宮本武蔵が絵を描いたことはあまり知られないと思うが、鵜の墨絵は有名で、確か重文になっている。鵜は割合じっとしているので、写生は難しくないだろう。
鵜飼がいつから始まったのか知らないが、飼いやすい鳥ならば姿をじっくりと観察しやすい。そういう観察の施設の鵜屋が嵐山の中ノ島下流部に建設中で、周囲が覆われているので工事の進捗具合がわからないが、塀の外から見える壁は1枚のみ建っただけで、もう1枚は建たない様子でもある。今月2日、嵯峨に買い物に行く途中その現場を通りがかると、塀の外に完成時の上空から見たCG画像が貼られていたので、翌日天龍寺の節分会に行く途中で撮った。この「整備イメージ」によれば壁はもう1枚必要なはずだが、これから造られるかもしれない。4枚の画像のどちら側が下流に相当するのかはわかりにくいが、上2枚は手前に芝生や樹木が見えていて、画像の上側が北、つまり桂川に面する。今日の最初の写真は先月28日に対岸の嵯峨から工事現場を臨んだもので、白いフェンスが細長く続いている。その長さは50メートルほどであろう。これはその範囲ぎりぎりに施設が出来るというのではなく、工事用の車の侵入を見込んで広めに確保しているだろう。ついでに書いておくと、フェンスの上、向こうにそびえているベージュ色の建物はわが自治会内に10年ほど前に出来た6階建てマンションだ。上の階ほど販売価格は高く、またどの分譲部屋もデザインが違い、価格も異なっていると聞く。以前は大きな池があった場所で、江戸時代なら建物は考えられなかったが、土木技術の発達によって高層の建物建設が可能となった。たまに空き部屋が出てもすぐに売れ、その販売価格は新築時と変わっていないそうだ。渡月橋の上から少し下流の右岸を見るとこのマンションが丸見えで、もう1,2階低ければよかったと思うが、桂川から水を引く水路側に建ち、南の水路側からは6階、正面の道路側すなわち桂川側からは5階建てとなっている。このマンションのある渡月橋のすぐ下流は名所嵐山から外れていて、ほとんど開発し放題となっている。このマンションが建つもっと以前、写真右端の灰色のホテルが桂川の支流沿いに出来て、1階のテラスを張り出した喫茶店があった。あまり人気がないのか、その後何度かオーナーが変わったようで、今は1泊5000円ほどの素泊まりの施設になっている。渡月橋のすぐそばではあるが、嵐山側にあるので眺望は桂川が見えるだけでさほどよくないと想像される。これらふたつの建物はかなり目立つが、観光客は心の中で無視して付近の眺めを楽しむ。それは嵐山は永遠として、コンクリートの建物は60年ほどで建て変えられるからでもある。中ノ島公園に出来る鵜屋はコンクリートで基礎を造っているので、数十年に一度の洪水で建物が流されても、またすぐに建て変えが出来るだろう。
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