優しそうな雰囲気があるので起用され続けているのだろう。首相と寿司を食べる仲の政治評論家だ。昼のワイドショーだけであったのに、朝や夜まで出演し、バブル景気を迎えている。
あまりに首相を擁護するので、ネットでは「もう出て来なくていい」という意見が多いが、TVは視聴率が上がればよく、あくまでもショーとして視聴者を楽しませることを優先する。批判の嵐が巻き起こればそれは番組として成功で、ネットで言う炎上商法だ。どんな方法であっても話題になった者勝ちで、TVが激情の劇場と化している。つまり、視聴者もお笑い番組と思って、話10分の1として見ればよい。それはTVが10分の1程度しか真面目な内容、真面目な人が出演しないことであって、そのことを政界も反映している。これは世界的な危機があっても日本はどこか余裕で他人事と思っている証拠だ。それは東北の大震災の後、アンダーコントロールと世界に宣言してオリンピックを誘致し、そのことで震災をほとんど忘れてしまったことにも言える。お笑いと忘れやすさ。それが現代日本の真実の姿だ。どんな悲惨なことがあっても笑いを忘れないことはある意味ではとても大切なことだが、追求すべき本質を笑いでごまかすことを、政府はお笑い芸人やその会社と結託して巧みに行なうようになって来た。これは由々しき問題だが、日本では根がやくざなお笑い界と政界は相性がとてもよい。そう言えば大阪元市長元知事もお笑い芸人の紹介でTV界にやって来た。今日はたまたま家内がTVでチャップリンの映画を少し見たが、日本でチャップリンのような才能がいたであろうか。全く否で、今後も望めない。チャップリンが今も輝いているのはその権力風刺や社会風刺によってだ。日本でそのような人物としてはたとえば宮武外骨がいたが、彼はチャップリンと同じように芸術家であった。大阪元市長元知事は芸術を理解せず、スポーツに毎年3兆円の国費を投入すればいいとTVで発言するような人物だ。そのことのみ取り上げても小人物であることがわかる。新コロによって被害を受ける芸術家をドイツは税金で援助することにしたが、そのことを真に理解出来る政治家は日本にはいない。もちろんその芸術とはお笑い芸人のことではない。ここで高尚という言葉を出せばアホは上げ足を取るが、そういう高尚とは無縁の者には昔から芸術は不要だ。せいぜいTVでお笑い芸人を見てアホ面をしていればよい。新コロが新しい秩序をもたらすとすれば、TV界も大掃除すればいい。せめて10分の1ではなく2か3の割合でお笑い芸人以外の芸術家に光を当てることをして行かなければ、新コロのような深刻な災害が突如訪れた場合、物事を真摯に捉えて最も理想的な行動を起こせない。その点では全く右往左往している政府や国民で、毎日混乱が続き、政府は考えがコロコロ変わり、庶民は新コロどこ吹く風で普通に出歩いている。
今日はこのままでは最悪死者が42万人出るとの試算が報告された。その「最悪」を政府も庶民もほとんど真剣に捉えていないだろう。今日は天気がよかったので、先日修理した自転車に筆者が乗り、もう1台の恐ろしくポンコツに家内が乗って太秦まで買い物に出かけた。渡月橋付近は一昨日とは打って変わって大勢の人がいてびっくりした。葉桜を見にやって来た観光客だ。ほとんどの店が閉まっているので、コンビニなどで買ったものをベンチで食べている人がいた。天気がよくなれば気も緩む。政府は5月の連休が明けるまで自粛してほしいと言っているが、その言葉を国民は狼少年のように感じている。それで5月上旬が過ぎれば各地に旅行する者が増えるだろう。新コロ感染拡大をほとんど鎮圧した韓国では相変わらず自粛が続いていると先ほどのTVニュースで見た。日本は42万人の死者が出るとしても、誰もがそれを自分や家族のこととは思っていないようだ。今日は家内と初めて訪れる大型スーパーに入った。どの階も満員と言ってよく、子どもも走り回っていた。大半の人がマスクをしているとはいえ、マスクが感染防止に完璧とは言えない。筆者はどの商品も触れず、また誰とも距離を2メートルは開けるように動こうとしたが、土台無理な話だ。その混雑ぶりの中で筆者は日本が本当に新コロ問題で騒いでいるのかと不思議な気がした。これはどの客も同じ思いであろう。自粛は気持ちのうえではしていても、実際は以前と何ら生活は変わらない。これが外国から見れば「緩い」「狂っている」となるが、人混みを歩いている人が突如倒れて死なない限り、みんな危機感が持てない。日本では死者はすぐさましかるべき場所に隔離され、葬儀があって焼かれてしまう。つまり、死は巧妙に普段の生活から隠されている。それでTVでイタリアの教会の中に並ぶ棺桶を見てぞっとするが、TVであるのでそれも一瞬で、すぐにお笑い芸人を見てゲラゲラ笑う。それはそうと、今日は政府がひとり当たり10万円を出すかどうかの話があった。国民が騒いでいるので混乱しているのだろう。ただし、本当に10万円が支給されるかどうかはわからない。筆者が思うに、10万が支払われたとして、それでいつまで自粛する必要があるかだ。山中教授は1年ほど自粛が続くであろうと今日発言したが、そうなれば定期的に10万円が必要になる。またそのお金を手にして真剣に自粛するかどうか。今日の人出の多さを見ると、とても無理な気がする。それどころか逆に多くの人が出歩くのではないか。10万円支給の代わりに、外出禁止にし、それを破れば罰金20万円程度にしなければ、緩くて狂っている庶民はピンと来ない。それほどに新コロに対しての恐怖が薄く、日本に蔓延していると言われてもどこか遠いところの出来事と思っている。そしてそういう人が死んだところで、そそくさと荼毘に付されるので、他者に恐怖は伝わらない。
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