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●見捨てられのミステリー
那主義の捉え方は人によって考えが違うだろう。今この瞬間が楽しければいいのは誰しもと思うが、そんな生き方は神様でも可能ではない。あるとすれば阿片中毒者のように、意識が朦朧として生き持ちよいと錯覚し続けている場合か。



そういう生き方は大金が必要で、大多数の人には無理だ。それでアルコールが代用品となるが、何でもほどほどがいいのに、うさ晴らしに酒を飲むことを繰り返していると、周囲から見捨てられることになるが、そのことをミステリーと思うようになっていれば中毒は深刻な状態にある。それでも誰からも見捨てられたホームレスに目をかける人や団体がある。昨夜四条川端通りの京阪電車の乗降口付近で若くてきれいな身なりをした女性ふたりが光る看板を挟んで立っていた。一瞬でキリスト教の伝道者である事がわかったが、光る看板は箱の内部にLEDの灯りを仕込んだもので、それが暗闇で信号待ちをしている人々の目にとても目立ち、女性の品のよさも手伝って、彼女らに近寄りはしなくても、筆者のように何か感じる人は多いだろう。彼女たちが信仰するキリスト教がプロテスタントの救世軍のようにホームレスに手を差し伸べるのかどうかは知らないが、そう言えば京都ではホームレスを見かけない。あるいは鴨川のずっと下流の橋桁の下の目立たないところにいるのかもしれないが、大阪の扇町公園の高架道路際に長くいたホームレスは姿を消し、また彼がいた場所はバリケードが張られて立ち入ることが出来なくなっている。ホームレスの居場所をなくすとホームレスはいなくなるという理屈で、彼らに住む場所と食事が税金で賄われているのであればいいが、現実はどうなのだろう。ホームレスのように世の中を見捨てた人ないし見捨てられた人は、今はホームレスにならずにさっさと電車に飛び込んで自殺するから、ホームレスはまだ生きる希望を持っている。ホームレスかどうかに関係なく、若者も老人もそれがなくてはならないが、見捨てられることは誰にもあって、別段不思議でもなく、また手助けしてくれる人が現われると思っていればよい。ところが、キリスト教では誰も見捨てられないかと言えば、そんなわけがない。以前にも書いたルナンの著作『思い出』の第1章「麻ほぐし」は、若い神父に恋してそれが実らない女性の話で、それは神父が結婚出来ない立場にあったためだが、そのことを除いても、神父は彼女の恋心を知っても眉ひとつ動かさず、彼女はキリスト教の非人間性を見たであろう。彼女は処女のまま人生を終えたはずだが、恋に破れた後、どのような思いで余生を過ごしたかと想像する。恋する相手に見捨てられ、キリスト教にも見捨てられ、ルナンが描写するように、40歳で老婆に見えたのは無理もない。だが、同様の残酷な話は現在の日本にもあって、生涯童貞、処女の人は珍しくないだろう。彼らは「麻ほぐし」の神父に恋した娘以上に味気ない人生ではないか。
●見捨てられのミステリー_d0053294_15064232.jpg
 先日ネットで瀬戸内寂聴の話が載っていて、不倫でもいいので恋をすべきとあった。彼女らしい意見で、いつものように大いに誤解されるが、彼女が言わんとすることは、恋する活力は人生を生きて行く基本となるもので、エロス(生)とタナトス(死)で人生と捉えた場合、前者の生は性であり、聖でもあり、また精でもあり正でもあるという意味だ。エロスがなければタナトスもなく、生きているのか死んでいるのかわからない状態で、現在日本の若者の多くがそういう状態に置かれているとすれば、年間3万人の自殺者があることの説明がつく気がする。先の寂聴の話には、不倫は迷惑を被る者がいるので絶対悪いという意見が溢れていたが、そんなことは寂聴はあたりまえにわかったうえで、それでもなお突っ走る衝動としての恋心の激しさを言っているのであって、不倫は誰かに迷惑をかけるからと思い留まる人は、エロスが少なく、その意味においての生きている充実感もそれなりにしか得られないということだ。ただし、これは生きるか死ぬかの極限の覚悟を持った恋であって、一夜限りやまた短期の片っ端から相手を変えるという病気は論外だ。ほとんど人は不倫して離婚する勇気を持たず、また何度も結婚や同棲をする覚悟のなさとは無縁で、それで寂聴の意見が多くの人に罵倒されるのは当然なのだが、「麻ほぐし」の娘のように、絶対に実るはずのない相手にでも恋をしてしまうのが人間で、その娘を愚かとは責められない。彼女のエロスは宗教の束縛を越えていて、それほどに純粋であっただけに糾弾されたが、恋心を寄せられた神父が彼女を内心憐れみ、神へ祈りを捧げ続けたとしても、そのことは彼女に伝わらない。何が言いたいかと言えば、エロスは宗教を越えているということだ。そうであるだけに宗教はエロスの氾濫を否定する。江戸時代の村の僧侶は、夫を亡くした妻の夜の相手をすることがあったそうだが、そうでもしなければその女のエロスが爆走して村にいろいろと不祥事を起こしかねなかったからだ。その意味で「麻ほぐし」の娘のエロスは、どこへどう持って行けばよかったのか、残酷で悲しい話だ。このエロスにまつわる話は、久坂葉子の自殺にも大いに関係していて、彼女は不倫相手の男の手玉に取られ、またそのエロスに惑わされ、タナトスに魅せられたと言ってよい。そこを富士正晴は言葉を選んでほのめかしているが、不倫の結果命を絶ったのであるから、寂聴の意見は話半分に聞くか、セックス・フレンドを求めている人がうなずけばよい。セックス・フレンドは愛が介在しないから罪悪感がなく、腹が減ったのでご飯を食べることと同じで、これを寂聴がどう意見するのか聞いてみたいが、褒められることではないが、泉のように涌き続けるエロスを抑えるには仕方ないとでも言うだろうか。筆者にはアルコールや麻薬の中毒患者と同じで病人と思えるが。だが、病人同士で癒し合えるのはよい。
●見捨てられのミステリー_d0053294_15070924.jpg 見捨てられ不安があり、また承認欲求が強い人ほど、他者に依存する度合いが強いが、自分に自信がなければ自分を愛せず、他者も愛せないとよく言われる。本当に相手を愛していなくてもセックスは出来るもので、人間がそのように便利に出来ているのは、子孫を増やすために理屈をこねていては具合が悪いからだ。それで衝動でセックスして子どもを産むという動物的で刹那的なことが真実ではあるが、子育ては社会の中で行なわれ、継続的な年月と費用や世間のそれなりのしきたりに沿う必要があり、誰しもそれを知っているので、セックスしても子どもを作らず、妊娠しても堕胎することがあたりまえに行なわれている。それがゴヤの絵「我が子を食らうサトゥルヌス」のようにグロテスクなこととたとえられるとすれば、子孫を食べる行為は現在の日本が莫大な借金を将来に回していることの反映であって、赤子を密かに間引いて田舎の人口が増えなかった江戸時代よりも今は悪い状態になっているとも思える。子どもはほしいが、育てる金がなく、したがって溢れ続けるエロスは抑え込むか、フリー・セックス状態で解放するかしかなく、かくてセックス産業が中高生にまで大流行りで、金のある老人は金に物を言わせて若い性を買うが、ホームレスは残飯をあさるか、手を差し伸べてくれる人の助けにたまに頼ってタナトスも無視する。ただ生きているだけの彼らに価値がないとみなす世の考えは子どもにまで浸透しているが、税金を支払っている者からすればホームレスは許せないのだろう。見捨てられていることを自覚しているホームレスは、自分の現状がミステリーではなく、自己責任と思って諦めているだろうが、自己責任論は強者の言い草でもあって、強者が弱者を鼓舞する際には言葉選びに注意する必要がある。それほどに弱者は傷ついて来ていて、言葉を曲解、誤解しがちで、たとえばわが子に対してもいかに接することが難しいかを最近の事務次官の息子殺傷事件が示している。その事務次官は「わが子を食らうサトゥルヌス」をそのまま実行したが、年末に筆者がぼんやりとその絵を思い浮かべたのは、現在の日本のあらゆる事情がその絵にたとえられるような状態になっていることを漠然と思い、また当然わが息子のことにも思いを馳せてのことだ。生まれたばかりの息子を見ながら筆者が思ったことは、「この泥まみれの世の中に生まれて来て大変だな」であった。泥の中から咲く蓮の花が仏教で重視されるのは同じ思いからか。ホームレスにパンとカップ一杯の紅茶を恵む人道主義をいいことに、ホームレスがついでにワインのボトルもほしいと言えば、それは責められることか。キリストは最後の聖餐でパンとワインを弟子に与え、それを自分の体と血と思えと言った。ホームレスにパンとワインを与えることは、人を見捨てないことだ。見捨てられることを漠然と不安がっている人が誰かに抱きしめられるように。
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by uuuzen | 2020-01-12 23:59 | ●新・嵐山だより
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