人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●飛び出しボーヤ、その60
藍がどのようになっているかを改めて確認するために四天王寺に行きたいと思っている。ところが11日はせっかくその西端を歩きながら、境内に入らなかった。



●飛び出しボーヤ、その60_d0053294_01042679.jpg
そう言えば信号をわたりながら左手の豚まんかシューマイのようなものを売る店の女性が出て来て「今日はもう閉めよう」と板扉を立てかけ始めた。筆者が最後の客になるかと思ったのが当てが外れた感じであった。四天王寺に前回訪れたのは四半世紀ほど前だ。最初は小学2,3年生の頃に五重塔が再建された直後で、学校から写生に出かけた。今なら梅田からでも歩けると思うが、当時は学校から観光バスに乗って出かけた。ついでながら、小学1年生の春の遠足は天王寺公園で、これも観光バスで訪れた。さて、今日は「飛び出しボーヤ」の写真が3点集まったので早速投稿するが、最初は今年1月8日夕方のTV番組だ。滋賀県の蓬莱駅を紹介する番組で、「飛び出しボーヤ」が20秒ほど映っていた。それが左上で、これがどこにあるかをストリート・ヴューで探すと、同じ0系が駅近くの県道にひとつあった。それを最初の画像の右上に提示するが、TVで見たのとは向きが異なり、別の場所であろう。それがどこかとなおも探したが見つからず、代わりに下の2枚を見つけた。蓬莱駅近辺にはこれら以外にはないと思う。今日の2枚目は11日に四天王寺の北方で見つけた。道に迷って入り込んだ行き止まりにあった。四天王寺にちなんで聖徳太子で、同じものは近辺にほかにもあるだろう。3枚目は昨日京都の吉田神社で見つけた。撮影する筆者の背後2メートルに若い奥さんが4,5人いたが、すぐ南に保育園があるからだ。「飛び出しボーヤ」は金森さんが見つけて撮影したものがたくさんあるが、それらを使う機会がなかなかない。今日の投稿は「飛び出しボーヤ」をいつものことながらたまたま見つけたことと、その見つけた場所が適当に歩いたのではなく、目的を持って出かけた地域にあったことによる。またその目的は目下筆者が最も関心を持っている加藤一雄や大阪のとある画家が住んだ家のある地域を歩くことで、昨日はいちおう加藤の住んだ家の前を歩いたはずで、それで早速投稿しておく気になった。また大阪の画家に関しては11日に目的が果たせず、明日再訪するつもりだ。11日に大阪市内を縦断したことは昨日書いた。昨日は2週間ほど前から気になっていた京大の附属図書館にようやく出かけて調べものを済ませた。百万遍交差点の南西角から校内に入り、帰りは斜めに横切って正門から出たが、吉田山に登り、南下して真如堂から岡崎に出るためだ。そして国立近代美術館で展覧会を見たが、その感想はいずれ書く。たまにはひとりでゆっくり散策するのもよい。特に2月の春めいた昼頃はよく、また人影が極端に少なかったのもなおのことよい。さすがの中国人観光客でも真如堂前は歩かないのではないか。
●飛び出しボーヤ、その60_d0053294_01044650.jpg 真如堂前を歩いたのは、加藤一雄が戦前から戦後しばらく住んでいたからだ。加藤は大阪高津に生まれて京大に入学し、その後京都で暮らし続けたが、『蘆刈』では主人公は四天王寺西の通称「愛染さん」のすぐそばで育ったことになっている。その「愛染さん」に11日は行くつもりがあったが、大通りを横切る必要があり、また5時を過ぎていたのでもう駄目と思った。加藤は真如堂前から後に嵯峨に住むが、それは昭和40年代前半かと思う。その家のあったところは知っている。「風風の湯」の常連のFさんの家から100メートルほどだ。それで真如堂前の家を知りたいと思ったが、住所はわからず、わかっても今は建て替わっているし、別の人が住んでいる。ただし、家から黒谷の墓地が見えたと本に書いてあって、その墓地なら筆者は昔一度訪れたことがある。真如堂前の道幅は戦前から同じはずで、家並みも比較的古く、黒谷の墓地が見える家はだいたいわかった。その前を歩きながらとても気分がよかった。さすがにこの辺りはまだ京都らしさが濃厚に残っていて、買い物は不便なようだが、住環境としては申し分ない。加藤が転居したのは家を買ったためだと思うが、嵯峨を選んだのは、歴史が重なる小倉山があり、また個人的に強い思い出として川村曼舟の家のあった場所が近かったからでもあろう。それで嵯峨に住んだ加藤は銭湯を利用したはずで、それは富田渓仙が毎日通った桜湯ではなかったと思うが、もっと近い銭湯が二か所あった。もっとも、去年そのひとつが営業をやめ、桜湯ももう10年ほど前に住宅になった。とはいえ、筆者は幼ない息子と一緒に桜湯に何度かは利用したことがある。それで加藤の本を読みながら親しみが涌くのだが、彼が大阪から京都に移住しながら、生涯大阪人であったことは文章からはっきりと伝わり、筆者はそのことがとても面白く、また筆者も同じだと思う。加藤は京都に住んで京都画壇と深い関係を持つが、大阪画壇の画家については書いていない。これは書くに値するほどの画家がいないと思ったためかもしれない。大阪画壇の研究や紹介は遅れていると言ってよい。11日は肥後橋の香雪美術館で大阪画壇の展覧会を見たが、その感想はいずれ書くとして、目ぼしい作品は少なかった。加藤は京都に住んでその文化の奥行に感心したが、幼少年期の大阪での生活の影響は生涯拭えないもので、西鶴や上田秋成については絶賛しているし、浄瑠璃や芝居についての記憶は生涯忘れ得ないものであった。筆者はそういう点がかなり違い、代わりにビートルズやザッパの音楽を聴いて来た。新しい時代には新しい文化芸術があり、若者がそれに興味を抱くのは必然だ。その新しいものは古いものから生まれるから、結局は昔とつながっている。後はより古い文化にいかに関心を持つかだが、そういう機会は飛び出して来ないかもしれないし、こっちから飛び出して求めるかもしれない。
●飛び出しボーヤ、その60_d0053294_01052068.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

by uuuzen | 2020-02-14 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
●嵐山中ノ島の鵜屋、その5 >> << ●ハルカスから桃谷まで歩く、その1

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?