湯の中にゆっくりと浮かんでいると、胎内を思い出すのか、これ以上の心地よさがないと思えることがある。毎日「風風の湯」を利用している嵯峨のFさんは、ここ1,2か月で筆者と最もよく話すようになったが、Fさんは湯舟に浸かる筆者の傍らでしきりに「ああ、気持ちいい!」を連発する。

Fさんは趣味に金がかかるのはあたりまえと言うが、酒もたばこも女も美食にも興味のないFさんの趣味は、競馬と株とそして「風風の湯」で、それらもそれなりに金も時間も要する。Fさんは商社に勤務していた時に中国に何度も出かけ、中国語を少し話すが、そのことを先日サウナ室で目の当たりにした。コロナ・ウィルスの騒ぎが始まる直前で、小学3,4年生の男子がサウナ室を遊び場として使っていることに筆者を含めて他の客が苦々しく思っていたところ、Fさんは普段に似合わずに優しい眼差しと言葉でその少年に語りかけた。子どもは急に中国語で話しかけられ、一気に表情と態度が変わり、Fさんの言葉に素直にしたがった。筆者と同じ年齢の常連のMさんは外国人観光客の風呂でのマナーの悪さにいつも怒っているが、彼らは知らないだけで、理解出来るように注意されるとすぐに謝って行動を改める。その点ではわけのわからない日本の大人以上に礼儀正しい。全く日本の大人のほうが眉をしかめる行為を平気で行ない、また注意されると逆上して裸の罵り合い、殴り合いが始まりかねない。そういうストレスを誰もが感じているので、中国人のマナーに対する無知さを嘲笑して留飲を下げる。どうせ奴らは下等国民で、永遠に先進国にはなれないという言葉を筆者は常連からよく聞く。そういう偏見は筆者にはないので、黙って聞いているが、それは必要以上に彼らとは深入りしないということだ。それはさておき、先月25日に武漢で始まったコロナ・ウィルス感染者を1000人収容可能な臨時の病院建設は10日で完成させるとのことで、その工事現場に様子を空から撮影した映像をTVで見て度肝を抜かれた。終日を費やしての突貫工事とはいえ、野球場以上の空き地に等間隔に入った数十台の大型ユンボが一斉に動いている様子は、現場監督がその作業の従事者にどのように指示を出しているのか、昔の日本の軍隊のように一糸乱れない規律性がうかがえ、日本では同様の工事はとても不可能ではないかと思わせられる。プレハブを現場で組み立てるだけにせよ、その資材をただちに揃えて一刻の遅れもなく効率よく現場に運んで次の組立工の手に委ねるのは、狂気的な迅速性と油断のなさが必要とされ、お見事と唸るほかない。それで思うのは、さほどに中国がコロナ・ウィルスの封じ込めに必死になっている現実だ。武漢市全体を隔離する政策からもそれは誰の目にも明らかだが、そのいわばあり得ない現実を対岸の火事と見つめている日本で、「ぬるま湯に浸かった」とよく形容されるが、全くそのとおりではないか。

今日の3枚の写真は先月23日に撮影したが、数百メートルの護岸に防水壁を設置する工事を3年を要して実施しようとするそののんびりさ加減は、土建業を保護するための呑気な政策と思われても仕方がない。本気になれば来月中に完成出来る工事で、それをきわめて少しずつゆるゆると実施しようというところに、「ゆるキャラ」全盛時代の日本の現実が反映している。真剣さがないと言い替えてよく、これは真剣を持たなくなった日本であるから当然でもあろう。武士は刀を常に持ち、心を真剣に保とうとしたが、仕事で大失敗しても首を切断されることがなくなった為政者たちは、全くやりたい放題の馬鹿者揃いとなった。昔なら一族郎党が斬り殺されたのに、今では逮捕されることも稀で、そんな連中が政治を司ってろくなことが出来ないのはあたりまえではないか。一方、中国や韓国は侮りの対象であり続けて来ているであるだけに、日本には切羽詰まった思考も行動も皆目見られない。これはコロナ・ウィルスが未知の存在で、また目に見えるものではないことも理由だが、それよりも想像力の貧困による。貧困さは栄養不足を来し、血の気を減少させるが、若者が羊以下の柔和かつ軟弱になったのは、日本の貧しさをよく象徴している。わずか10日で1000人収容の病院を建てる現実を目の当たりにしながら、それと同じことが日本でも必要になるという考えがないことは、あまりにも危機意識がないが、それは毎年大きな災害に見舞われる日本の現実が反映しているだろう。あまりに大きな力には太刀打ち出来ないという諦念だ。それはそれで生き抜くためのひとつの有意義な方法と言ってよいが、死に至る可能性のあるウィルスという概念が現在の日本ではほとんど消え去っていて、それを大型地震や台風と同じには考えられない。つまり高をくくっていて、武漢での出来事であって、日本はほとんど無関係と思っている。その呑気さで日本全体が武漢状態になって死者が大勢出れば、ようやく地震や台風と同じ脅威と考えて防疫のシステムを強化するのだろう。その意味で今回のウィルス騒ぎは日本が学習するいい機会になるが、筆者が思うのは箱もの行政で国力を誇示して来た日本が、数千万人の外国人観光客を受け入れ、彼らが落とす金で国家経営を成立させて行こうと決めているのであれば、新しい建物を造る土建業界を潤す政策はもう時代遅れで、新しいウィルスが生じても大きく心配するに当たらない仕組みを確立せねばならないことだ。それには大金を投じる必要があるが、数千万人の観光客を招いて彼らと日本全体の安全を保障しようとしないのであれば、あまりにも図々しい。せめて武漢で進行中の病院突貫工事並みに、迅速さで世界中から瞠目される行動性を見せる必要がある。日本は中国よりも圧倒的にネット時代の視覚性の威力について無知過ぎる。そこにも日本の国力の衰えが顕著だ。

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