肩入れしたくなるのは才能と努力で頑張っている人だ。ほとんど努力せずに親の基盤を利用して政治家になるような人物は大嫌いだ。ところが日本ではそういう連中が政治を司り、国力を徐々に失墜させて来ている。
あたりまえの話で、世界から見れば日本の世襲政治は異常だ。アホでもぼんくらでも大臣や首相になれるのであれば、国がやがてどうなるかは自明の理だ。今の新コロ問題で政治家が右往左往している、あるいはそれよりももっとひどく何もしない状態も当然であって、なるべくしてなって来ている。今回のウィルスは日本にとってはある面ではよかったのではないか。国民が怒って政治を変えようとするかもしれないからだ。その可能性は低いと思うが、今の状態では駄目だと思う人がわずかでも出て来るのはいい。そうとでも考えない限り、毎日の自粛生活に気が滅入る。政治家の無能ぶりはTVでからでもよくわかる。千葉の知事が出て来るたびに、その寝ぼけた醜い顔に筆者も家内も大笑いするが、千葉県民はこういう男を長年知事に据える程度の民度であっても、さすがにここ1,2年は多くの人が正体を知るに至った。そうそう、思い出した。一昨日か、日本の首相が中学生の頃は目立たない成績でいじめられっ子であったと書いたが、いじめられっ子がろくでもない政治家になるにふさわしいという意味ではない。筆者の中学生時代に、目立たない成績だが、金持ちで家柄もよさそうな男がいた。彼はよく不良にいじめられていたが、その理由は「自慢しい」であったからだ。恵まれた家であることを鼻にかけ、その点で人を見下げることがよくあった。それでも筆者は彼が不良にいじめられている時は必ず助けたものだ。また筆者はその不良の家庭の事情を知っていて、荒れた生活をすることに同情していた。誰でも彼と同じ境遇になると不良になるだろう。いや、本当はそうであってはならない。また彼がいじめる金持ちの子も家柄を自慢するなど最低のことだが、それでも彼なりに優しいところがあって、筆者は親しくした。そういう彼がもしも政治家になり、周囲に真の理解者や助言者がいなければ、傲慢で血も涙もないことを平気でするだろう。今の首相に筆者はそんなことを思う。だが、筆者はそういう人物に肩入れしたくない。才能があって努力を続ける人は特にスポーツ界に多くいるが、それは目立つだけであって、また彼らは高齢になってこそ優れた作品を作る大器晩成型の芸術家とは違って、若い一時期のみの活躍だ。そうであるからか、政治家などになって恵まれた経済的な生活をする人物がいる。今日からまたしばらく嵐山の工事現場の写真を使って投稿する。今日は3月4日の撮影だ。新コロの影響で嵐山は観光客が激減していたが、まだ当時は嵐山が空いているので来てほしいというポスターが功を奏していた。ところが昨夜は市長がもう来てくれるなとTVで言っていた。新コロ嵐の本番が始まった。
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