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●かえる
っ葉服を着たようなアマガエルを見かけた。今日の最初の写真だ。今年8月13日、わが家の裏庭で撮影した。とても気持ちよく長い葉の上で眠っている。これ以上幸福で平和な様子はない。



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生きるとはこういうことでありたい。2枚目は筆者の動きに驚いたのか、目覚めて地面近くに跳び降りた時の様子で、くりくりとした目がかわいい。この後の行方はわからないが、毎年2,3日程度はアマガエルの鳴き声を裏庭で聞くから、裏庭向こうの小川のどこかで卵を産んでいる。小川の向こう側は10年ほど前までは畑であったので、蛙はそれなりに多く生息していた。畑が消えて民家が建て並んだあと、彼らはどうのように生きているのだろう。わが家と隣家は裏庭には土があって植物も多く、蚊などの虫は発生しやすい。それで蛙はどうにか餌や隠れ場所に困らないのだろう。川は流れがあって、また年に一度は藻が刈られるので、卵を産みつける場所がないように思うが、どうにか人の目を免れていると見える。蛙の孵る場所は水中だが、帰る場所もそうかと言えば、生まれた場所が帰る場所とすればそうなる。人間も胎児は水中に浮かんでいるので、蛙と同じと言ってよいが、帰る場所は普段住んでいる家で、それがない人は「ホームレス」と呼ばれるが、彼らにもそれなりに泊まる場所があって、帰る場所はある。だが、近年は家を持たず、夫婦であるいは個人で車で各地を移動して暮らす人が増えているという。これは舟を家代わりにして生きている人と似ているが、いずれにしても帰るべき場所はある。ところで、不倫している人は、片方が家庭を持っていれば、1日、2日は配偶者に言い訳が出来ても、そこに帰らねばならない。浮気相手は自分がひとりで住む家に帰るから、愛し合った後にお互い現実の枷を思うことになるが、ダブル不倫ではその点はお互いドライなものだろう。平安貴族は通い婚で、女は待ち、男は帰る習わしであったが、女は来る男なら誰でもよかったかと言えば、和歌を交わし合い、お互い値踏みした。つまり、知性が重んじられた。もっとも、和歌の質の程度差は当然あったはずで、またある程度定型があって、わずかに言葉を変えるだけでよかったかもしれない。常に待っていた女のようだが、男は女の反応を待つから、お互い様だ。また男は帰ってひとり寝するから、その点では女と同じであった。それでも女は待ち、男は帰るものとされ、「まつ」と「かえる」はセットだ。これを「松に蛙」の図とする風習があったかと言えば、ない。なので、筆者がそういう絵を描いてもいい。蛙には柳がつきものだが、柳の代わりに松もいいではないか。わが家の裏庭には小さな松の盆栽があって、来年アマガエルを見つけるとその盆栽と一緒に撮影したい。とはいえ、「松の蛙」が「通い婚」を意味するとなれば、筆者には不要だ。それに現代なら、これは独身女と既婚男性の不倫の悲しい象徴となる。
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 最近筆者は1週間ほど要して3階の仕事場を整理した。ここ10数年の間に本などが増え、足の踏み場がなかった。整理とはいえ、溢れ返っていたものを隣家に移動しただけで、所有物の増減はない。これではまずく、いずれ断捨離とやらを徹底的にすべきだが、移動するだけで体力を消耗し、その後のことを考える気持ちの余裕がない。部屋の模様替えもしようかと思っていたが、埃を掃除しただけで、本棚などの配置はみなそのままだ。ほんの少しだけ雰囲気を変えたのは筆者が座る真横だ。3枚目の写真のようにすっきりとさせた。最も手前に見えるのは神代杉を使った蝦蟇蛙の置物で、去年気に入って1万円ほどで買った。邪魔になるだけだが、貫禄があって見ていて楽しい。今思えば、この蛙は筆者がどこかへ帰りたいことを暗に示しているかもしれない。年齢を重ねるほどに幼ない頃、若い頃のことをよく思い出すと言うが、筆者はその頃に戻りたいとは思わないものの、確かに何かの拍子に映像が蘇ることがよくある。そう言えば母が大腿骨を骨折する前、すなわち1年半ほど前、筆者に母の父親のことを話した。だいたい母の子どもの頃の話は聞いて来たが、その時の話は初めて聞く内容が多かった。特に祖父のことはとても微に入り細に入りで、目の前に祖父がはっきりと見え、眩し気に半ば目を閉じながら筆者を見つめ、「しっかりやれよ」と無言で心に直接伝えていることを感じた。祖父は確か50前後で死んだが、女性にかなりもてたとのことで、葬儀の日に複数の若い女性が泣きながら訪れ、ひとりは長い髪を切ってそれを棺に入れたそうだ。その様子をそばで祖母は黙って見ていたそうだが、母はどう思ったのだろう。母は父から「男に生まれればどれほどよかったか」と小さな頃はよく言われたが、結果的に男親の役割もして筆者らを育て上げた。今は後認知症が進み、もう昔のことも最近のことも話せなくなった。筆者もいずれそうなるとして、今のうちに書き留めておきたいことを書かねばならない。最も書きたいことは少しずつ形を成して来ているが、まだ当分は様子を見る必要があって、待ち続けている。そう言えばこれは家内の95歳で死んだ父親のことだが、最晩年に若い頃のことを思い出してかなり書き連ねていたらしい。ところがその文章の中に最初の奧さんのことが書かれていた。その女性との間に子どもはなかったが、墓参りを長らく欠かさなかった。そのことが長女は面白くなかったようで、葬儀が終わった後、その書きものを「つまらない」と言いながら、家内の目の前で全部処分した。戦前ハルピンで暮らしていた時のことなども詳しく書かれていたはずで、もったいないことをした。あの世にはお金は持って行けないと言うが、この世に置いて行く記憶も跡形もなくなることがほとんどだ。子孫がいるからそれでいいのだろう。代が続く限り、あるいは人間がいる限り、何事も可能性はゼロにならない。
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by uuuzen | 2019-12-15 23:59 | ●新・嵐山だより
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