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●さびしい桜
仏寺に行ったのは40年ほど前で、またその寺のある奥嵯峨に行きたいと思いながら、足が向かない。老いるほどに多忙になるのは、時間が過ぎ去るのが早いと感じるからだが、本当にそうなのかと思いつつ、本当にそうだと納得する。



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「風風の湯」のホームページを今朝見ると、来月末まで営業休止になっていた。政府が来月6日で緊急事態宣言を撤回しないことを見越してのことで、政府の考えを一般人がとっくに気づいている。だらだらと自粛が続きそうな気配だが、経済を回せという声も小さくなったようで、もうなるようにしかならないという諦めムードだ。観光業が軒並み被害を受け、特に京都はそうだ。嵐山が今年の春ほどさびれたのは歴史始まって以来のはずで、誰とも遭わないので新コロに感染する心配がないとはいえ、さびしい嵐山公園に散歩に出かける気分になれない。それで2,3日に一度は嵯峨方面のスーパーに行くので、その途中でたまに工事中の様子や他の写真を撮るが、今日から3日間は花の写真を載せる。嵐山の桜のお裾分け今月上旬に二回投稿したが、今日はその後の写真だ。最初の写真は3日に撮った。この眺めは嵯峨のスーパーからの買い物帰りにほぼ必ず経験するもので、割合気に入っている。その理由は、狭い道の両側に挟まれた向こうに道路、桂川、そして桂川右岸の公園やテニスコート、さらに奥に山が見えることだが、その山裾が途切れて空が広がっている様子に解放感があるからだ。撮影位置の左は黒い壁が高くそびえている。これはバブル頃に建った。以前は冨田渓仙の家で、それが北半分になった。ただし、南半分もひょっとすれば冨田家が経営する店かもしれない。この狭い道は一方通行ではなく、車がそれなりによく通るので、筆者と家内はたいてい建物のギリギリ際を歩く。癪に障るが仕方がない。ついでに書くと、この写真を撮った後、180度向きを変えて北を向いて撮った。その写真を消してしまったのが残念だが、なぜ撮ったかと言えば、北を向いた時の左手つまり冨田家の真向かいの家の庭に桃の花が満開になっているのが見え、その鮮やかな濃い桃色とその奥の店付近の電柱に飾られていた造花の桜の花の対象が面白かったからだ。造花の桜はこの狭い道がJR嵯峨駅に通じる一応の商店街であるからだ。それにしても4月3日にもう桃の花が満開になるとは今年は春の訪れがとても早かった。そのために中旬になっても東北や東京では雪が降った。京都でもまだかなり冷たく、1,2か月前の気温になる日がある。それはともかく、今日の最初の写真は奥に満開の桜の花が見えている。遠いのでさびしいが、ほとんど誰もいないので近寄ってもさびしい。だが桜はそんなことを感じているだろうか。人が見ていようが見まいが、季節が廻れば咲く。それは人も同じだ。誰に見られるのでなくても美しく成長し、そして老いて行く。
●さびしい桜_d0053294_00135687.jpg
 新コロで62歳の有名な美人タレントが死んだ。見られてなんぼの職業の彼女としては、語弊があるだろうが、まだ美しいと思われる頃に死んでよかったように思う。筆者は彼女の顔と名字を知っている程度で、また芸能人はみな本質はほとんど同じと思っているので、彼女の死を惜しいとも思わないが、彼女がヘヴィースモーカーであったことを読んで、何となく美女もつや消しだと感じると同時に、肺に負担がかかっていたことが新コロに呆気なくやられた原因のひとつかと感じる。松たか子もヘヴィースモーカーで有名だが、芸能人の美女はみな虚飾だらけだ。清純派を感じさせるほどそうだろう。芸能人を目指す女性に清純を期待するのは間違いで、みな演じているだけのことだ。以前に書いたことがあるが、平安画廊である美しい版画家が何度か個展をし、筆者はその個展期間中、たまたま彼女がいない時に、60半ばのややむさ苦しい男性が画廊に入って来て話をした時のことをよく覚えている。筆者は作者の女性が若い美女であることを言うと、その男性はそのことに関心を示さず、むしろ作者が美しいことはよけいだといった意味のことを言った。筆者は虚を突かれた気がした。そうなのだ。芸術をやる作者が美女であろうがイケメンであろうが、それは関係ないどころか却って邪魔なことだ。作品は作者より長生きする。美しい女性はすぐに老いる。桜がぱっと咲いてすぐに散るのと同じで、葉桜になればもう誰も振り向かない。芸術では作品が素晴らしければそれでよく、作者がどういう顔立ちをしていたかなど、どうでもよい。実際その女性版画家は自分の容貌の美しさで有名になって来たのではなく、作品で認められた。芸術とはそのようなものだ。そこが芸能とは違う。芸能はほとんど見栄えだけが勝負で、それは瞬時に消え去る。誰でもそれを知っているので、芸能人は整形手術をするなどしていつまで若く見られたいと思う。その虚飾性は造花にたとえてよく、とてもグロテスクだ。筆者のような年齢になると、現実の美女を時に気味悪く感じる。ヘヴィスモーカーや麻薬をやっていると聞くと、もうすっかり幻滅する。前述の画廊内で出会った男性もきっとそのような思いであったのだろう。それでも筆者は美女が好きだが、年々その基準は厳しくなり、もはや現実にはいない境地の面影に思いを馳せている。最近は村上華岳が描く拈華観音や天女、舞妓の顔にひとつの理想の美女の面影を感じる。それはとても肉感的であり清潔でもあるといったアンヴィヴァレントな魅力で、生身の女性には存在しないものだ。それにしても桜は人がたくさん見ていてもさびしい花で、やはり美女にたとえたい気がする。今日の2枚目は18日に「風風の湯」の際で撮った。これら10数本の若い桜はその温泉が建てられた際に植えられた。それは温泉が建った土地にあった桜の老木の代わりだ。3枚目は同じ日、渡月橋近くの嵐山公園。
●さびしい桜_d0053294_00141873.jpg

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by uuuzen | 2020-04-26 23:59 | ●新・嵐山だより
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