産物と言えるのかどうか、ネットに載る筆者のこのブログは本と違って金を生まず、したがって経済を回さないから、「無用の産物」と呼ぶにふさわしい。
昔の本がネットで読めるようになり、また新刊書も電子本があるが、それらと違って、また自費出版を除いて、最初からネットで発表される文章が書籍化されることは稀であろう。ネットで無料で読めるものをわざわざ金を出して本を買う酔狂な人は少ない。本は長年残るが、ネットの文章は書き手が死ねばいずれ消える。有名人のブログを国会図書館が永久保存し始めたそうだが、個人のブログを永久保存する程度はデータ量としてごくごくわずかでど、いくらかの金を払えばどこかで長年保存してもらえるサービスが生まれないだろうか。あるいはもうあるのかもしれないが、電気を使うネットは筆者のような古い人間には実体がないもののように感じられる。今日は学生時代の恩師から本が届いた。とある雑誌に30年ほど前から今も連載中の文章をまとめたものだ。筆者はその連載について今日初めて知ったが、その雑誌も届いた本も非売品で、一般に人の目には留まらない。長年気になりがら、師とはお会いしておらず、手紙には新コロ禍が終われば会いたいとあった。パラパラとページをめくっていると、筆者のことについて書かれた数年前の文章を見つけた。その最後の箇所で筆者は涙を浮かべたが、本当に今年こそはお会いに行こう。家内に読ませると、その原稿用紙4枚程度の文章は筆者の紹介文としては最適で、多くの人に読ませればいいと言った。確かにそうかもしれない。これまでおそらく2,3万枚の原稿用紙に相当する文章をブログに書いて来ているので、正体不明の変な爺と思われているだろう。それはさておき、最近師のことをぼんやりと思っていたので、今日の本はテレパシーが通じた気がする。筆者にはそんなことがままある。特にここ2,3日、筆者は三島由紀夫を思い、また師が三島を文学者では最も好まれることを数十年前にお聞きしているので、師のことも思い出していたのだ。それもいいとして、三島は聖セバスティアンの殉教を描く西欧画を好んだ。そこから三島の性格、性癖のようなものが何となくわかる。柱に縛りつけられたまま、全身に多くの矢を受けた拷問画だが、マンテーニャの有名な作も含めて聖セバスティアンの顔は苦しんではいないように描かれる。西欧の宗教絵画はロヴィス・コリントの「赤いキリスト」も含めて、拷問場面がよくあって、しかも拷問される者は恍惚の表情を浮かべている。痛みの限界点ではそれが快感に変わるのかもしれない。ところで、誰でもサドやマゾの傾向は少しはあるが、三島にはその傾向が強かった気がする。日々偉そうにしている政治家や医者もサドマゾの傾向が強いと言われ、またまだるっこしいフォーク系の音楽より激しいロックが好きな筆者はサド寄りかと思わないでもない。
今日はついに全員に10万円を配布することが決まったが、電子マネーがいいという意見が出た時にはがっかりした。筆者も家内もスマホを持たず、したがってスーパーで最近はよくあるスマホ割引やペイペイでの支払いの際に加算されるポイントなどは無縁で、その意味で損しているが、スマホを夫婦で持つと毎月1万円ほどはするであろうし、またいつもそれを持つのは煩わしいので、今後も持つ気はない。だが、ついに世の中は電子マネー全盛になりそうな気配で、新コロ後はあらゆる面で変化がある気がする。そのことを端的に示されたのが、TVのワイドショーにおけるテレワークで、スタジオ内にいくつかのモニターが配置され、そこに出演者が自宅で会話する様子が映し出される。それがあまり違和感がない。となれば、芸能人でなくてもよく、一般人の出番を増やせばいいと思う。そのほうが庶民がどう考えているかがよくわかるのではないか。芸能人や有名人は政治家と同じく特殊な人種で、彼らがメディアを占領しているので日本がおかしな方向に来ていると思える。それはそうと、ここ数日首相がネットで袋叩きに遭っていて、それを察したのか、今日は10万円支給を発表した。袋叩きは聖セバスティアン状態で、それにめげないのはよほどのSM体質であろう。その意味で首相は本物の政治家だ。PCR検査も今日からにわかに活発化し始めたようで、これまでの国民全員抗体を持つという意見はようやく鳴りを潜めた。それに新コロはまだわからないことがあって、抗体を持てるかどうかわからないと今朝のTVで専門家が言っていた。となるとますます厄介なウィルスで、5月6日までの自粛要請で済むのかどうか心配になる。家に閉じこもっているのは聖セバスティアン状態ではないとはいえ、蟄居は江戸時代では刑罰のひとつで、筆者は自らその状態に置いていて、そこからは筆者のマゾ的性質が見えそうだ。それはそうと、3,4日前に筆者は今日の最初の写真をイメージし、その日に画像を作り終えながら、今日加工し直した。もちろん聖セバスティアンのもじりで、これを思い描いていた間に恩師は筆者に本を届けようとしておられた。2枚目の画像は、2枚のマスクで猿ぐつわされた状態でも筆者は毎日ブログでつぶやくぞとの思いだ。自分で撮った画像を加工してうさ晴らししているのは、よほど暇な爺と見られるが、3本矢、ムンクの叫び、縄の輪の3枚の画像をもとにした投稿は明日が最後だ。先になればまた新たなアイデアが涌くかもしれず、またそういうことがあれば即座にそれを形にする。そういう機動力が政府に求められるのに、大勢いれば話はまとまりにくい。その意味でせいぜい舌を伸ばして「あっかんあっべえ」をするつもりはなく、むしろ首相に同情するが、めったにない国難に際してもたつくのは批判されて当然で、当分は矢を受けて聖セバスティアン状態のままだろう。
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