悟性を得ることは光が差すことで、啓蒙は暗がりに光を当てることと思えばよく、人間は光が好きだ。安価な光のLEDのお陰で夜間を明るくすることが増え、今年も大阪御堂筋のイルミネーションが始まっている。

京都嵐山では「花灯路」が今年は12,3回目で、寒い中をどれほどの人が来るのかだが、今年の寒さはかなりましで、筆者は14日の2日目に家内と散歩のつもりで嵐山公園に行った。去年佐川急便が公園内のテントの中でミニ行灯用の絵をフェルトペンで描かせるサービスを無料でしていて、今年もそれに挑戦することにした。テントに着くと中はほぼ満員で、また先着200名限定との表示があったが、5分も待たない間に中に入れてもらえた。若い女性と子どもが目立ち、みんなどらエモンなどの漫画を器用に描く。水彩絵具や色鉛筆はなく、またインクの色が7色程度で、ほとんど出ないものもあって描くのに手こずった。家内もテントに入ったのに、描かないことに遠慮して早々と外に出た。筆者があまりに熱心に描くので、二度ほど覗きに来た。どうにか描き終え、それを4分1ほどに縮小コピーしてもらい、小さな白い筒とともに手渡された。筒の底には電池が入っていて、蝋燭型のランプが七色に1,2秒ごとに点灯する。どこかで売られていると思うが、電池込みではひとつ300円はするだろう。描き終えたいわゆる原稿はテント前の円筒に巻くことになっていて、その円筒の数がざっと150ほどなので200名が描けば先に描かれたものを取り除く必要がある。幸い、巻かれていない筒がいくつかあったので、そのひとつに絵を巻き、写真を撮った。老齢の係員の男性がそばで見ていて、笑顔で褒めてくれたが、筆者が描いたものが何かはわからないだろう。翌日それを確認すると、当然ながら筆者のものは取り外されていた。隣りの詰所代わりのテントに協賛した会社名を列挙したパネルが掲げられていたが、有名な会社が勢揃いし、たぶん300社ほどにはなるだろう。16日の夜に「風風の湯」に行ってその話をすると、嵯峨のFさんは嵐山花灯路に1億円の経費が必要と言った。明日は「その2」を投稿するが、二尊院まで路傍の行灯の裂は続いていて、翌日の15日に家内とそこまで訪れた。警備員を初め、スタンプラリーなどの要員など、多くの人をアルバイトで雇う必要があり、1億円はおおげさではないだろう。だが、その経費に見合う効果があるのだろうか。そのことをいぶかるとFさんは笑いながら、協賛している会社は商売で金を出しているので、何も心配することはないと言った。経費で落ちる一方、会社名を売るのにいい機会というのだろう。佐川急便のような大手の会社が10日間の期間中、毎日200名にミニ行灯を配っても安いものだ。それに強い雨で大幅に客がほとんど来なかった日が2、3日あって、予定した2000個のミニ行灯はかなりあまったのではないか。

花灯路の期間中、土日のみのサービスがあったが、阪急嵐山駅前では最初の土曜日の14日のみ、どこが主催していたか知らないが、「西京区おさんぽMAP」の3種を配っているテントがあって、それらのパンフレットを一部ずつもらって来た。桂駅周辺、洛西、松尾の書くエリアで、松尾エリアは熟知しているが、他のふたつはほとんど歩いたことがなく、このパンフレットを頼りにいつか家内と歩くのもよい。テント内にはお菓子屋に並ぶガラス容器もひとつ置かれ、その中に金太郎飴的「にしきょう・たけにょん飴」がたくさん入っていたので、家内の分と2個もらった。西京区のマスコットである竹の精を表わしたもので、よく出来ている。こういう飴を製造してもらうのは、数にもよるが市販の飴の何倍もの価格がするだろう。味は少し酸っぱく、それが竹らしい。というのは、生の竹を細く割って去年干し柿を吊るす時に刺したところ、竹が触れていた箇所は独特の酸っぱい味になっていたからだ。ということは、パンダは酸っぱい味が好物だろう。筆者もそうだが、タコの酢の物をたまに食べたいと思いながら、スーパーでタコの値段を見て買う気になれない。そう言えば生ワカメも100円で買えたのに今は倍近い。消費税が10パーセントになって値上がりしたものが多く、家内はよくため息をつく。それでも家内は買い物がてらの散歩でも、筆者と一緒であれば嬉しさを隠さない。最近はそういう家内が妙に愛おしい。こんなことは口に出して本人に言わないが、筆者が3階にいない間はほとんど家内と過ごし、話題は尽きない。そう言えば上田秋成は妻を亡くして大いに消沈したが、子どもがおらず、ふたりはとても仲がよく、妻は秋成に尽くした。筆者は秋成の最晩年の孤独な姿を想像すると胸が締めつけられる。家内は筆者がたまにイラつくと全力でうまくなだめようとするが、それは出過ぎると逆効果で、また淡々としていればさらに逆効果であることを知ったうえでの態度と言葉だ。長年の間に家内はどういう場合に筆者が気分を悪くするかをわかっていて、そのわずかな兆候が増えると、家内は家内が知らない間に筆者に機嫌が悪くなる出来事があったことを察知する。だが、筆者は全く大人げない。筆者と暮らし始めて家内が本気で怒ったことがないことを思い出さねばならない。夫婦喧嘩はそれなりにして来たが、怒るのは筆者だけで、家内は逃げ足が速い。そんな家内がスーパーの買い物でわずかな価格の値上がりに敏感になっているのを見ると、筆者は自分がいつも好き勝手に高価な本などを買っていることを申し訳なく思うかと言えば、そんな弱気は見せず、そのうちまとめて返すと常に言う。そんな機会が訪れることはないかもしれないが、筆者が弱気を決して見せたことがないことを家内は心強く思っている。弱気が出るとすれば家内に先立たれた時だろう。「はなとうろ 家内とあゆむ くらがりや」