嫁に暴力を振るうことがドメスティック・ヴァイオレンスとされているが、亭主が嫁から暴力を受けることもままあるらしい。昨日の投稿では本作のジャケットとブックレットの表紙を左右に並べた画像を最初に掲げたが、これらのイラストはザッパが見なかったものだ。
これはTheo Holdt(テオ・ホルト)という人物が描いた。画風も相まってドイツ人かドイツ系のアメリカ人だろう。元のアルバム『アンクル・ミート』のジャケットのコラージュを作ったカル・シェンケルはアレックス・ウィンターのドキュメンタリー映画の製作にはイラストの提供で協力したので、アーメットはカルに本作のアート・ワークを依頼出来たはずだが、そうではないところ、カルのギャラが高いのか、ゲイルが若手のアーティストの発掘に積極的であったからだが、おそらくゲイルは亡くなる前に本作のアート・ワークについてはテオに描かせていたであろう。また元のカルによる虫歯を表わすジャケット・イメージからあまり外れないようにとの注文はあったはずで、本作のジャケットの表紙は人間の歯が左下隅のアルバム・タイトルとともによく目立つ。ザッパは歯が悪かったことを『自伝』に書いているが、『アンクル…』当時、歯の治療を受けていたのかもしれない。昨日の2枚目の画像は、『アンクル…』のジャケットに使われた歯の模型写真の全部を印刷するが、マゼンタであることは次作『ホット・ラッツ』につなげる思いが見えそうだ。それはともかく、ブックレット表紙のイラストは裸の女性が男性に暴力を振るうもので、体内にめり込む腕やほとばしる血しぶきから凄惨な印象を与えるが、『アンクル…』とは違う「強い女性」のイメージが現在的だ。CDの盤面やブックレット内部の他のイラストとともに本作の雰囲気に合っているかどうかは考えものだが、カルに委ねると『アンクル…』と同じようなものになるであろうから、これはこれでよかったと思うしかない。またアルバムの題名が「肉光」と訳せる『ミート・ライト』という新たなもので、これは半分が『アンクル・ミート』と同じであるから、テオは「ライト」の部分を請け負ったことになる。『アンクル…』の発売40周年を記念するアルバムで、このまま『ホット・ラッツ』も40周年記念盤が出るかと思っていたのに、発売が追いつかず、去年6枚組CDの50周年記念盤が出た。となれば『アンクル…』の50周年記念盤もいずれ出るのかという思いがするが、その理由は本作のCD3枚のうち、新鮮味のあるのはディスク1枚に満たないからで、それがひとつの理由でもあって4年前に筆者は感想をブログに書かなかった。LP2枚組でしかも凝りに凝った曲作りをした『アンクル…』がCD1枚分程度の新鮮味であるのに、LP1枚の『ホット・ラッツ』がCD6枚のうち5枚が初めて聴く曲ばかりでは辻褄が合わないではないか。
その思いは今も拭えないが、ひとつにはこう考えることが出来る。『アンクル…』でザッパは多重録音を旨とした。その音を重ね続けた最後のヴァージョンを『アンクル…』に収めたのであって、途中の未完成とも言えるヴァージョンは確かに大量にあるかもしれないが、完成ヴァージョンに比べて軽い印象を与えるものだ。そういう曲ばかりを集めたアルバムを発表することはザッパの本意ではなかったはずで、珍しいヴァージョンのみを厳選して本作を作ったに違いない。そう考えると6枚組の『ホット・ラッツ・セッション』は半分の枚数に圧縮したほうがよかったとも言えるが、ゲイルが生きていた頃に企画に上がったアルバムと、アーメットが社長になってからの考えとに差があって、アーメットはなるべくCDの枚数を増やし、また商品の多様化も意図していると考えられる。また『アンクル…』はビートルズの『ホワイト・アルバム』と同年の発売で、ビートルズとザッパの差を知るには、また68年に英米でどのような実験的な音楽がロックの分野で行なわれていたかを知るには、ビートルズ・ファンに『アンクル…』を聴いてもらいたいのだが、『ホワイト・アルバム』の真っ白なジャケットに対して、本作はその白衣を着たような歯医者が治療する血まみれのイメージに覆われて、たいていの人は音楽を聴く前に拒否反応を示すだろう。半世紀経ってもそれは変わらないと思う。それはさておいて、『ホワイト・アルバム』の50周年記念盤を筆者は全部聴いていないが、それが本作と同じように、新鮮味のある曲が少ないことは想像出来る。ビートルズもザッパもアルバムごとに目いっぱい精力を投入し、アルバムを作る過程で省かれた曲や音はいわば残りカスで、それらはよほどのファンしか、またその中でも完璧主義者しか興味を持たないものと言ってよい。そのため、本作はあまりお勧め出来ないというという結論になるが、『アンクル…』のCDは、LPと違って収録可能時間が一気に増えたこともあって、かなり後年に撮影した映像『アンクル・ミート』における登場人物の対話を新たに含み、まとまりの悪いものになった。80年代半ばの新曲がひとつ追加された楽しみはあったが、それもいわばLPとの単なる差別化を思ってのサービスで、ファンとしてはLPそのままをCDにしてほしかったとの思いがあり続けた。それがようやく40周年記念盤の本作でかない、ディスク1は『アンクル…』のLP2枚を順序どおりに収録する。これが出来るのであれば、なぜ初CDで2枚組にしたのであろうか。それはおそらくLPが『ホワイト・アルバム』と同じ、また自作の『フリーク・アウト』と同じ2枚組という思いが強かったためではないか。だが、『フリーク・アウト』はCD1枚に収まったし、それに倣って『アンクル…』も1枚にすることは出来た。ただし、この不整合性はザッパらしいとも言える。
ザッパはアルバム化に際して曲を揃え、それらをどのような順序で2枚のLPに収めるかを試行錯誤したが、本作ではその最初のシークエンスが収められる。それはパート1から3までがディスク2、パート4はディスク3の前半を占めるが、この2枚のディスクに分かれている点がいただけない。収録時間を計算すると、ディスク1の約76分に対して2分弱長く、これはCD1枚に収めることが出来た。そうなっていれば、発売された『アンクル…』と聴き比べが容易になり、曲の移動や曲の差異がより鮮明になった。そうすればディスク3に収める曲が少なくなったが、そのことで何となくCD3枚組は内容が薄いと思われかねないとゲイルやジョー・トラヴァースは思ったのではないか。ともかく、『アンクル…』のあまりに多彩で複雑な印象は本作でもそのまま踏襲されたが、これまでのCDとは違ってオリジナルのLPが1枚のCDで通して聴くことが出来るようになった点で、『アンクル…』の代表的CDがようやく出現した。ディスク2と3前半の4つのパートはザッパが『アンクル…』を最終的にまとめるまでに何を重視し、また何を捨て去ったかを示すが、曲順は数曲が大幅に入れ替わり、採用されなかった曲は6つあるが、簡単に言えばイアン・アンダーウッドの出番を最終的に増やした。そのことから『アンクル…』の時点で『ホット・ラッツ』をどのように録音するかの見通しが立っていたことがわかる。イアンの出番というのは、『アンクル…』ではLPのサイド2の最後におけるイアンの言葉とそれに続くコペンハーゲンでの彼のサックスの演奏と、サイド4全体を占める「キング・コング」におけるパート6の演奏だが、このふたつのソロはオリジナルのシークエンスではなかった。つまり、最終的に採用しなかった6曲の代わりに、イアンのソロをふたつ組み込んだ。2枚のLPのそれぞれB面の最後にイアンのソロを採用したことからも、ザッパの彼に対する重視のほどがわかる。また6曲のうち、採用されなかったことが最も惜しいのはウィスキー・ア・ゴーゴーでのザッパの1分半のギター・ソロ「ウィスキー・ワー」だが、他にも同じクラブで収録した曲「ゴッド・ブレス・アメリカ」があるので、1曲でよいと判断したのだろう。ここからは手元にありあまる曲があった姿が見えるが、以前ジョー・トラヴァースはテープ収蔵庫から68年のウィスキー・ア・ゴーゴーでのライヴ録音テープを見つけたと語っていたので、いずれそれはアルバム化されるに違いない。「ウィスキー・ワー」は異様な熱気に満ち、その点で全体に冷厳な漢字が強い『アンクル…』に収録するには違和感があった。それはともかく、『アンクル…』のサイド4全体で「キング・コング」を収録したことは正解で、短い曲がたくさんある中で最後にたっぷりとメンバーが順にソロを披露する曲があることは、アルバムとしてまとまり感がある。
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