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●『THE HOT RATS SESSIONS』その1
塗りの光沢と重厚さと言ってよい見開きのLPジャケット・サイズの厚紙内部にCDが6枚挿入されている。これが一見印刷のようで、筆者は届いた箱の中身を全部取り出した後、CDが入っていないと早合点し、慌ててそばにいた家内にそのことを言った。



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筆者のそそっかしさは国宝級で、家内は「何言ってんの、さっき開いた中にCDが入っていたやん」と呆れ顔で言った。てっきりそれは印刷だと思った。目も悪くなっている筆者で、年齢を感じるが、カタログ番号115の本作『ホット・ラッツ・セッション』はLPサイズの箱入りで、ブックレットも同じく大きいので解説書の文字がルーペなしで読めるのがありがたい。一昨日のアマゾンからのメールでは、本作は3月中旬から4月中旬の発送になると言って来たが、突然それが変更になって今日の正午少し前に届いた。価格は12000円に数十円足らずで、これはebayで買うより数千円安く、今回もキャンセルしなくてよかった。CDサイズでないのは棚に並べるのに困るが、パッケージの大きさは1969年発売のLPの『ホット・ラッツ』に合わせてのことだ。同LPが今回の箱に入るのではないかと思って今確認すると、箱の外形より数ミリ大きくて入らない。ついでに書いておくと、今回の発売は3,4種類あって、盤面がピンク色のアナログ盤や本、Tシャツなどが、個別ないし組み合わせた商品もある。アナログ盤は69年のLPを持っているので必要ないとして、本は気になる。アーメットによる写真家へのビル・ガビンにインタヴューと、ビルの未発表写真が載っているとのことで、アマゾンでは現在4280円で売られている。ビルは本作のスタジオでのセッションの様子を撮影し、本作のブックレットにはモノクロとカラーで10枚が使用されている。またこの本の表紙の写真は本作と同じようにマゼンタが中心になっているが、これは本作のジャケット写真に合わせて現在のデジタル技術によって加工したものだ。『ホット・ラッツ』のジャケット写真の人物は、ザッパを知らない人はザッパと勘違いするが、これはザッパより2歳下で30歳で死んだルーマニア移民の子、クリスティーン・フーカという長身で痩せたグルーピーだ。彼女は痩せ願望があって摂食障害を患い、死んだ原因は麻薬と思うが、30歳で死んだことは本人は無念であったろうが、『ホット・ラッツ』のジャケットによって広く存在が知られ、今後も伝説として忘れ去られることはない。その意味で彼女は『ホット・ラッツ』のために生まれて来たようだが、ジャケット写真を撮ったのはアンディー・ナサンソンという写真家で、本作のブックレットに解説を書いている。ビル・ガビンとは違って、ザッパのもとに集まったグルーピーの写真を撮ったことで、ザッパにとってはビルよりも存在感は薄かったと想像されるが、『ホット・ラッツ』ではビルではなく、アンディーの写真が使われた。
●『THE HOT RATS SESSIONS』その1_d0053294_00203139.jpg 今日は彼の写真について書く。本作が録音された頃、ザッパは29歳になる前であったが、ザッパが目に留めたグルーピーたちはもう少し若く、妻ゲイルと同世代であった。今でも若い男のミュージシャンをうっとりと眺めて接近する女性はいるが、ミュージシャンは同棲や結婚している女がいてもそれを隠す。人気商売であるからで、これは女性ミュージシャンも同じだろう。独身であらねばファンはつかないという強迫観念があるかもしれない。本当に肝心なことは音楽性だが、それは二の次で、ファンは憧れのイコンといかにセックスに漕ぎつけることが出来るかと夢想する。これはアメリカやイギリスでも同じと思うが、世界的に有名になるミュージシャンになれば事情は違うだろう。つまりアイドル性よりも音楽性が重視される。69年のザッパはゲイルと所帯を持ち、最初の子どものムーンが生まれていた。それを知ってグルーピーが集まるのは、たとえばグルーピーを集める能力に長けた変なおじさんのカール・フランゾーニがロサンゼルスにいたからでもあった。グルーピーに限らず、流行や冒険に敏感な若い女性はなるべく働かずに面白おかしく暮らすことを理想としているから、奇妙な芸術をやっている楽しい人物に集まりがちだ。これがただのアホ女であれば、悪い男の毒牙にかかってしまうが、そういう危険を承知で、また情報を共有するために女は群がって行動しがちだ。クリスティーンは他の5人の女性とともにザッパに見出されてロック・グループGTOsとしてアルバムを1枚出してもらえるようになった。それが同じ69年で、ザッパは彼女らをセックスの相手にしたかと言えば、妻がいたし、また当時のザッパは妻以前から密かに交際を続けていた女性もいたので、それはなかったであろう。そしてザッパはクリスティーンを娘ムーンのベビー・シッターとして雇うが、これは彼女がGTOsでは最もまともと思ったからではないか。おそらく彼女が最も芸術性に富み、また美女であったからだ。話が前後するが、本作に本の表紙に使用されたビル・ガビン撮影のザッパがギターを弾く上半身の写真が本来は『ホット・ラッツ』に使われるのがよかった。同作はザッパのギター・ソロが全開したソロ・アルバムであるからだが、ザッパが自分の写真の代わりにクリスティーンの写真を使ったのは、いかにもザッパらしい「編集」への思いによる。「編む」という行為はザッパの本質をたとえるには最適の言葉で、また文字通り「編む」ことはクリスティーンが得意としたことであった。後年ザッパの最後の子としてディーヴァが生まれるが、彼女が編み物作家となったのはクリスティーンの、そして『ホット・ラッツ』のジャケット写真の影響があるのではないか。それは父のザッパから、あるいは姉のムーンからもクリスティーンの才能を聞いたからと想像すると楽しい。
●『THE HOT RATS SESSIONS』その1_d0053294_00215731.jpg
 『ホット・ラッツ』のジャケット写真は裏も同じものが使われているが、裏焼きであることは、ジャケット・デザイナーのカル・シェンケルの美意識による。同じことを6年後にカルはアルバム『ボンゴ・フューリー』のジャケット写真でも行なう。『ホット・ラッツ』はジャケットの見開き方向を考えた時、左右反転した写真のほうがバランスがよい。今日の最初の写真は、本作のブックレットつまり『ホット・ラッツ』のジャケットと同じ写真を左右反転したが、見慣れないこともあって少し奇異に感じる。だがサウスポーの人はそうではないかもしれない。アンディーがクリスティーンをモデルとして撮った一連の写真からは、最も素晴らしいショットがGTOsのアルバムに使われた。それはユッカの大きな細くて尖った葉に仰向けになるポーズで、『ホット・ラッツ』の奇妙な怪しさとは違って妖艶な美しさがある。アンディーから全ショットのネガを見せられたザッパはその1枚をGTOsのアルバム用に選び、もう1枚を『ホット・ラッツ』用に指定した。それはアルバム製作中のことで、自分の姿よりもクリスティーンの怪しい写真のほうがよいと直感してのことだ。そこにザッパの優れた本能がある。これは一発で決めるということで、デジタル・カメラになって何度でも撮り直しが効くようになってからは失われた感覚だろう。これは長命であれば名作をたくさん残せるという考えを否定することにもつながっていて、短命であるからこそ、充実した日々で、見事な作品も残せる。その意味でクリスティーンの夭折はそれなりに立派な印象を残し得た。彼女は謙遜してのことか、あるいは賢かったためか、自分のことをしがなくてどこにでもいる女性と思っていた。ザッパのような才能の前ではそう思わせられもする。そこにグルーピーではない女性よりもごくまともな感覚があったと言ってよい。彼女の才能は編み物に発揮された。その片鱗は『ホット・ラッツ』のジャケット写真に覗く両腕に絡む袖にうかがえる。彼女のその同じ衣装の全身写真が本作で紹介され、特に今日の3枚目の大きなポットに上向きに横たわる写真はエロティックでもあって、アンディーの芸術的な感性がよく伝わる。いかにも60年代風でサイケデリックだが、このジャンプスーツがクリスティーンの自作で、またその色合いと柄は誰かのデザインを模倣したものではなく、またアンディーによれば排水管掃除用の毛糸とのことで、これはアクリル製で、また派手な原色のはずだ。この身近なものを転用する意識はザッパの音楽に通じている。女性が自分の身を飾るのに安価な毛糸を使った自作の編み物を着る点でまず芸術的感覚が旺盛だが、どこにもない大胆なデザインのものを着るのは勇気が必要だ。クリスティーンの編み物の才能をプリデュースする人がいれば、彼女はもっと有名かつ金持ちになっていたかもしれない。
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 クリスティーンのような女性が今の日本にいるだろうか。金があればブランド物を買いたい退屈な女は無数にいるが、彼女らはザッパのような創造家の目に留まらない。女性にも創造的でありたい者がいる。60年代、彼女たちが貧しくて反抗的であればグルーピーになったであろう。今ならシンガーソングライターの道もあるが、真に創造性豊かな女性はどこにいるか。作曲もまた「編む」ことにほかならない。音楽とは「編む」ことだ。縦方向の和音と横方向のアラベスクのような旋律の組み合わせによって今までにない、そして当然のことながら美しさを持った曲をいかに作り得るか。クリスティーンの編み物によるジャンプスーツを模倣することは難しくはないが、それをしてもクリスティーンを超え得ない。創造は模倣ではなく、誰も知らないことを知覚出来る物として提示しなければならない。ザッパはそう考えていたに違いないが、クリスティーンに彼女ならではの美意識と、それを具現化しようとする衝動と努力のあることを知っていた。またそういう才能は必ずと言ってよいほど見定めて世に送り出す人物と機会がある。それがアンディーであった。本作のブックレットにおける彼の文章は、考え込まれた挙句に『ホット・ラッツ』のジャケット写真が得られたのではなく、たまたまの一発撮りであったことを伝える。まず彼は通い慣れていたカメラ屋でこれまでに使ったことのなかった赤外線フィルムに目を留める。店員はリヴァーサル・フィルムで人体が緑色に写るので、SF映画でも撮影するのでなければ不要なものだと言うが、アンディーは6本全部を買う。何枚撮りであったかはわからないが、36枚撮りでも200枚ほどだ。これでは入念に構図を決めて撮影しなければならないが、後でどうにでも加工出来るジタル時代とは違って、一瞬のチャンスを逃がさない才能は当時のカメラマンには必須であった。瞬時の機会にどう最適に対応出来るかだ。同じことはもちろんザッパの演奏にも言えるが、デジタル時代にはザッパのような才能はもう生まれ得ない。アンディーはリヴァーサル・フィルムを反転して緑が基調の写真をマゼンタが中心となるものに変換した。このアイデアはロック界の写真では前例がなかったのではないか。デジタル・カメラではフィルターと画像加工の技術で同様の写真が得られるが、そのイコン的と言える色合いは完璧な構図ときわめて珍しい被写体が合わさって効果を上げる。その点でクリスティーンが自作の編み物ジャンプスーツを着て、アンディーの指示にしたがって撮らせた写真は、まだアルバム・ジャケットというものが芸術性を保っていた時代にあって見事な、そしてザッパならではのものとなった。口元を隠す彼女は、目の周囲を真っ黒にしている化粧もあって、性別不能で妖怪じみているが、本作によって全身像が見られるようになったのは、没後半世紀ぶりに彼女の供養となる。
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by uuuzen | 2020-02-16 23:59 | ●ザッパ新譜紹介など
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