは、竹内の詩が気になるからだ。また竹内が好んだマラルメの詩は、筆者は20歳頃からいちおうは雰囲気は知っているが、その象徴詩というのはとっつきにくい。それで富士の詩も象徴詩と言えるのかどうか気になっているが、富士の散文からはそうではない気がしている。それにしても富士の竹内に対する思いは美しい。夭逝した師の業績をまとめ上げることの労苦が並大抵ではなかったことは富士の書いたものから伝わるが、師があって自分があるという思いは、儒学がまだ盛んであった戦前生まれという気がする。富士はそのほかにもたとえば久坂葉子や画家の榊原紫峰など、直接出会って深く関係した人たちや、また強く関心を持った芸人たちの伝記を書いた。これは縁があって特に気になる人については本にして後世に伝えたいという思いによるもので、小説よりもそういう仕事に多くの年月を費やしたであろう。それはさておき、最近村上華岳の図録の年譜を見て、華岳が竹内勝太郎と二人雑誌を刊行しようとしていたことを知った。大正12年、華岳36歳、竹内30歳のことで、雑誌は未刊に終わったが、意外なところで華岳と竹内のつながりを知った。当然富士は知っていたはずだが、富士が華岳の絵について何か書いたとは思えない。もしそうであれば竹内像は富士が書かなかった絵画の面から論じる余地が残されている。また華岳はその4年前にブレイクの絵画に傾倒し始めたとのことで、華岳の絵の魅力のひとつの謎が解けた思いがする。そしてブレイクは優れた詩人でもあったので、その詩を竹内やまた富士がどう思っていたのかという関心が芽生えた。ただし、そういうことを掘り下げても、今の日本のシンガーソングライターの詩を理解する手助けにはならないであろう。詩は方法論などなしに好き勝手に書いてよくても、ある一定以上の成長のためには方法論の歴史を知るべきで、これはどのような芸術にも言える。今日の3枚の写真は3月22日の撮影で、傘亭にまた座って家内に全身を撮ってもらったが、顔を見せるのは不謹慎なので掲載を自粛する。
●渡月橋上流左岸河道整備、その20_d0053294_22274513.jpg

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by uuuzen | 2020-05-16 22:28 | ●駅前の変化
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