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●『夢二のてしごと展』
れの存在になりたい。これは誰しもと思うが、たいていの人は好意を持った人にそう思ってほしいという願いだ。ところが多くの人からちやほやされたいという目立ちたがり屋がたまにいる。



●『夢二のてしごと展』_d0053294_19070493.jpg
これはひとつの病気で、病人には近寄らないのがいいが、TVを見ていて腹立たしいのは、嫌でも嫌な人物の顔や声に触れることだ。筆者はそういう連中が出ているとチャンネルを変えるが、ネットでもそんな連中が好き勝手を書いて顔と名前を売っているのを見ると本当に吐き気を催す。ザッパが「アイム・ザ・スライム」という曲の歌詞で言及したのも同じ思いによるだろう。お調子者が電波を占有し、挙句国家のトップにも君臨してこの世は冗談の極致だ。アメリカとそっくり同じことを小さく真似て日本の現状があり、そんな世の中であると早々と喝破して好きなことを思い切りして生きることが正しく、またそれは人から羨ましく思われる。男なら有名になって金を儲け、好きな時に好きな女を好きなだけ抱くという暮らしだろうが、そうして生きて50歳くらいで死んだのが竹久夢二だ。その夢二の小さな作品展が嵯峨嵐山文華館で先月13日まで開催中で、筆者は12月11日に家内と一緒に見に行った。それはこの建物が改称してから二度目で、前回はアメリカ在住の大西さんと見たが、それは別の企画展であった。筆者は夢二のファンではないが展覧会と聞くと見たいタチで、また久しぶりの夢二展でもあったので出かけた。来月は京都高島屋で生誕135年を祝う大規模な夢二展があり、そのチラシを入手したが、夢二展は割合頻繁に開催されていて、人気は衰えない。若者の間に夢二ファンが増えているからで、またそれは定期的に展覧会が開催されるからであって、何でも宣伝を頻繁にすれば人気は保てる。夢二が活躍した大正期は大量消費文明が始まった時期で、その意味で夢二が現在の日本で大いに受け入れられるのはもっともなことだ。簡単に言えば古臭くないのだ。ただし、大正時代は確実に古臭く、またそうであるだけに一方の斬新さが露わになり、夢二が作ったイメージは今なお持てはやされる。「大正ロマン」という言葉が一時流行ったが、それは流行ではなく、今後も何度も回顧され、商品を売る時などの言葉として利用されるだろう。「明治ロマン」や「昭和ロマン」の言葉を聞かないのは、大正時代がごく短く、また日本人が割合欧米に出かけやすくなって欧風化が造形芸術の面で加速化したからでもある。その現代的雰囲気が夢二には濃厚にありつつ、しかも日本の情緒を失わないところに夢二ならではのロマンがあるのだが、それはきわめてはかない、か弱いものだ。そのちゃちさによってまた愛すべき存在になっているところがあって、西洋の芸術とは比較され得るような貫禄は皆無と言ってよく、またそうであるがゆえに日本人に愛好される独特さがある。
●『夢二のてしごと展』_d0053294_19072547.jpg 夢二は女性遍歴が派手で、顕著な女性だけでも3人いる。また彼女らと同棲しながらも女遊びはやめず、それに呆れて女が浮気したり、家を出て行ったりもしたが、性に奔放であった夢二はそれはすべて自分の芸術のためであると言い訳することは出来た。夢二が実際女に対して言い訳をしたかどうか知らないが、夢二が惚れた理想とする女をモデルとして自作の絵を売り、それで名声を博したところは、本人は画家冥利に尽きるかもしれないが、筆者は夢二が描く女性を美女とはあまり思わない。確かに夢二がモデルとして雇い、後に同棲して子どもまでもうけた「お葉」は、彼女の本名の頭文字のKというきつい響きを嫌っての夢二らしい名づけだが、夢二は彼女のありのままの姿を好んだのか、それとも自分好みに改造したがったのかとなれば、そのどちらでもありながら思いのとおりにならない「お葉」に手こずったのが真相で、そこから筆者は女の動物的な逞しさを感じると同時に、夢二は「お葉」によって滅ぼされたことを思う。それでも女でいわば飯を食った夢二であるので、それも本望とせねばならない。「お葉」は秋田出身で10代半ばで画家のモデルになる。当時のことで裸を人前に晒すことに抵抗はあったが、背に腹は代えられない。また「お葉」は売春婦になるほどには美貌が人並みに留まらず、秋田美人の代表として誰もが振り返るほどの美しさをしていた。彼女が最初は「責め絵」を専門とする伊藤晴雨のモデルをしていたことは有名だが、それは今で言うボンデイジのポルノで、また晴雨は「お葉」を2年ほどはモデルにして性の相手もさせたので、10代にして「お葉」は男の本性を熟知していた。そういう彼女は夢二より20歳年下で、夢二は30代半ばで3番目の決定的な女として出会い、猛烈に彼女をモデルに描き、また一緒に暮らす。それは「商品には手をつけない」という業界人の考えとは違って「お葉」の本性を知り尽くし、そのうえでモデルとして理想化して描くという、きわめて困難で矛盾に満ちた行為であったのではないか。その点、「お葉」をモデルとして教科書に載る名作を描いた藤島武二はさすがで、モデルはあくまでもモデルとして客観視していて、それゆえに清潔さが画面から漂う。夢二が描く女性は必ずしもモデルが「お葉」とは限らず、またどの女性も夢二好みに理想化つまり「型」化されていて、その点で筆者は退屈なのだが、夢二は現実のどの女にも自分の究極の理想はないと思っていたのだろう。そこは藤島と同じく客観的と言えるが、夢二の描く女性はみな肉体がないかのようなか細さで、抱けば折れるようなその肉体に夢二が女の理想を求めていたとすれば、夢二は女の本質のひとつである逞しさを見たくはなく、また女はか弱い人形に過ぎないという暴力性を女に抱いていたと感じさせる。そこに夢二の女に対する愛憎半ばする感情が垣間見え、また夢二を悲劇的な画家と思わせる。
●『夢二のてしごと展』_d0053294_19075907.jpg 夢二はグラフィック・デザイナーとしての才能も発揮し、また詩や散文も書いて著作は数十に及ぶ。生前名声を博し、「お葉」が夢二と里帰りした時、「お葉」は鼻高々であったという。そういう夢二の何が不足であったのか、「お葉」は若い男と浮気して夢二のもとを去り、またその男のことを夢二が知らないことをいいことに、ふたりで夢二の設計した邸宅に戻って素知らぬ顔をして暮らすという悪女であったが、夢二は「お葉」がいながら浮気が絶えず、それに「お葉」が業を煮やして浮気したとも言われるので、「お葉」にすればお互い様であったのだろう。それに「お葉」はとにかく男にもてて、金持ちの医者に求婚されて夢二のもとを去るが、それで70半ばまで生きたのであるから、女の一生はわからない。一歩間違っていれば売春婦として世間に知られずに死んだが、画家や彫刻家のモデルとなり、夢二と暮らしたことでさらに有名になって玉の輿に乗った。「お葉」は30少し手前で医者と結婚して生活が落ち着いたが、彼女にすれば日本を代表する有名画家の藤島や、売れっ子画家の夢二のモデルをして顔と名前を売り、結果金持ちの奥さんに収まったのであるから、今で言えば有名AV女優が年齢を感じて年貢を納めたようなもので、筆者は「お葉」に女性特有のしたたかさを見る。同じ生き方は男には出来ず、男は使い古されておしまいだ。隣家を掃除していると先日夢二の本を見つけた。いつ買ったのか記憶にないが、『女体素描』という題名で、夢二の女性スケッチと夢二の女に対する短文が交互に載っている。短文はだぶりが多いが、これは夢二の数冊の本をそのまま載せたからで、夢二が女に苦しめられている様子が伝わる文章が混じる。それは女に処女性を求めるのは無理で、自分が最後の男になりたいというものだが、その願いもかなえられるとは限らないという、諦めないし絶望だ。女は他の男と浮気したことを言わない限り、男はそれがわからない。そこで夢二は「お葉」が妊娠した時、自分の子ではないと言うが、それほど性に奔放な「お葉」になぜ執着したかと言えば、そこは男と女のことで、他人にはわからない事情がある。ただし、そういう離れられないような縁も何かの拍子でどちらかが冷めることが現実で、「お葉」は夢二から去る。それは傍目には夢二よりもっと金持ちで安定している医者と結婚したほうがよいという思いで、彼女には男の芸術などどうでもよかったのだろう。実際そのとおりで、モデルを務めながら「お葉」は高尚な芸術に参加している思いはなく、また晴雨に縄で縛られながらセックスされてもあまり感じなかったのだろう。そこには貧しく育った「お葉」なりの不幸があるが、彼女は夢二以上に逞しく長生きした。そして彼女の美は30を境に消え失せたと言ってよいが、女は一生安泰な地位に就けばもう自分の美をことさら意識する必要はない。
●『夢二のてしごと展』_d0053294_19083361.jpg
 さて展覧会場では撮影自由であったが、油彩の風景画と、装飾のある額縁に入った女の肖像画をいくつか撮影した。後者の左端は何度か見たことがある。「お葉」がモデルだろうが、悲し気な表情で、筆者はこの絵をほしいとは全く思わない。変わった形の額縁は夢二没後の誂えと思うが、この絵を聖像のように扱うのは夢二の思いを汲んでのこととしても、えらく大げさで感心しない。京都の八つ橋のとある会社の人形に「夕子」があって、その日本髪を結った表情がこの絵を思わせ、先に書いたように夢二の美女の「型」のひとつの典型となっている。『女体素描』からは女性についての夢二の考えがよくわかるが、中にはチマチョゴリの女性も描かれていて、美女を見つけては盛んに描いていたことがわかる。またほとんど日本髪、キモノ姿の女性で、洋装の女にさほど関心がなかったようであるのは、絵にして美しいと思えなかったからであろう。また美人画についての興味深い同じ言葉が二度出て来る。それは「人間とは思えない世にも稀な美人を描く閨秀画家が人間とは思えないほど醜い」といったもので、この文章で具体的にどの女流画家を指しているかわかる人は当時は多かったはずで、夢二はえらく挑発的なことを書いたと思うが、この言葉には自分の立場ではどうにも出来ない画壇があり、また絵画表現もあって、悔し紛れが混じっているように思う。楽譜の表紙絵や便箋のデザインなど、グラフィック・デザインの分野で名声を博した夢二は、正統な日本画や洋画としては評価されなかった。そういう才能は今もあるが、名声と金を得るのであればそれで満足すればいいものを、やはり画壇の存在が気になるのだろう。ともかく夢二が謗った女流画家は、確かに残された写真からは美人とはとても言えないが、その代わりに気品はある。それは「お葉」には全くないものと言ってよく、女は顔が整っているだけでは駄目だと思う男がこの世にはいることを女は知っておいたほうがよい。今は整形手術で顔はどうにでもなると愚かな女は思い、また実行するが、芸能界にはそんな女の60以上になった時の化け物顔がままあって、心の貧しさが顔立ちに反映することを知らない女がいる。したがって筆者は夢二の先の閨秀画家の顔を謗る意見には反対するが、それはまた夢二がさして男前でもなかったと思うからだ。夢二の写真は数多いが、放蕩を重ねた痕跡が刻まれているようで、筆者は好きではない。それは「お葉」とは釣り合いが取れていたのかもしれない。「お葉」の女としての猫のような魅力は想像出来るが、夢二はそこに埋没して足を取られてしまった。その代わりに彼女の理想化した姿をたくさん残し、またそのことで絵が売れて贅沢な暮らしも出来た。女で食べて行く男はしばしば揶揄されるが、人生で二度とは巡り会えないいい女と思えるのであれば、短命に終わっても男は本望だろう。筆者はそうは思わないが。
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by uuuzen | 2020-02-08 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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