網物と言えば魚だが、筆者は網で吊るようにネットでいろんなものを探してよく買う。先ほどはロンドンに帽子を注文した。しかも日本からは別のものを同時に買ったので、帽子だらけになっている部屋の片隅はさらに帽子の山となる。
家内はそれを防止しようと激しい言葉をいずれ筆者にまた浴びせる。冬場であるので帽子は必需品で、また今年はニット帽をいくつか買った。それらはとても個人では編めないものだが、簡単なものなら筆者は編んでみたいとよく思う。「男がそんな女のやることをしたいとは、お前はオカマか」と言われそうだが、カラフルな毛糸で好きな柄を編める編物はとても魅力的だ。筆者の本職の友禅は女性が着るキモノのための技術で、筆者向きと言えばせいぜいネクタイ程度しか染められない。家内は針仕事が苦手で、編物は全然出来ず、母は認知症であるので、筆者には編物を習う身近な人がいない。お金を払って学びに行くほどの強い興味はない。母は筆者が小さな頃、よく毛糸で編み物をしていた。それで筆者の編物への関心が芽生えたのだろう。母は還暦から70代半ばまでは憑かれたように編物をしまくり、大量のヴェストやセーター、帽子、膝掛などを編んで誰かれかまわずほしい人にあげていた。筆者は母が編んだヴェストを数枚持っていて、冬場になると着る。母よりは10歳ほど若い近所のおばさんが、それを見て、「手編みやね」と言ったことがある。「わかりますか」「そらそうや。うまいこと編んである」。筆者は少々鼻が高い。母はレース編みに凝ったこともあるが、誰かに学ばず、本で独学した。その気風は筆者に受け継がれている。見様見真似で手仕事ならだいたいはうまくこなす。だが、そういう筆者を母は「器用貧乏になるから」と言ってあまり喜ばなかった。編物は妹らもうまくこなし、上の妹は昔編物の機械を買ってパンチカードでデザインして好きな柄を編んだ。その技術も筆者は学びたかったが、妹はすぐに興味を失った。筆者は自分でデザインして妹に機械編みしてもらった柄は今でも気に入っていて、色違いのセーターやヴェストがほしい。それにはやはり学ばねばならないが、筆者にはあまりにもやりたいことが多過ぎて編物までとても手が回らない。デザインした柄というのは、人間の耳やまた自分の漢字の名前を連続模様にしたもので、一風変わっているどころではなく、普通なら恥ずかしくて着て歩けない代物だ。そう言えば先日家内はカウチンを持ち出し、着用していた。ほとんど10年ぶりに見るが、息子が小6の頃に買っもので、小柄な家内ならサイズが合う。筆者はそのカウチンのデザインがとても気に入っていて、同じ色と柄で筆者に合うものがほしいのだが、自分で編むしかない。地色は水色と紺で、胸の両側に赤い薔薇と緑の葉、背中には黒と白で大きな正面向きの髑髏が編み込まれている。特に髑髏はとてもかわいらしく、少しも怖くない。

編物で思い出すのは筆者の小学校の卒業式だ。母は紺色の着古したセーターを解き、毛糸を買い足してVネックのセーターを編んでくれた。みんなはすでに中学生の詰襟の黒の制服を買っていて、それを着て卒業式に出ると言ったが、貧乏なわが家ではそれを買うお金がまだなく、母は白シャツに紺のセーターでいいと思ったのだ。ところが編み上がったセーターは片袖が青紫で、明るいところではもう片方の紺色との差が目立った。筆者はそれを着るのを嫌がったが、それしか着て行くものがなかった。案の定、卒業生の中で筆者だけが私服で、しかも手編みの袖の色が違うセーターだ。その姿は大いに目立ったと思うが、大人になってわかったが、自分が気にするほど他人は注目していない。今ならそういうセーターは却って一風変わっていてお洒落かもしれない。またどうせ色が違うなら片方が青、もう片方が赤のほうがよい。袖の長さが左右で違う一流のパンク・ブランドがあるが、袖の色の違うセーターを編んだ30少しの母はパンクの精神がわかっていたかもしれない。「どうおってことない。気にしやんでいい」。そう言いながら筆者を卒業式の朝に送り出した。本当にそのとおりで、今なら筆者は平気でそれを着る。編物の話は今日の本題ではない。明日は大晦日というのに年賀状の図案のための切り絵には全く手をつけず、また明日は買い物に大阪に出ようと家内が言うので、予想どおり元日に年賀状作りをする羽目になる。ぐずぐずしているのでもないが、先ほど「風風の湯」ではいつもより疲れを感じた。体重は少し減っている。一昨日から急にひどく咳き込むようになったからで、喘息に間違いないと家内は言うが、薬は飲まない。同じような咳は2週間ほど前にも出て1週間ほど続いた。完全に治ったのにまた同じ咳が出始めた。それでどうも根気がないが、最低限はやるべきことはやらねばならない。で、2週間ほど前、上桂へ家内と買い物に出かけた時、桂川の土手下の道路際に鮮やかな黄色い塊が1個転がっているのを見つけた。カリンだ。周囲にはその木はない。誰かがどこかで拾ったものを捨てたのだろう。一部黒ずんでいるが使えそうなので持ち帰った。4日前、嵯峨のスーパーに家内と行く途中、小さな駐車場の片隅にカリンの実が20個ほども落下していた。カリンは11月に実るが、暖冬のせいで結実が遅れているのだろう。見上げるとまだ10個ほど枯れ木にくっついている。落ちた実はもう腐りかけていて、そのまま放置すればいずれみな黒くなってゴミになる。それで道路からその駐車場の2、3メートル奥に入って1個拾った。昨日はまたその駐車場の脇を通り、また1個もらった。もらったと言うより、勝手に盗んだ。だが、落下したものがそのままゴロゴロとあちこちに転がって腐り始めているのであるから、筆者はゴミを拾ったも同然ではないか。

梅津のムーギョでカリンが売られているのを見つけ、それでカリン酒を造ったのはもう20年ほど前のことだ。だが、注意して道を歩いていると、ごくたまにカリンの実が落ちているところに出会う。とても硬くて、輪切りにする時によく注意しなければ指を切る怪我をする。カリン酒は別段おいしいものではなく、喉によい薬として昔から知られる。桂川の土手下で拾った1個はやや小ぶりで、先ほど家内が確認すると拾った時と状態は変わらないが、ここ数日で同じ場所で拾った2個が大きく、またきれいなので、その2個でカリン酒を造ることにした。梅酒用の1.8リットルの焼酎を昨日買い、今日はそれで輪切りにしたカリンを漬けた。梅酒用の大きなガラス瓶が空いていてちょうどよかった。ネットにはカリンの実は1キロ必要とあったが、大きな2個ではそれより少し多い。また当然砂糖がなければまずくて飲めないが、氷砂糖を買うのを忘れたので、これは明日大阪で買うか。こうして書いていて咳が止まらず、息苦しいので、カリン酒があれば気休めかもしれないのに、漬けて飲めるまで最低3か月はかかる。それまで咳が続けば大変で、とっくに咳が収まった後に飲み頃になる。薬嫌いの筆者でもカリンの効果は信じていて、手元に筆者自身の手で漬け込んだからには少しは安心だ。拾った、いや盗んだカリンで咳止めの効果があると信じるのはかなり罰当たりだが、ここ10年ほどはカリンを売っているのを見かけたことがない。甘味のある果物とは言えず、いったい何に使う実かと、おそらくカリンを手に持ったことのない人は思う。それにしても駐車場の際に立つそのカリンの木は毎年数十個は実らせるはずで、地面に落ちて腐るだけのことでは生きていてもあまり楽しくないだろう。それできっと筆者がその根元近くに駆け寄ってさっと実を奪ったことをにこにこして見ていたであろう。とはいえ、筆者はその種子をどこかに植えてカリンの子孫を増やすのではなく、喉の痛みを軽くするために酒に漬け込む。今日の最初の写真は先日大阪で買ったレモンと昨日スーパーで買った柚子が1個ずつと、そして大きなカリン2個だ。黄色ばかりだが、少しずつ微妙に色合いが違う。そう言えば昨日スーパーで5キロのミカンが2980円で売られていた。税込みでは3300円ほどで、10年前の倍だろう。昔は冬になるとミカンはどこでもとても安く売られ、炬燵の上には籠入りのミカンが山盛りになっていた。家族が多いと10キロ入りを買うが、夫婦ふたりでは緑色の網袋入りで充分だ。先日はある家の玄関脇の枯れ木に、ミカンを横方法にふたつに切りしたものを刺してあって、実の半分は鳥が食べてなくなっていた。ネットで産地直売の10キロ入りを買えば鳥を楽しませることも出来るが、送料がかなり高くなったので割安感が激減した。「咳き込んでカリン漬け込む老爺心」