「
禅僧の電車で悟る光かな」。なるほどすこぶる便利ですぐに着いたわいと江戸時代の人なら、電車の便利さに驚嘆し、歓迎したであろう。あまった時間はほかの用事に使えるし、また素早く済ませられ、自分の寿命が何倍も増える気がする。

ところが現代では平均寿命が延び、暇な時間は誰でも江戸時代の貴族並みにあって、よからぬことを考える。人間が暇を持つとろくなことはない。何が薬物だ。何が不倫だ。時間給が少なくければ終日働け。江戸時代の禅僧ならそう思うかもしれない。そんなことを想像して自戒するが、次回でいいではないかと、よからぬ自我が一方でささやく。そしてたいていそっちが優位に立って毎日思ったことの半分も出来ない。「光陰矢のごとし」を今は電車に乗っている時によく思うが、それを悟りと言うのであれば、筆者は子どもの時から少しも成長していない。年を食った分、劣化し、漫然と綴るこの無味乾燥で六味感想戀態思惑ブログの文章もまことにろくでもない。それを重々承知しつつ、17日に撮った写真の残りを消化するためにまたパソコンに向かって文章を書き始める。さて、今日の最後の写真は移築されたかつての二条駅の建物だ。鉄道博物館に入ってすぐ、その旧駅舎内部に灯りが点き、お土産を販売しているらしいことがわかった。帰り際に入ろうと思っていたのに、閉店していた。かつてこの駅舎が解体移築されると知って筆者は訪れ、柱や梁の傷の跡などを見回した。ところが、移築後に初めて訪れたのは先月17日で、また昔確認した材木の傷の箇所は全部忘れてしまったので、再訪してもそれらが残っているかどうかはわからない。おそらく瑕疵のある個所は全部修復されたであろう。この建物の内部に入るのに入館券は不要かもしれず、ならばまた近くに行った時、それは京都水族館を訪れる時だが、ついでに立ち寄ってもいい。移築された駅舎は社寺の多い京都らしいもので、犬山市の明治村を思い出させる。移築するより新しく建てるほうが割安で済むと思うが、古いものを何でも壊してしまうことはもう誰もがよくないと思っている。それで古い列車の車両も保存して博物館で見せることになったが、この鉄道博物館は難波の大阪球場に一時あった住宅展示場のようなところがある。電車は家屋ではないが、それに似たものだ。自動車もそうで、今は車で各地を放浪して生きる人がいる。列車が車と違うのは個人のものではなく、多くの人が利用するもので、バスと似ている。ところが昔のバスばかりを展示する博物館はない。列車と比べて圧倒的に輸送量が少なく、また寿命も短いからか。その点、列車は頑丈で風格がある。家屋と違って各地を移動するのがよく、その意味では自ら動かない物ではあるが、動物に近い。蒸気機関車は特にそうで、剥き出しの黒光りの胴体は筋肉の塊に見える。H.R.ギーガーがデザインしたエイリアンはその点に魅せられたゆえであろう。

今日の最初の写真は昨日の最後の写真の右手にあった鉄道模型のジオラマで、写真は左端がもう少々奧まで続く。筆者が鑑賞した位置からは1枚の写真ではその全景が収められなかった。横幅15メートルはあった。奥行もあるので、写真右端では客席がL字型になっていた。入れ替え制で20分ほどのショーが見られたが、満席で、100名はいたと思う。夜明けから深夜までを照明の加減で演出し、若い女性係員が都市鉄道の1日をアナウンスした。毎回同じ内容を話すので暗記しているだろう。JRの列車模型だけかと思っていると、南海のラピートが走り、京阪や阪急の車両もあった。その点は関西の鉄道事情を反映し、私鉄に勤務する人が見ても失望しないように考えられている。鉄道模型は何とかゲージと言って、サイズが決まっていて、また夜の場面では車両内部が光った。収集マニアがたくさんいるが、このジオラマは彼らの助言もあったのだろう。この博物館に勤務する若い女性たちはマントつきの制服を着用し、館内のあちこちにいた。あまりに広い館内のどこにいるのか大人でもわかりにくいから、気軽に声を掛け合える雰囲気の女性が必要とされる。帰り際にそのひとりの出口を訊ねたところ、笑顔でていねいに教えてくれた。今日の2,3枚目の写真のように、建物の1階はかつて走った車両の実物が展示されていて、またプラットフォームがないため、かなり大きく見え、不注意によって怪我をする人もあるだろう。そのため、係員の女性は筆者が気づいたところ、前述の模型ジオラマのコーナーを除けば全員が1階にいた。筆者らはすべての展示車両の内部に入っていないが、今日の3枚目の写真の下に写る60年代半ばに開通した最初の東海道新幹線の客室に入ると、昔感じた思いが蘇った。実物の力だ。これは移築された二条駅舎についても言える。写真では駄目で、実物に取り囲まれる経験は圧倒的なもので、長年それを忘れない。それを鉄道マニアたちはよく知っているだろう。それでこうした施設を訪れ、また走っている車体を撮影する。とはいえ、展示されている車両はごく一部で、その中に入ると、内部が古びているせいもあって、夢の中にいる気分になった。それもあまりいい夢ではない。この感覚は昔明治村を訪れた時にも強かった。移築、移設されていても、それは全体の一部で、またかつてとは全然違う環境の場所に据えられている。そのための違和感だ。これは精巧に出来た人間ロボットのようなもので、たとえば蝋人形館を訪れても同じように感じるのではないか。そう思えば、現在活動中のものの輝かしさは何物にも代え難い。博物館に入ることはその物にとっては特別に光栄なことだが、実際に使用され、役立っていることが何よりだ。そういうことを感じてまた現実の生活が以前とは違ってまっさらに見えて来るのであれば、この博物館の役割は大いにあると言える。

「その1」で書いた操車場の機関車回転台は、前述の鉄道模型のジオラマやまたそれに似た回転寿司とは全然違うもので、思考になぞらえたくなる。たたとえばこのブログを書く時、個別の思いが別々に格納されていて、それらを順次持ち出して吟味し、少し変えて書いたり、意識の元の場所に戻して使わなかったりをしきりに繰り返す。言い換えれば、即興でこれを書いているが、書きながら湧いて来る思いを文字にするかどうかを絶えず考え、また一度文字にしてもそれを消したり書き換えたり、また順序を変えたりして文章を整える。頭の中に回転台があるということだ。これはレコードのターンテーブルのような単なる回転ではない。周囲にいくつもの考えを保管している場所を備え、それらから考えを取り出し、回転台の中央で検査ないし加工して文脈へと送り込む。この作業は最初は使おうと思っていた考えを使わないことがままあり、そのまま忘れることもあれば、いずれ別の文章で使う場合もあるが、頭の中では多くの蒸気機関車としての思いが常に回転台中央に向かって移動させられることを待っている。なぜこんなことを書くかと言えば、単なる鉄道博物館の感想を超えて、かつて小さな息子を連れて訪れたことや、二条駅の駅舎の移築など、筆者の遠い思い出と今回の訪問が意識の中でつながっているからで、それはまた筆者の人生でもあるからだ。そこから鉄道とは、「暗夜行路」ではなく、人生行路の暗喩であることを思いもするが、私的なことを最後にひとつ書いておくと、筆者が京都に出て来て3年ほど経った頃、二条駅近くの呉服問屋の本社にたまに行くことがあった。社長は娘が住むアメリカに移住したと聞いたが、もうかなり高齢で生きているかどうかわからないが、ごくたまに筆者の頭の中の思考回転台の上に出て来る。そしてそのまま元の場所に戻す。それはさておき、本社のすぐ斜め向かい前にあった二条駅は、今日の4枚目の写真の姿と同じだが、今は斬新なデザインの駅に変わった。古い建物はいずれ吟味のための回転台上に移され、そして取り壊し処分の意見が下されるが、幸いにして別の場所で再利用されることもある。それはかつての華やかな利用状況を知る者からすれば抜け殻のようなものだが、それはそれで新たな人生だ。人間そのものもいくつかの時代があり、それぞれの時代で吟味回転台に上って行く先が決められる。それが輝かしい場所であればいいが、老化に向かうとだいたいは暗がりの線路を進む。そしてその線路が途切れる終着駅では、「その1」に載せた写真のように線路末端に花を飾った小さな木箱が置かれている。線路はどこまでも続くという歌があるが、実際はそうでないことを誰もが知っている。それで時間を有効に使おうと、新幹線が開通し、リニア新幹線がやがて走る。「禅僧の電車で差取る時間かな」。とはいえ、悟りは他者との差を取るために目指すものではない。