摩擦に弱い箇所があるのにどこも同じ厚さで作られている物は多い。筆者は家にいる時はほとんどジーンズを履いているが、膝と股の部分がよく破れる。毛糸のセーターは両肘がそうなる。
そこで前者は同じかあるいは別のジーンズの裾のあまった生地を、後者はレザーを楕円形に切って自分で縫いつける。その作業は割合好きで、ズボンの裾上げも自分でする。ジーンズの繕った箇所はやがてまた破れるので繕うが、そのパッチワークは複雑さを増し、迷路さながらとなる。今時破れた箇所を何度も繕って履く人はホームレスにもいない。筆者はほとんど履いていない高価なズボンを家内が呆れるほど持っているが、手間をかけたものには愛着がある。さて、今日は先月14日に家内と見た泉屋博古館での展覧会について書く。住友財団修復助成30年記念展で、東京の同館分館と、九州国立博物館、それに東京国立博物館の全4か所でやや会期を違えて仏像や絵画、歴史文書など、修復された作品が公開された。これら4館の展示作品を1冊にまとめた厚さ6,7センチの図録が置かれていたが、非売品とあった。各館の展示品を収録した図録は販売されたと思う。修復によってきれいになった作品の見栄えのよさは、実際にそうした作品を手にした人でなければわからないかもしれない。筆者は掛軸を修復してもらったことが何度かあるが、筆者の経済状態からすればあまりに高額で、自分が技術を持っていればと思う。筆者の友禅屏風の表装を依頼していた表具師Kさんは、嫁いだ娘さんがどこかにパートに行くよりも表具の技術を学んだほうがはるかに多く稼げるのにと娘さんに言ったそうだ。たぶん娘さんは技術を受け継いでいないと思うが、表装の技術を教える講座があって、若い人にはそれなりに技術が受け継がれているのだろう。筆者も30年ほど前に図書館から借りた本によって自分で小さな染色作品をよく裏打ちした。確か当時1枚1000円か1500円するというので、数が多くなると自分でやったほうがよいと考えたのだ。糊や刷毛の用意、それに裏打ち用の和紙を買う必要があるが、慣れれば簡単で、業者に頼むよりずっと割安だ。だが、それは裏打ちまでで、掛軸に仕立てるには10年ほど寝かした糊が必要で、また表装裂も用意せねばならない。その布地は無地のものでいいならば自分で染色出来るが、金襴がほしいとなればいくつかの種類を買う必要がある。またこの裂地は古いものとなると驚くほど高価だ。それに探しても入手出来ないことが多い。何代か続く業者は豊富に持っているが、Kさんは一代なのでそういう布は所有していない。ついで書いておくと、幅30センチの本紙の水墨画を元の古い裂地を使い回しして修復してもらうと、本紙の劣化や汚れ具合によるが、安くて10万、折れや欠けが多い場合は30万から50万円はする。それでも、使い方によるが、百年後にはまた修理しなければならない。
新たに用いる材料は裏打ちの和紙程度で、後は技術料だ。古い掛軸を1万円程度で買っても修理にその数十倍の金がかかる。これを馬鹿らしいと考える人は、修復せずにそのまま所有するが、価値ある作品となるといずれ誰かが修復せねばならない。その見定めどころが難しく、価値があまりないとされる、あるいは人気のない画家の作品は朽ち果てるに任せられる。何でもそうで、であるから作家は何百、何千、あるいは何万枚と描く。そのように大量に描いても、生きている時に人気がなければ、300年後に残っている数はごくわずかである場合が大半だろう。表装代があまりに高額と思う人は、技術はそう難しくないので学べばよい。後は数をこなすことで、また毎年糊を焚いて甕に寝かせることを最低でも10年続ける必要がある。それに質のよい表装裂や裏打ちの和紙をどこでどのように確保するかだ。最も大事なことは注文をどう増やすかで、これは信用が欠かせず、有名な表具店で最低でも10年は勤務することが手っ取り早いだろうが、そうすれば確実に表具の技術で食べて行けるかとなるとその保証はない。表具の腕前もだが、どういう作品を扱うかで、新作の表装ばかりを手掛けるのならば修復の技術は不要で、裏打ちだけ出来ればよいが、古い掛軸や屏風を修理するのであれば、そうした絵画の知識は修理を依頼する人と同程度には増やす必要がある。そうでなければ依頼した人は怖くて作品を委ねられない。100万で買った古い掛軸が、色褪せた状態で修復されたりすればもう作品の価値は戻らない。たとえばこんなことがある。古い掛軸の本紙の隅が数センチほど欠けている場合、そこに別の紙を補う必要があるが、同じ質の紙を用意しても絶対に色や質感の差が生じる。紙は同じ日に漉いても一枚ずつ違うほどで、2、300年前の本紙となるとなおさら同じものは存在しない。それでどうするかと言えば、その本紙の絵のない上端か下端を数センチの高さで横の細長く切り取って使う。作品の寸法がわずかに小さくなるが、それは仕方がない。欠損箇所がもっと大きな場合は別の紙を染めて使うしかない。京都には表具屋の技術披露の場として組合が毎年開く「表展」があって、そこでは新作の表装から古い作品を修理したものまで並び、気に入った業者に頼めばいい。美術館や博物館の作品を修理するのは第一級の業者で、長年にわたっての修復すべき作品が待っている。本展に展示されたのはそういう作品で、チラシによれば、修理後に重文指定された仏像もある。化粧を施したのではなく、制作された本来の形に近い状態になったからだ。掛軸は長年の間に本紙の表面が黒ずみ、また絵具の剥落が生じるが、水墨画の場合は描かれた当初の紙の色合いにまで戻すことが可能で、そうしてきれいになった作品を目の前にすると、さすが大金を投じて修理した甲斐があると感じるものだ。
美術品の修復な地味な仕事だが、修理を担当した人の名前は残る。本展に出品された若冲の紙本著色の「猛虎図」は、近年の修復によっておよそ250年ぶりに軸木に修復年月日と修復者名が墨で書かれていることがわかった。本展には仏像がいくつか並んだが、地震で倒れて破損する場合があって、絵画と違っていつ修理が必要になるかわからない。仏像の修復は仏師だけでは無理で、過去にどのように修理され、それがどのような不具合を生じさせているかを科学的な力を使いながら判断する。今は分解せずに内部の様子がわかるようになっているし、また3Dの技術を駆使して不自然につながっていた頭部を正しい位置に戻した木彫の座像もあった。本展で最も驚いたのは養源院にある狩野山楽の紙本金地著色「唐獅子図」だ。この寺は三十三間堂のすぐ近くにあって、筆者は家内と40年ほど前に行ったことがあるが、堂内に蚊が多く、血染めの天井の説明を住持から受けながら、足や手をあちこち叩いた記憶がある。その堂内の正面下部に木材にそのまま貼られていたものが今回修復された。剥がす作業は大変であったはずだが、今回の修復は火事が生じた場合、外して持ち出せるような形に改装された。そのため、また博物館でいつか展示されると思うが、これまで間近では見られなかったものが、ガラス越しではあるが、明るい状態で細部まで確認出来た。32点の作品は国宝、重文、重美、それに京都府指定文化財や市指定文化財などが3分の2を占め、これらの修復資金を住友財団が助成していることはさすがと言うべきで、これまでこの館を訪れたどの時よりも当日は鑑賞客で混雑していた。展示館内は撮影禁止であったが、展示室前の掛軸の修復の順序を説明したパネルはそうではなかったようなので撮影した。お茶が無料で飲める玄関ホールには、屏風の内部の下貼りがどうなっているかを模型で説明していた。筆者はKさんに自作の友禅屏風をこれまで何度も表具してもらったが、完成すると内部は見えず、構造の説明を受けてもぴんと来ない。そのため、内部の見える模型は実に興味深かった。最初の説明はこうある。「室内で建具として使用される屏風や襖は、温湿度の変化を受けやすい。種々の和紙・多様な貼り方で複雑な層をつくり、その影響を分散吸収する」。続く1から7までの工程の説明文字は、撮影時の手振れもあってよく見えず、工程の名称のみ書く。1骨、2骨縛り、3胴貼り、4蓑かけ、5蓑縛り、6下浮け、7上浮け。これらは襖も同じように出来ているので、わが家の破れた襖を調べることで理解出来るかもしれない。あるいは自作屏風の骨用にと昔買った100年ほど前の無名画家の屏風を分解すればいいが、Kさんによれば、骨を職人に作ってもらうのはさほど高価ではなく、古い屏風の骨を再利用するには、骨に貼りついた紙を除去する手間が大変とのことだ。