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●『THE HOT RATS SESSIONS』その5
察力のあるなしは騙そうとする他人が判断することで、自分ではわからないものだろう。人よりあると思っていても、上には上がいるのが現実だ。



ところが人生で直接出会う人は限られていて、誰でも自分が一番であると自惚れて幸福を感じることは出来る。あるいは自分より才能のある者を賛美する楽しみもあるが、その相手と面識のない場合は素直に賛美出来ても、一緒に仕事をしたことのある間柄では思いは微妙であろう。相手より才能が劣ると素直に認められる場合はいいが、才能は同じ程度であるのに自分は機会が恵まれなかったと悔しがれば、相手に対して素直な気持ちを抱くことは出来にくい。ライヴァルがいると互いに切磋琢磨していい仕事が双方に生まれやすいが、一方だけあまりに有名になると自分を負け犬と感じやすい。そのため、自尊心の強い者は、自分より大きな才能の者に就いて長らく仕事をするのはいいことではない。筆者は直接的な師はいないので、その点では誰の目も気にせずに自由に仕事が出来るが、どこの馬の骨かと思われかねない欠点もある。さて、今朝は生まれて初めての感動的な夢を見た。見知らぬ部屋の窓を開けると、目の前の木に直径30センチほどの白い花が朝の陽ざしを浴びながらたくさん咲いている。蕊も細長くて縮れ気味の花弁だ。『これ、何の花かな?』と珍し気に見ながら、あまりの美しさと豪華さに笑顔で感激している。隣りの部屋に行くと、初老の男性が人の背丈ほどの鉢受けの花木を前にたくさん並べて世話をしている。先に見た花と同じようでありながら、今度は薔薇と牡丹が合成したような形で、一鉢当たり10数個の花が咲き揃い、2,3鉢は同じ形の深紅の花だ。『ああ、赤もとてもきれいだ』と感心しながら、さらに奥の部屋に行くと、そこにも同様の花が満開の鉢が隙間なく並べられていて、桃色の花も混じっている。またそれはやや黄味がかり、花弁の縁は5ミリ程度が赤で、よく見ると一花の一枚の花弁が少し萎れている。そこで目が覚めた。筆者は見知らぬ大きな花が咲いている夢をごくたまに見るが、今朝ほど大量の花を一度に見て感動していたことは初めてで、目覚めてしばらく呆然と余韻に浸った。昨日は脳の蛆がもぞもぞ蠢く快感について書いたが、大輪の花の夢もここ数日ザッパの曲について書いているためかと思う。本作が届いて聴いた曲から順に感想を書いているが、今日は『ホット・ラッツ』の冒頭曲「ピーチズ・エン・レガリア」についてだ。これは本作のディスク1の3から9までの計7曲と、ディスク6に「1969 リズム・トラック・ミックス」が入っている。またディスク5には87年のザッパによる初CD化ヴァージョンがあるのは言うまでもない。面白いことに、ディスク1の1,2曲目のイアン・アンダーウッドによるピアノ・ソロ曲にもこの曲の主題が演奏されている。そのピアノ・ソロ曲については明日書く。
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 同ピアノ曲によって、本作は『ホット・ラッツ』がそうであるように、「ピーチズ・エン・レガリア」から始まるとひとまず言える。それゆえ、ディスク1の大半をこの曲の成り立ちについて順を追って聴かせようという選曲になったのだろう。だがこの一連のメイキング過程は、ザッパの声が随所に入り、また演奏が中断されて生々しいが、完成曲ではないので聴いていてさほど楽しくない。その最大の理由はザッパのギターがほとんど聞こえず、楽譜どおりにドラムスやベース、ピアノがリズムを刻むベーシック・トラックであるからだ。ザッパはスタジオ・ミュージシャンを集めて楽譜どおりに演奏させ、その満足の行く形が得られれば、後はそれに好みの色合いを付与する作業に移った。その意味で「グリーン・ジーンズの息子」と同じと言ってよいが、ザッパはギターを激しく弾きまくらず、さまざまな楽器のアンサンブルの妙を意図した曲であるので、室内楽曲と言ってよい。また半分はスタジオでの生演奏だが、残り半分はそれを聴きながら演奏を重ねたもので、アンドロイドと形容してよい一種の違和感がある。これは『ワカ・ジャワカ』ではさらに強調される手法で、ザッパの音楽はそういう人造の不自然さを内蔵するものが目立つ。そのことを知りながら楽しいと思うか、不自然さを嫌うかとなれば、これは難しい問題で、カラヤン指揮の交響曲も演奏ミスをその箇所のみスタジオで録音し直してつぎはぎしたから、レコードの録音というものがそもそも不自然さを持っていると思っておいたほうがよい。録音技術のなかった時代の音楽家は、自分の演奏が瞬時に消えてなくなることを惜しがっていたかと言えば、音はすぐに消え、演奏は一回ずつ違うことはあたりまえで、それこそが人生の本質にかなった芸術であると思っていたであろう。何度聴いても同じ音のレコードは、アンドロイド思想の端緒であったと将来認識されると思うが、人造物はそれはそれとしてより巧みに造られたものを追求するのは人間の本性で、ザッパはアンドロイド的な曲作りからやがて完全なロボットのシンクラヴィア曲に手を伸ばす。それはともかく、16トラックの多重録音は、ある意味では経済的制約に迫られてのことで、昔ならば16人の奏者が同時に演奏すれば済んだ。だがそれは多大な練習時間が必要だ。そのことで得られる感動の大きさと経済性を無理に比較すれば、仕方なく多重録音を採らざるを得ない音楽家は少なくない。そこでザッパは多重録音の意義を逆手に取って、たとえば16人揃っても無理な演奏を目指した。そこに作為の痕跡が入り込むが、そのわざとらしさを楽しむ考えだ。筆者が今朝見た夢の出て来た花は現実に存在しない形をしていたが、それでも大いに感激していた。ザッパの曲は夢に似ている。特に『ホット・ラッツ』はそうで、ジャズとロックのカラフルな融合だ。
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 『ホット・ラッツ』の見開きジャケット右上端にイアン・アンダーウッドが顔のみ白黒写真で、他は赤や黄、緑でべた塗りのイラスト化として掲げられ、左隣りのザッパの写真の半分強の面積を占めている。これは『ホット・ラッツ』における彼の貢献度を正確に示している。体躯と楽器がカラフルに彩られるのは、ザッパが指示して作ったマスター・テイクに彼が管楽器や鍵盤楽器で音を重ねたからだ。本作のブックレットではザッパがイアンにその指示をする様子の写真があり、今日は最初にその写真を掲げる。楽器の選別や音形をどこまでザッパが指示したのかはわからないが、管弦楽曲を書く才能のあったザッパなので、細かいところまで指示したのではないか。ザッパの頭の中には最終的な形の音楽が響きわたっていて、それを少しずつ演奏者に指示を与えながら音を積み重ねって行ったと言ってよいが、演奏者はザッパの指示によって動くばかりではなく、個性からアイデアを提供する場合もあったろう。それでザッパの脳裏に最初にあった曲は、半ばは漠然としていて、練習を経て当初予想していなかった音色などを思いついたであろう。「ピーチズ・エン・レガリア」が最初はどうであったかは、ディスク1の3「プロタイプ」からわかる。そこではバズ・ガードナーがトランペットで主題を素朴に奏でていて、どういう主旋律をどういうテンポでどういう長さにまとめるかは楽譜に書かれていた。「ブロッコリーの森の蝦蟇蛙」のように主題とは別にソロが必要かどうかだが、同曲とは違って主題の繰り返しが大部分で、ソロの場は計画していなかった。そのため、3分半ほどの短い仕上がりになったが、本作では「プロトタイプ」が6分、「セクション1 セッション」は11分、「セクション1 マスター・テイク」は2分、「セクション3 セッション」は7分、「セクション3 マスター・テイク」は2分となっていて、「セッション」は途中で何度かザッパが演奏し直しを命じ、「マスター・テイク」はその中から最良の部分が選ばれた。また3つのセクション分けてマスター・テイクを得たことがわかるが、「セクション2」が収録されていないのは、それが不要になったからであろう。そのことはセクション1と3のマスター・テイクの合計が『ホット・ラッツ』ヴァージョンとほとんど同じであることからわかる。「プロトタイプ」はザッパのギター、ピアノがイアン、ベースがジョン・バーキン、ドラムスがアート・トリップ、それにトランペットとバンク・ガードナーのサックスの計6人だが、「セッション」同じ7月28日に、イアンとベースのシュギー・オーティス、ドラムスのドン・セリコの3人で、それで伴奏のみの退屈な演奏になった。またディスク1には「ピーチ・ジャム」と題してシュガーケイン・ハリスのヴァイオリンとジョニー・オーティスのピアノが加わっての6分半と10分半のジャム演奏が収録される。
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 「ピーチズ・エン・レガリア」にシュガーケイン・ハリスのヴァイオリン・ソロが本来は含まれていたという話はかなり昔に伝えられていて、ファンの想像を掻き立てたが、「ピーチ・ジャム」によってそれが判明した。6分半の「パート1」はドラム・ソロから始まって2分半続き、ベースそしてピアノが加わり、最後の2分ほどはヴァイオリンがワウワウペダルのような音色で素早いソロを響かせる。そのまま「パート2」につながり、12小節3コードのブルース・ソロが最後まで続く。これは「ピーチズ・エン・レガリア」とは無関係と言ってよく、ジョニーとシュギーのオーティス父子を招いての手慣らしのつもりであったのだろう。シュガーケイン・ハリスは30日にも参加して「ダイレクトリー・フロム・マイ・ハート・トゥ・ユー」を演奏し、本作のディスク3に収録されるその10分のヴァージョンからザッパは編集して『いたち野郎』に収めた。毎日のようにザッパはスタジオに参加するミュージシャンを変えたが、イアン・アンダーウッドの多重録音の多彩さとは別に、各音楽家の個性の彩りをも重視した。そして『ホット・ラッツ』のジャケット見開きにイアンとキャプテン・ビーフハートの写真しか載せなかったが、本作のブックレットにオーティス親子と肩を組む白黒写真が1枚ある。この当時シュギーは15歳であったというが、その後の音楽活動はどのように繰り広げられたのであろう。話をイアンに戻すと、彼は初期マザーズでは最も遅れて入った若手で、また楽譜どおりに演奏出来る才能を認められてマザーズの解散後はただひとりと言ってよいほどに『ホット・ラッツ』の録音に招かれた。後のフロ・アンド・エディ期も参加するが、最も目立ったのは本作の録音時だ。ザッパは新たな才能を次々と求め続け、同じメンバーを長年雇い続けることがなかった。これはレコードを売り、コンサートを満員にするためには時代に応じて音楽を変えて行くことと、新たなアイデアには新たな人材や機器を必要であったからだが、そのようにして一旦調子に乗ると周囲はそういう姿を認め、新たな人材は集まりやすい。そこでいわば使い古されたミュージシャンは自分の才覚で生きて行くしかないが、イアンのようにザッパの色合いが濃くついてしまうと、世間はその目で彼の才能を期待する向きがあるだろう。そこがザッパのバンドに在籍したメンバーがソロで成功した場合がごく少ない理由でもある。本作のブックレットにイアンの文章が載っている。それはこれまでの彼のどこか冷めた口調と同じで、ザッパに感謝の念を述べ、いちおう称えてはするが、どことなく恨めしさのようなものが伝わる。これはザッパについて語る時だけ世間に引っ張り出されるからであろう。音楽家もさまざまだ。スタジオで楽譜どおりに演奏することに専念することから作曲してアルバムを出すこともあって、身の丈にあったことしか出来ない。
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 ザッパが成功したのは時代を読む力やマネジャーの力量、そして何よりも高い技術と人をまとめる才能があったからだが、家庭を持って子どもを次々に産んだことも大きい。ジャズやロックのミュージシャンは刹那的にその場限りを楽しく生きる人種と思われがちだが、ザッパは作曲家を自認し、また「死ぬことを拒否する」という座右の銘を持ったから、ごく普通の家庭の夫としての役割をこなしつつ仕事として音楽活動に勤しんだ。スタジオを予約し、才能を集めて演奏してもらうことは、とても費用がかかる。それゆえ真剣になることはあたりまえだが、養うべき家族を抱えていることはさらに真剣にならざるを得ない。家族を持つことは自分を追い込むことでもある。スタジオZでザッパはひとりで録音の仕事を請け負いながら作曲に励んだが、ゲイルと結婚した時には音楽のみで家族を持って生きて行ける自信がついたのだろう。いつの時代でもそういう才能はごく稀だが、ゼロではない。自分を困難な場所に追い込む決断は却って何らかの安定をもたらす。これは覚悟を決めよということだ。ところが、これは一代目はよくても二代目は難しい。親の七光の得な部分もあるが、その恩恵や経済的な不安がさほどないことは、極限の状態に自分を追い込むことが出来にくいからだ。高い芸術性は極限状態で生まれる。体力、技術力、経済力、そして精神力で、精神力はどこかで必死つまり命をかけている意思がなければならない。本作は『ホット・ラッツ』発売50年を記念したものだが、息子ドゥイージルは2006年に本作のマスター・テープを利用して「ピーチズ・エン・レガリア」を多重録音し直し、アルバム『Go With What You Know』に収めた。『ホット・ラッツ』ヴァージョンのフェイドアウト編集とは違って最後にザッパの声が入っているのは、使用したのがディスク1の5,6の「マスター・テイク」であるからだ。ドゥイージルはテープの逆回転や父のギターをユニゾンで重ねるなど、よりカラフルに仕上げたが、デジタル時代であり、またトラック数は16の数倍が可能で、その作業はさほど困難ではなかったであろう。それに父のヴァージョンと色合いはさほど変わらず、息子としては父の隙を全く見つけられなかったという感がある。父が必死で仕上げた作品を息子はなぞるだけで精一杯というのは無理もない。それで筆者は父とは無関係の曲作りに勤しんでほしいと思っているが、それはイアン・アンダーウッドなど、大量のザッパの演奏に参加したミュージシャンと同じく、とても困難な道と見える。筆者のように、夢で見たことのない美しい大輪の花を目撃して感動している身は気楽なものだ。とはいえ、筆者も食べて行かねばならず、また人から雇われない道をたどって来ているので、それなりの覚悟は常にある。そう言いながら68歳で、家内は「よくもうまく生き伸びて来たね」と言う。
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by uuuzen | 2020-02-21 00:32 | ●ザッパ新譜紹介など
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