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札を改める」という意味の「改札」であれば、「切符」は「切札」と呼ぶほうがいいかと、切り札的に得意になって言う人がいるかもしれない。今ビートルズを聴きながらこれを書いているが、「Ticket to Ride」こと列車に乗るための乗車券は、鉄道が始まった頃は「札」(ふだ)と呼んだのであろう。
そして駅ごとに異なる切り口を持つ鋏でその札の端の一部を切って符号をつけていたので、「札」を「切符」と呼ぶようになったと想像する。現在の切符は自動改札機を通して小さな丸い穴が開けられるようになって、駅ごとの「切り符」はみな同じになった。ロボット化は日本では切符の自動販売や自動改札で最初に本格化したと言ってよく、次はスーパーやコンビニのレジ打ちがそうなり、やがて医者も政治家もAIの力のほうが信頼出来る時代になるか。そうなった時、人間は何をして収入を得、また暇な時間を潰すべきか。後者は何をしていれば最も楽しいかだが、楽しいことは楽しくないことがあって自覚出来るから、その楽しくないことが嫌な人は、「自分の人生、好きなように過ごさせてもらいます。それのどこが悪い」と考え、清末期の阿片中毒の中国人のようになることを望むかもしれない。麻薬が蔓延しているような日本であることは、真に楽しいことが麻薬によって与えられると勘違いしている人が増えているからだろう。また麻薬に限らず、現在の惨めに思える自分をしばし忘れたいためにギャンブルやセックス、アルコールなどにのめり込む。そういう人は脳のどこかが壊れているので、他者の意見を聞く耳を持てないが、そんな人が増加するとますますAI化の拡大が求められ、人は居場所がなくなり、能動的に楽しむ術を持たねばならない。そこに芸術行為の存在意義があるだろう。AIが進歩しても、人の赤ん坊を産み育てる能力を持たない限り、人間の芸術に似たものを後追いで生み出すだけで、人間の芸術は常に一歩先を行く。ところが、芸術に無関心な連中がAI研究に勤しみ、万能の神のような道具が作れると勘違いする。その万能とは正確でより素早くが第一義で、次に快適さが重視されるが、日本の鉄道は現在もそれを守っている。AIが得意なことは正確と素早くに関してのみで、快適さは肉体つまり五感に大いに関係していることで、AIの出番はほとんどない。五感に関係するのが芸術で、鉄道における快適な部分に着目して文芸作品がかつてはよく書かれたが、リニア新幹線は正確と素早さの究極の追求であって、快適さは無視されている点において、AI時代にふさわしい乗り物と言えるが、そこには鉄道は単なる道具であって、より時間どおりに素早く目的地に着けば、それによって浮いた時間で自由に別の快適さが得られるとの考えがあるのだろう。つまり、少しの我慢をすればよいという非人間的な考えで、車窓の景色を楽しむという醍醐味は贅沢とみなされるようになりつつある。
リニア新幹線が日本国中を走るようになった時、鉄道博物館ではその車両が展示されるだろうが、その時代の人々は各駅停車の電車を知らないかと言えばそんなはずはない。鉄道博物館では長かった昭和時代の香りが車両の展示だけではなく、田舎の小さな駅舎の改札口や売店の再現によってなされている。そこにはAIやロボットの存在はなく、人が言葉を交わし合った残響が残っている。それを快適とは思わず、面倒と考える人が増えて来たのでAI時代が到来しようとしているのか、話が逆なのかはわからないが、博物館は物を集めて展示し、その物を通していろんなことを考えてもらう施設で、その物には人々の合理性を目指す思いと合理的な美を盛る思いが込められている。合理的な美とは、芸術家個人の自我の表現ではなく、公衆にわかりやすく情報が伝わることを重視するものだ。そのデザイン性は時代の流行から免れ得ないので、古いものは懐かしさを内蔵する。それは正確や素早さとは関係がなく、快適さに属するもので、窓からの景色がほとんど楽しめないリニア新幹線でもいずれそういう美的な物が鉄道マニアに喜ばれるだろうが、彼らがそういう物に魅せられるのは、たとえば今日の2枚目の写真の列車の先頭に掲げられるヘッドマークが無数の人々に見られて来たという有名さと、人間的なつながりが想像出来るからだろう。さて、今日の最初の画像は2階にあった切符販売機と自動改札口を利用した時の記念切符と言ってよいもので、無料で切符が発行され、改札を通ることが出来た。そこを通らなくても2階の回廊状の各施設を見ることは出来るが、物珍しさからほとんどの人は前の人に倣って改札を通っていた。3枚目の写真は2階から1階の車両展示を見下ろした様子だ。またこの2階は昨日の3枚目の写真を撮った後、そのまま直進すれば内部に導かれるようになっている。建物というより、飛行機の格納庫のような巨大な倉庫といった感じだが、見るべきものは多い。レストランはあるが、午後5時閉店か、当日は閉まっていた。近隣に食堂はほとんどないようなので、家族連れであれば食事場所はほしい。写真は撮らなかったが、この施設のすぐ近くにJRの新駅が出来たので、JRを利用するのであれば京都駅から歩く必要はない。昨日書き忘れたが、筆者らは京都水族館の玄関前の道と西に歩き、倉庫が並ぶ場所に出た。さらに歩くと梅小路公園があった。京都水族館にはまだ行ったことはないが、どうしても行きたいほどの施設ではないので、「関西文化の日」に無料にならば行ってもいいかと思う。この考えはひどいかと言えば、ごく自然なことで、わざわざ足を運ぶには時間も金もかかる。時間はいいとして、せめて無料であればと思うのは人情だ。家内は最初、鉄道博物館に行くことを渋ったが、展示物が多く、また当日は多くの客で賑わい、思いのほかよかったと帰り道に感想を言った。
筆者は旅行好きではないので、列車のヘッドマークへの関心は薄いが、息子が幼ない頃、このマークを網羅したカラーのポスターを部屋に貼っていたことがある。それで見覚えのあるものが多いが、2枚目の写真のヘッドマーク展示室では初めて見るものがたくさんあり、実物の迫力に感じ入った。レトロなデザインで、遠目にわかりやすい書体と配色だ。沖縄には列車は走っていなかったのに、「那覇」というヘッドマークがあって、異国情緒を誘ったであろう。今思ったが、満州鉄道にも多くのヘッドマークがあったはずで、それらの実物はどうなったのか。外して日本に持ち帰った人はいないはずで、中国が全部処分したか、あるいは物に罪はないと考えて保存しているのか、気になる。またデザイナーが何人いたかだが、彼らの証言が専門雑誌に載っているかもしれない。ヘッドマーク・デザインの時代性は切手のそれと通じるところがあって、各ヘッドマークが最初に作られた時と、その当時に発売された切手のデザインを比較すれば興味深いことがわかりそうな気がする。またそこから他のデザインに視野を広げると、日本のモダニズムのデザインの特徴が浮き彫りになるはずで、またそれは外国にはない日本独自のものであるから、さまざまな研究がなされてもいい。今日の4枚目の写真は資料室で、鉄道に因むレコードや本などが展示されていた。今の若者には馴染みのない作品が多いと思うが、それもあって他の展示コーナーに比べて閑散としていた。小説家は数人紹介されていて、最も有名なのは「阿房列車」のシリーズでよく知られる内田百閒だ。漱石の弟子の百閒は、ひたすら列車に乗ることだけを楽しみとし、かなり変わった鉄道マニアの元祖であった。そこには正確で素早くという鉄道の利点を全く気にしないどころか、それを嫌っているところがある。のんびりとただ乗っていることが楽しいというのは、座席に陣取ることが非日常的というより一種のハレの行為であって、また思考し、時に連れの者との他愛のない話が出来る場であったからで、百閒は新幹線やリニアは嫌悪したはずだ。仕事などで急いで目的地へ行く必要のある人が多いので新幹線が登場したが、百閒のような小説家はゆったりと時間が流れて行くことを好んだ。彼の小説は事件が起こるのではなく、淡々と列車内部で感じたことが書かれるだけだが、そこには空気のようにあたりまえに存在している国鉄の正確な運行への信頼があったことがはっきりと感じられる。そして、鉄道職員もあたりまえに正確に列車を安全に動かすことを天命とする思いがあるが、飛び込み自殺者が増えているのかどうか、阪急ではそれでストップすることが多い。これも今思い出したが、1960年代前半には南海電車がよく脱線事故を起こしたが、その後は聞かなくなった。車を運転しない筆者は移動は鉄道頼みで、その事故には敏感に反応する。