熟し始めたようで、今日は天気がよいので昼間にまた庭作業をし、白梅に実がいくつか出来ているのを見た。100個近くは毎年出来るが、今日は10個ほどしか見かけなかったので、不作かあるいはこれから次々に実るのだろう。
とはいえ、前者の可能性が大きい。というのは、梅の木を覆う形で名前の知らない、高さ4,5メートルほどに繁茂している木があるからだ。梅にはさっぱり光が当たらないが、それでも実をつけるほどに健気だ。今日は名前の知らないその木の枝を長さ3メートルほどの棒の先に取りつけた鋸で少し払ったが、梅には相変らず光が差さない。もっと剪定するには小川の中に脚立を立てて背伸びする必要があり、それには小川の上流の堰が閉められ、川に水がない状態になる雨天まで待たねばならない。だが雨が降っていては脚立に乗っての作業は危険で、雨が降り止んで堰が解放されるまでのほんの少しの合間を見定める必要がある。いっそのこと根本から切ってしまえば早いが、それには忍びない。いつの間にか大きく育った木ではあっても、春になれば白くて細かい花を無数に咲かせる。自分が好きで植えた木は半分ほどで、他は鳥が種子を運んで来て育った。それが自然というもので、そのままにしている。隣家も含めて狭い庭にあれこれと植わっているそれぞれの植物にそれなりに平等に光が当たるように気を配り、剪定が必要な場合はそうしているが、庭ではなく、雑木林の超ミニと言ってよい。目下の悩みは、息子が小学1年生の時に学校からもらって帰った蘇鉄がここ四半世紀でかなり大きくなり、もう鉢では狭すぎてかわいそうなことだ。筆者は蘇鉄は割合好きで、葉を直径1メートル少々ほどの円形に広げたわが家の蘇鉄をどこかに直植えしてもっとのびのびしてほしいと思っているが、その場所がない。それで今日は紅白の梅を植えた小川沿いの幅50センチほどの土手道と呼んでよい空き地の片隅がどうかと思った。そこなら葉を小川に向かって伸ばすことが出来る。ちょうど椿の木の下になるが、光はよく当たる。そうそう、今日は気温が20度以上に急上昇したので、鶏頭の種子を植えた。去年とは違って赤い鶏冠鶏頭で、その種子を数か月前に入手しておいた。去年と同じ轍を踏まないように、今年は二種の土を買い、入念に用意した。とはいえ、肝心なのは光だ。ひとまず7.8個の鉢に撒いたが、本葉が出て来れば直植えする必要がある。その場所の用意のためにたぶん半日はつぶれるが、蘇鉄を植え替えようと思っている前述の小川沿いの細長い土地にするつもりで、蘇鉄を植え替えは冬場にして、それまでの間に鶏頭を育てよう。今日は繁茂していた雑草をあらたか抜いた。明日は土を掘り返し、腐食土や培養土を混ぜる作業をしよう。土と光と水があれば植物は育つが、それ以外に液体栄養剤を与えねばならないことにようやく本気になり、一昨日はそれを1000倍に薄めたものを撒いた。
鶏頭は種子が直径1ミリの細かさで、土に撒くと見えなくなる。それが心細く、今年も育てるのに失敗しそうだが、そうなればまた来年挑戦する。それはそうと、今朝家内は玄関脇を掃除していて南天の木に鳥の巣を見かけた。そして2年ほど前に同じその南天の木に同じような掌に収まるほどの灰色の巣があって、ある日強風でそれが落下し、中に入っていた卵が割れていたことを筆者に話したが、そう言えばそうで、筆者はその鶉の卵大の中身のない殻を見てネットで調べた。卵の表面の模様から鳥の名前がわかるのではないかと思ったからだ。結局わかるはずがなく、適当な小鳥の名のコガラを家内に言ったが、家内はそれを覚えていて、今日はコガラがまた巣を作ったと言った。今度こそはその鳥の正しい名前を突き止めようと思いながら、庭作業を終えた後、1日遅れで固定資産税を支払いに銀行に行くために外に出ると、地面すれすれに黄緑色の小鳥が飛び去った。それが目白であることはすぐにわかった。玄関脇に高さ3メートルほどの南天の木があり、その中ほどに営巣していると家内が言う。しばらく観察したが、巣は見えなかった。そのほうがよい。また巣が地面に落下しないように祈るしかないが、なぜ目白は懲りないのだろう。裏庭のほうが圧倒的に身を隠せる緑が多いのに、人に見つかる、あるいは筆者や家内が出入りするたびにひやひやせねばならない玄関脇がいいのは、裏庭には烏や鶯、雀その他の鳥がよく飛んで来るからだろう。ちょうど新コロの影響で筆者も家内もほとんど家から出ず、また近所の人たちもそうなので、目白にとってはその南天の木がちょうどよさそうだ。一昨日筆者はその木を見上げながら、どこをどう切って背丈を1・5メートルほどにしようかと思っていたのだが、切らないでよかった。家内は玄関脇に鳥が巣をつくるのはいいことなのかそうでないのかと心配するので早速調べたところ、燕と同じく、いいことのようだ。となれば、どうにかその目白が雛を孵し、巣立ってほしいが、南天の木は風でよく揺れ、それが心配だ。ともかく、筆者は観察するつもりはなく、玄関周りを掃除する家内から様子を聞くことにする。さて、予想どおりに緊急事態宣言は1か月ほど延長になる。一気に気温が高くなり、行楽日和の中、新緑の日差しと空気を誰しも味わいたいだろう。それがもう1か月我慢して本当に自粛しなくて済むのだろうか。コロナという言葉がすっかり悪者扱いされてしまったが、本来は太陽の周囲の炎のメラメラで、病気とは反対の快活のイメージがある。コロナと形容せずにもっとほかの言葉を考えると、トゲトゲが球体の周囲にあるので、似た形状のものとなるとドリアンか。だがこれではドリアンを売る東南アジアの人が賛成しない。ともかくアゲイン、もうしばらくはコロナのことを心に留めねばならず、自粛生活第2期が始まった。
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