型どおりの挨拶程度の話でも、人と話すことは印象に残りやすい。それほどに筆者はあまり人と話さないからかもしれないが、話している間は相手から言葉以上のことがいろいろと伝わる。
ここからは言葉よりも大事なことがあることがわかる。最近そのようなことを経験した。ある初対面の人としばし話したのだが、交わす言葉以外にその人が筆者に向けて投げかけている目つきを筆者は感じ取った。その人はその態度を無意識にしたのかと言えば、いい大人であるのでそうではあり得ず、表情を作る、つまりサインによって筆者に本心の猜疑心を示そうとしたのだ。子どもでもそれくらいのことはわかる。また筆者が顔色ひとつ変えずそうしたことを感じていることを相手が知らないとすれば、相手はよほどの馬鹿で、筆者は相手にはしたくない。初対面とはこのように型どおりの挨拶を交わし、その後のそれなりの親密な交際に発展するかどうかの一瞬の試しの場となっているが、親密の度合いはさまざまだ。たとえば「風風の湯」で出会う常連は目下の筆者にとっては家内に次いで最もよく顔を合わせ、話をする人たちだが、その話の内容は挨拶の延長上の他愛ないことばかりで、またそうであるからお互い笑いながらいつも同じ気持ちで接することが出来る。前にも書いたが、ここに政治や宗教の話を持ち込むとややこしくなる。また芸術についてもそうで、100人いればひとりいるかいない程度に芸術の話に花を咲かせられる人はいない。去年12月にあった少年補導委員会の忘年会でも、筆者の鍋の席にいた他の4人は、80歳くらいのひとりを除いて若冲の名前を知らなかった。そのことを別段さびしいとも思わない。政治家はほとんど同類であることを思えばごく当然なことで、芸術の話をする者など無粋と相場は決まっている。それで男同士の席では酒か賭け事か女の話になるが、筆者の年齢になると女の話題は下品と思うので、もっぱら酒か賭け事になる。筆者は酒は飲むが、ゴルフや株などの賭け事はまるで関心がないので、最近「風風の湯」で最もよく話すようになった嵯峨のFさんとサウナ室などでふたり切りになった時、話題に困ることがある。Fさんは商社マンであったが、酒は一滴も飲まず、女に関心はなく、競馬や株三昧の生活を送っている。もちろん芸術には無関心だ。Fさんは言葉が悪く、Fさんと同じ時間帯にたまに「風風の湯」にやって来る近くに住む70歳くらいの男性に向かって「こいつはアホ」と平気で言う。だが、筆者にはいつも「あなた」と言葉をかける。筆者はFさんからアホと呼ばれるその男性は好きで、確かに無学と言ってよいが、心根は優しく、話していて気分は悪くない。最も厄介なのは、去年サウナ室で会った有名銀行に勤務する50代のように、自分をエリートを思っている本当のアホで、彼らには教養も礼儀もなく、人を見下すことでしか体面を保つことが出来ない。
大晦日の深夜から体調を崩し、昨夜と今夜は「風風の湯」までは歩ける体力が戻った気がしたこともあって、いつもより少し遅めに出かけた。親子連れが溢れ返っていたが、それもやがて空き、2,3人の常連と出会った。今夜はサウナ室で数か月ぶりに近くに住むTさんと会い、珍しく20分ほど話をした。もちろん当たり障りのない話だが、言葉の端々に生活や思想の一端が垣間見える。筆者は相手によって話題を変えるが、Tさんが去年手術したことを知っていたので、半年以上になるがその話題を振った。Tさんは、手術はしたものの、予想どおりの結果にはならず、相変らず足は不自由とのことだが、一時は車椅子生活で、また杖をついていたのが、普通に歩けるようになって助かったと言った。一時にしろ、車椅子に乗っていたことを知らなかったので筆者は驚いたが、元通りに歩けるようになったのは何よりだ。Tさんは有名企業を勤め上げ、趣味は夫婦で海外旅行や国内の温泉旅行、それにおいしいものを各地に食べに行くことだが、奥さんは若い頃はジャズ・ピアニストで、奥さんの引率でニューオリンズに行ったこともあるというから、それなりに有名な演奏家であったのではないか。毎晩夫婦で酒盛りするのが趣味で、今の調子を死ぬまで続ける、つまり「逃げ切る」ことが夢だと言う。Tさんは筆者より2歳若いが、よく肥えて貫禄があり、5、6歳は年配に見える。「逃げ切る」という印象深い言葉を残してTさんは先にサウナ室を出た。筆者は自分の今後の人生をまだ余生とは思っておらず、やりたいことは常に山積しているが、目の前に積み上がっているやるべきことを放ったらかしにしている状態でもあり、精神的に老けてはいられない。とはいえ、若ければ何でもいいというものでもない。「若い」は「幼ない」場合も多々あり、最近の筆者は30代半ばの息子や同世代と話をしながら、そのあまりの幼なさによく失望する。今は年齢相応の風格、知性を身につけるべきという考えがなさそうで、いつまでも子どもじみた考えや態度でも世間をそれなりにわたって行けるのだろう。18歳で小説で頭角を現わし、21で自殺した久坂葉子の才能を思えば、確実に今は大人が幼児化し、またそのことを不思議と思わない。「かわいい」文化の弊害だ。筆者は知性的で成熟し切った女性が好きだ。またそういう女性でなければ筆者のことはわからないと思っているが、知性はあっても干からびていて、男を侮ったり敵視したりする女性は論外だ。Tさんと話をしながら筆者はまともに座っていることがかなり苦痛で、しばしば痛みから顔をしかめたが、そのことをTさんは知らなかったであろう。今夜は家内もだが、温泉の中で眩暈がして、しばし休んだとのことだ。筆者は昨日今日と体重を測ると、20数年ぶりに50キロ台に減少し、鏡を覗き込むと頬がやつれている。「逃げ切るか 心地よき湯の わが春は」
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