露頭に迷う人は嵐山や嵯峨には住んでいないと思うが、経済的な打撃を受けているのはどこでも同じで、確かにウィルスの懸念よりもそっちの話題になる。自粛という異常事からいつ脱却出来るかの関心は、動き回ることが本能の人間とすれば当然のことだ。
先ほど嵯峨のスーパーに家内と買い物に出かけ、その帰りに渡月橋の100メートルほど下流の市営駐車場前の暗がりで自治会のFさんに呼び留められた。どういうわけか筆者はよく目立つようで、Fさんに各地でよく見かけられる。会うたびに先日はどこそこで歩いているのを見たと言われる。筆者が買い物に行く頃にFさんも車や自転車で出かけるからだが、筆者はFさんから目撃されていることを知らないので、姿を見かけたと言われると何だか変な気持ちだ。たまには大声で車中から声をかけられるが、今日のFさんは自転車であった。前にも書いたことがあるが、筆者が美女と歩いているところを見られ、そのことが家内の耳に入ることがあって、言い訳にしどろもどろになる。こんなことを書けば筆者が女性にもてることを自慢していることになるが、大昔のことだ。話を戻して、Fさんとは10分ほど立ち話をした。半年ぶりのことだ。「大山はん、ライヴハウスへ行ってましたんか?」「去年まではね」「コロナでライヴハウスが真っ先に評判になりましたから大山はんのことを思ってたんですわ」 自粛が長引いて閉店になったライヴハウスがあると思うが、新コロが終息すれば世の中がどう変わるかにみんなが関心を寄せている。嵐山でも超高級のホテルを営業している社長が新コロ終息後は完全に以前の経済状態に戻ると昨夜自信たっぷりにTVで語っていた。これは最も楽観的な意見だ。その社長は大阪の新今宮に外国人観光客相手の豪華ホテルを構想中であるから、ぜひとも以前と同じ世の中になってもらわなければ困る。それで自らを鼓舞しているように見えた。問題は世界がウィルスによってどれだけ経済が萎み、海外旅行に出かける人の数が以前のように戻るかが読めないことだ。感染の二次、三次が終われば以前と同じ安全な世の中にいとまずなるにはなるが、三密をなるべく避けようという意識を抱く人は一定の割合で残り続けるのではないか。嵐山に外国人観光客が激増し始めた頃、Fさんは苦々し気な顔でそのことをあまり歓迎していなかった。旅館や喫茶店以外は恩恵を受けず、それどころか家の前にたばこの吸い殻や菓子のラップや袋などのゴミが捨てられ、時にはトイレを貸してほしいと言われたからだ。その観光ブームによって新コロが日本で蔓延し、商売に差しさわりが出ているFさんだが、ともかく元気で、近いうちにFさん宅に新しい自治会長や副、そして筆者を交えて話し合いをしようということで別れた。さて今日は1枚だけだ。3月22日の撮影で、画面上の桜は蕾が大きくなっている。嵐山の満開の桜の写真はすでに
4月3日に投稿した。

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