充足した気分になれるのは完璧なものを見ている時だ。その完璧は自然にはいくらでもある。特に花はそうで、人間がどう進化しても造花しか作り得ない。それはそれでその極致は見事だろうが、香りがなく、虫が花粉を求めて飛来しない。
それはさびしいことだ。
先日裏庭で咲いた白い牡丹の花を撮影した時、今年は熊蜂や黄金虫がやって来て黄色い花粉まみれになってほしいと思った。牡丹は誰のために咲くかと言えば、そうした虫のためだ。それはさておき、よく「ありのままがよい」とか「ありのままを愛してほしい」という言葉がある。とても甘ったるいので筆者は好まない。「ありのまま」を自負出来るのはよほど自惚れが強い人だ。それは恥という概念を知らない開き直りであって、美しくも完璧でもない。筆者が好む「ありのまま」とは、自分を磨く努力を惜しまないことが前提としてある状態だ。それは大人になってからの常識だと思うが、もちろんそんなことを考えない野放図、自堕落な人もたくさんいる。そういう「ありのまま」は粗野ないし野蛮であって、同じような人しか近寄らない。ところで、昨日はまた加藤一雄の本を開き、また入江波光についての文章を読んだ。入江は死ぬまでの40年ほどを古画の模写をし続け、あまり自分の絵を描かなかった。その作品を加藤は天才の断片に過ぎなかったと書く。なかなか厳しい言葉ながら、これは誰しも同意するだろう。天才という言葉はめったに使ってはならないもので、日本でそう呼べる画家はごくごくわずかであった。あるいは皆無であったと言ってもよい。もちろん今はいるはずがない。入江は画家として完璧にはなり得なかったが、それは言い換えれば努力は無駄ということだと加藤は言う。まことにそのとおりで、才能が少ししかない者は一生努力しても完璧な作品を生み得ない。そうした例を筆者はたくさん見て来た。それは20歳頃にはもうわかっていることで、知らないのは、あるいは知らないふりをするのは本人だけで、そこに悲哀があるが、わずかでも自尊心を満たすことが生き甲斐になっている人は多い。加藤は京都の多くの画家と交流があった。その中でも入江は最も印象深かったようだ。入江は孤独でいつも苦々しい顔をしていたそうで、模写で獲得した、いわば前人未踏の天才的な技術を駆使してなぜ自分の完璧な絵が描けないのかという葛藤があったのだろう。その意味で入江は職人肌で、加藤は、そして入江も画家や芸術家という言葉を嫌い、むしろ職人の生き方を贔屓にした。職人にもピンからきりまであるが、つまらない人は度外視して、技術が完璧でなければならないという絶対条件がある。英語教師として加藤が戦前の京都美術工芸学校で教えた10代半ばの子どもたちは、西陣織や和菓子屋の息子で、彼らは無名の職人になるために絵画の基本として技術を徹底的に学んだ。
今は芸術に技術は不要という考えが大勢を占めている。筆者はそれに与しない。美術でも音楽でも、表現には優れた技術が欠かせない。クラシックのピアニストが毎日8時間ピアノを弾くのは、完璧な技術を獲得し、またそれを保持するためだ。山はいくらでも高いものがある。そのことを知らない、あるいは知っていても最初から諦めている者は低い丘の上に立つことで満足する。ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」はそういう者を揶揄しているのかもしれないが、ビートルズは最期のアルバムに当初は「エヴェレスト」という題名をつけようとしたことは、もはや完璧であって頂点に立ったという自負があったからだろう。入江に話を戻す。加藤は西大路下立売りの入江の家を訪れ、入江がその農家の廃屋のような家に生まれ、そこで死んだことを書くが、華々しい名声を得ず、学校の教員のままで死んだ入江は、自分が村上華岳のような天賦の才能を持っていないことを自覚していたことにも言い及ぶ。そこに入江の孤独と運命を受け入れていた覚悟が見えるが、法隆寺金堂の壁画を模写している時に撮影された入江の姿の写真は筆者はとても好きで、そこには凛とした男の格好よさが滲み出ている。終日坐り込んでほんの数センチ角ほどしか模写出来ないという作業を何年も続けるのは、絵に興味のない人には狂気に見えるだろうが、入江は自分が初めて1300年ほど昔の壁画を目の当たりにし、それをそっくり模写して古代の画家の思いに同調している幸福を日々感じ取っていたはずで、もはや自分の絵はほとんどどうでもよかったのだろう。加藤は入江のほかにふたりの同輩の学者の名を挙げ、それら3人は人生に何も残さずに遊んで暮らしたと書く。ある意味ではそれが理想と言うのだが、何も残さなかったことは何も努力しなかったことではない。努力もまた遊びと捉え、その努力を何らかの後世に残る形にすることに拘泥しなかったということだ。もちろん入江は画家として歴史に今後も残り、その創作は画商が商売の具として扱い続けるが、加藤の言う意味での完璧の総体としての天才ではあり得なかった。努力などアホらしいことと加藤は思っていたようだが、その加藤も本職の英語教師とは別に美術の本を数冊書いた。それは努力の産物と言えなくもない。少なくても文章を綴ることがあまり好きではない人にとってはそう見える。またその加藤の文章を富士正晴が絶賛していたことは面白い。本職の文章書きが舌を巻くほどの文章を加藤は書いた。加藤にすればそれはあまり努力を要さなかったのだろう。その意味で加藤は文章の天才的才能を持っていたが、やはり天才の断片であって、完璧ではない。昨日自転車で上桂に向かう時、近所の植え込みで深紅の薔薇が満開になっていた。その写真を今日は6,7枚撮った。そのどれもが完璧のようでいて、筆者にはそうは見えず、完璧に近いものをブログ用に加工した。
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