灰色の空模様で寒々としているのは冬場なのであたりまえだが、画像加工ソフトで少しは明るくして見栄えをよくする。昨日今日と家内と嵯峨のスーパーに出かけ、今日は中ノ島公園内で始まっている工事の写真を撮った。
工事がいつから始まったのか記憶にないが、「花灯路」が始まる前には現場は塀で囲まれていた。中ノ島小橋をわたってすぐ、五木茶屋の真向かいが現場で、10数メートル下流にトイレの建物があるので、たぶん休憩所かと思っていたが、その木造の建物は50メートルほど上流にある。それがかなり古いので、別の場所に建て替えるのかと思っていると、そうではなかった。現場を取り囲む塀を一巡すると、CGによる完成予想図と、その下に工事概要を記した札があった。それによれば工事許可は6月に降り、鵜飼のための鵜を収容する建物が出来る。それは展示観を兼ねていて、中ノ島に新たな見世物が出現する。中ノ島はだだっ広い感じはあるが、細長い箱庭で、それなりに樹木や建物などが密集する。そのため、建設が始まったこの鵜屋は広々とした視界を遮り、何となく邪魔なものが出来る鬱陶しさがあるが、出来ればすぐにその眺めに慣れてしまうもので、そのようにして都会はどんどん膨らみ、東京が一局集中を続けることを誰も気にしない。数か月前、バス停で待つ修学旅行の女子中学生たちに家内が声をかけた。山口市から来ていることがわかり、ひとりが「京都は大きな街ですね」と言った。そこには「大きくて取り止めがなく、少しがっかりした」という思いがこもっているようで、筆者は何となく申し訳ない気がした。京都盆地は東京のように膨張する可能性がほとんど閉ざされているが、代わりに密集の度合いを極限まで進めるしかなく、またますますそのようになって来ていて、数歩で景色ががらりと変わるほどだ。その端的な例が工事が始まった嵐山の中ノ島に建てられる鵜屋で、そのうちまた新たな施設が建てられるだろう。ところで中ノ島にはトイレが多く、最近家内は嵯峨への買い物の帰りに必ずそこに立ち寄りながら、筆者の尿意が固いことに驚く。筆者は4,5時間は平気で、自分でもおかしいと思うほど尿の回数が少ない。頻尿は病の部類に入るようだが、尿の回数が1日3回程度というのはもっと病気だろう。何しろ筆者は毎朝後紅茶を必ず3杯のみ、食事のたびに緑茶を3杯、それにコーヒーも飲む。それら大量の水分が3回程度の小便で排泄される。今思い出した。先日は市の清掃人の中年男性がホースを持ってトイレの周囲を走り回っていた。冬場であるから汚れた箇所を掃除するのは大変だが、彼は何かに追われるようにてきぱきと動いていて、また後ろ姿からの直感だが、人と交わることがとても苦手な、精神的な疾患のようなものを抱えている風に見えた。だが、清掃の仕事は永遠になくならず、誰かが携わる必要がある。ある意味では最も尊い仕事だ。
中ノ島公園に鵜を飼い、またその姿を見せる建物が出来ることは、嵐電の嵐山駅前にある「フクロウ喫茶」の野外かつ鵜版で、まさか有料にはならないはずだが、動物園と同じく世話要員が必要で、清掃も毎日欠かせない。それは現在どこかで鵜の世話をしている人が場所を変えるだけのことで、新たな問題は発生しないのだろう。筆者が思うのは、鵜の姿が間近でいつでも見られるなら、写生に便利であることだ。こうして書きながら筆者は岐阜市役所前の羽を多きく広げた鵜の銅像を思い出している。そうか、ひょっとすれば京都のライオンズ・クラブが鵜屋の前にそれに似た鵜の銅像を建てようと言い出すかもしれない。そしてその銅像の脇に「ライオンズ・クラブ寄贈」の石柱が大きく目立つだろう。もうひとつ想像するのは、鵜にスナック菓子などを観光客が与えることだ。そうすれば鵜の寿命は縮まる。スナック菓子ならまだしも、ビニール袋を喉に詰まらせるかもしれない。「ううううーーっ」とあの世行きだ。嵐山の鵜飼は渡月橋のすぐ上流で行なわれる。宇治では女性の鵜匠がいて大いに話題になっているが、嵐山も女性がいたのではなかったか。それはともかく、当然夏場だけのもので、それ以外の時期に鵜がどこでどのように飼われているのかは知らない。近年嵐山の鵜飼の様子がTVで紹介された時にも、鵜が普段どこにいるのかは伝えられなかったと思うが、桂川沿いの目立たない場所で飼育されているはずだ。そう言えば鵜飼の鵜かそれとも野生の鵜かが、たまに桂川に一、二羽、大きく羽を広げていて、その写真も撮りながらまだブログに載せていない。真っ黒な鵜はいつでも川にいる鷺とは対照的でよく目立ち、観察していると鷺よりも魚を捕るのがうまいようで、それで鵜飼に使われるのだろう。鵜飼用とは別の鵜が嵐山に飛来しているとすれば、そうでなくても減少しているはずの川魚にとっては大きな天敵で、鵜飼にも影響があるだろう。毎年6月だったと思うが、中ノ島公園では地元の料亭が協力して観光客に炭火で焼いた鮎を無料で提供する習わしが昔から続いていた。新聞やTVニュースで毎年それが報じられていたのに、近年見なくなった。先着500名ほどで、また他府県からの客優先であるので、地元に住むと正直に言うともらえなかったことがある。ここ数年は外国人観光客の急増によって500名分はすぐになくなる。それに外国人観光客は嵐山へのリピーター客にはならないので、旅館は申し合わせて鮎の無料配布をやめたのではないか。世知辛くなったというより、鮎が少なくなったのが最大の理由かもしれない。それに、渡月橋から少し上流の千鳥ヶ淵の川底に泥が堆積しやすなり、渡月橋下流で捕れる鮎が臭くなっているという話も聞く。そうなると飲み込む鵜も「ううううーーっ」となおさら吐き出したくなるかもしれない。