濡れた頬を見せるのは格好悪いので本でそっと隠した。好天気の今日の午後、売茶翁に関する本を読んでいると、ふとした拍子に涙が出た。引用すると長くなるのでやめておくが、売茶翁が作った五律の意味を訳す必要があり、その最後の句に感動したのだ。

売茶翁は禅僧であったのに、大きな伽藍に住む僧侶の生活に矛盾を感じ、還俗して当時最も卑しい商売とされた茶を売り歩くことにした。その移動喫茶店の生活を20年ほど京都市内各地で過ごし、81歳に体力の限界を感じて茶道具を全部焼き捨てて揮毫生活に入った後、89歳で老衰で死んだ。筆者は折りに触れて売茶翁の詩を読むが、先の五律は毎回茶を煮て客を招くことに新鮮さがあるという言葉から始まり、最後の句「若是論相識 舌頭忘味人」は「もしも知り合いと論ずるならば、それは言葉を忘れて茶を味わう人」という意味だ。つまり、顔馴染みがまた茶を一杯飲ませろとやって来ても、お互い話さずとも茶を味わうだけで心が通うということだ。こういう付き合いを淡交と言う。知識人とはそういうものだ。この場合の知識人は昔で言う君子だが、加藤一雄の本を読んでいると、加藤が自分のことを君子と思っているという下りがあって少し驚いた。だが、君子とはそうなりたいと意識し、日常生活を律すればそれでよく、加藤は残した文章から君子であったと言える。君子の道を説く儒教が今はすっかり忘れ去られ、下衆な者が有名になって金を儲けるが、売茶翁の生きた時代も似たようなものであったろう。それで売茶翁の先の五律では、清水を汲んで玉石で澄ませた後、沸かしたその水は浮世の塵を流すという。筆者は本から顔を上げ、ふと裏庭に差す光を見た。そこは春真っ盛りで、250年前の同じような日和の嵐山にも時に売茶翁が茶道具を担って茶売りに訪れたことに思いを馳せた。その時になぜか筆者の頬に涙が滲んだが、こうして書いていてまた同じ感動が襲う。想えばその対象とつながっていることを思うからだ。ところで今日は子どもの日で、夕暮れに柏餅をスーパーに買いに行った。柏餅を食べる風習は柏が子孫繁栄の象徴であるからで、子どもの日にそれを食して子どもの成長を祝う。最近筆者はTVで赤ん坊を見ると顔が緩む。筆者の息子は30半ば過ぎになっても結婚出来ず、孫の顔を見られそうにない。結婚相手が必要なので仕方のないことだが、そう言えば先ほどのTVで日本の子どもの数が39年連続で減少していると知った。子孫の繁栄がなければ国のそれもない。一方、一昨日の赤い薔薇の写真を撮った帰り、別の家の庭先に薔薇の蕾が道路に飛び出ているのを見かけた。筆者は薔薇の蕾がたくさん出ている様子が大好きだ。それらはみな開花するとは限らないが、薔薇は可能性に常に賭けている。売茶翁が死んだ年齢まで筆者は21年ある。そう思えばまだ一仕事も二仕事も出来る。いつも心に小さな無数の蕾を。

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→